明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

酒のツマミ話(61)毎日雨続きで嫌になる

2022-07-15 19:31:18 | ニュース
1、戸別訪問のやり方について
 
チャイムが鳴って玄関のドアを開けると、「私は〇〇会社の者です・・・」と自己紹介するセールスマンが最近やたらと多くなった。しかし、戸別訪問のやり方としては、これは間違いである。例えばチャイムが鳴ってドアを開けた時、そこに胸から名札を下げた若い男が立っていたとする。「ああ、売り込みだな・・・」とすぐに分かるのだ。こちらとしては、すぐにでもドアを閉めてテレビの続きを見たい。だが、殆どの場合「えんえんと自己紹介する」のである。えんえんと言うのは大袈裟だが、どこの会社から来たのかなんて「こちらは全く興味ない」のである。一応礼儀として聞いてはいるが、内心「早く本題に入れよ!」と思って聞いている。この時点で私の気持ちは「ネガティブ」になっているわけだ。大体言うことは決まっている。今入っているガスや電気やインターネットやその他の契約を、自分の会社に乗り換えませんか?、という勧誘である。
 
そうなら最初から「○○の勧誘ですが・・・」と言ってもらったほうが、余程好感が持てる。自己紹介から始める場合とで対応が違うということはないが、こっちのほうが「早く断れる」のである。セールスマンにしても、話しても無駄な人を相手にするよりは、可能性のある人のほうがいいだろう。勧誘でない場合は、「ガス検知器のチェックに来ました」とか、「水道の排水溝の掃除です」とか言えば、話は早い。そもそも戸別訪問などという「高齢者あるいは辺鄙な田舎」に特有なやり方が、少なくとも都会だと思っている「柏市」で、未だに堂々と行われていることに唖然とする。これ、生産性の低いこと「MAX」のやり方ではないか。顔を合わせたら、まず天気の話から始める「昭和」の時代とは違うのである。ここはビジネスライクにドライに割り切って、興味がなければ「はっきりと断る」ことが一番だと思う。私は大体「興味ない」と言って、すぐにドアを閉めることにしている。最近は相手も慣れていて、「あっ、そう・・」と気にも留めずに次の家に向かうようだ。
 
この方法を全国津々浦々に行き渡らせれば、戸別訪問して勧誘などという前時代的なやり方はなくなるんじゃないだろうか。
 
2、統一教会とマインドコントロール
 
このところ連日ワイドショーで報道されているのが、統一教会の「献金地獄」の話題である。一度入会してしまうとマインドコントロールされて、他の人の言うことは一切聞かなくなるらしいから、脱会させるのはものすごく困難だそうである。ちょっと前にオセロ中島がひっかかってエライ問題になったことがある(これは統一教会とは関係ない)から、記憶されている方も多いかと思う。統一教会の特徴は、とにかく「破産するまで献金させる」ことだそうだ。自分の全財産を献金することによって、一族郎党全員が救われると言い含められるらしいから、その罪は相当に根深い。そこで私は、なんとか教会にマインドコントロールされている人を脱会させることはできないものか、と考えてみた。
 
こういうマインドコントロールされている状態というのは正常な思考がストップしている状態である。だが、少なくとも自分が献金した「お金の行先」がどこなのか?くらいは知識として知っている筈だ、と私は思っている。教会から聞かされている「お金の行先」は、想像だが「神様のところに行く」とかなんとか誤魔化しているのではないだろうか。まさか教会の幹部の懐に入って、彼らの贅沢な生活を支えている・・・なんてことを教会が言うはずはないからだ。しかし神様が「現実世界の紙幣」を受け取って、どうしようというのだろうか?。統一教会が邪悪なデビルの呪いから人々を救うというのなら、その悪魔退治の報酬として「献金が支払われる」ということになる理屈だ。では、その料金は「悪魔祓いの難しさ」で違ってくるのだろうか?。色々と質問していくと、ますま説明がつかなくなって謎が深まってくる。これが教会から抜け出すきっかけになるんじゃないか。つまり、教会の教えに対して「献金の使われ方」を追求することで対抗する、という方法が有効ではないかと私は思う。
 
マインドコントロールされている人には、間違っているとか騙されているとかをいくら説明しても、なかなか理解してもらえないようだ。だが、自分の納めた献金が「いったいどこに行くんだろう?」と自分の頭で考えるように仕向けることが、何か突破口になるような気がしている。大事なことは「自分の頭で考える」ことである。いいとも悪いとも言わずに、疑問だけ投げかけるのが効果的だと思う。まあ、実際はマインドコントロールの専門家に対処法を聞くのが一番だが、こういう方法もあるんじゃないか的な思考というのは、頭の訓練には必要かと。
 
3、失恋したときに、泣きながら聞いていたあの曲
 
その昔、私も人並みに失恋したことがあった。ちょうど5月の連休の時だったと思うが、どこにも出かける気がしなくて、ひたすら布団にくるまって泣いていた記憶がうっすらとある。まあ、「青春の一コマ」と言えば聞こえはいいが、要するに、振られた男がボロボロになったメンタルを回復するのに、時間がかかったというだけの話である。時間がかかったといっても、正味は一日であったが・・・。
 
その時にずっと耳元で聞いていたのが、ボビー・コールドウェルの「カム・トゥ・ミー」あった。その頃、日本の CM によく流れていた曲で、AOR サウンドの雄としてもてはやされていた頃である。それをラジオで聞いていっぺんで好きになり、CD を何枚か買ったりしていた時に、丁度「タイミングよく」失恋したというわけだ。ほかの時であれば、また「他の楽曲」を選んでいたことは間違いない。ただ、今でもこの曲を聴くと、なぜか「あの時の苦い経験」が脳裏によみがえるのだ。
 
まあ、この曲の歌詞に失恋めいたものが書かれていたかは、残念ながら「私の英語力」では分からない。ただ、曲の雰囲気が当時の落ちこんだ精神状態にぴったりマッチしていた、ということだろう。朝から晩まで彼の CD を聞き流しているうちに、私の恋は「次第に過去のもの」になっていった(早いねぇ)。
 
4、コロナ再び大流行
 
コロナが再び大流行の兆しを見せている。私がこの2年半コロナと対峙した経験から分かることは、コロナは自分で勝手に猛威を振るい、そして時間が経てば「自然と消えていく」ものだと言うことである。人間がどう対策をしたとかワクチンで防御したとかいうことは、ウィルスの活動自体には関係がなく、ある時猛威を振るうけど「時が来ると」なぜかは分からないが「自然と消滅」するのだ。これは事実である。
 
最初はパチンコ店、次には飲食業が悪の根源のように言われていた。だが最近は、主に換気とマスクで対処するのが良いといわれるようにマイルドに「かつ科学的に」変化してきた。これは「人間の側」の防御策の変化である。これは、ワニのうじゃうじゃいる沼でザリガニを取る時の「安全な方法」というのに似ている。ワニを全部駆除するのではなく、ワニの「隙をついて」何とか食われないようにして、ザリガニを取ってくるのだ。これが昔から非力な人間が、猛獣の隙をついて生き延びてきた方法である。
 
だが私の見るところ、個人が感染して症状の程度に差があるというのは別にして、コロナ自体の流行は「台風やイナゴの異常発生」と同じで、我々のどうこうできるものではない。ひたすら「通り過ぎる」のを待つだけなのだ(ワニがどこかへ行ってしまうみたいに)。私はそれが大体3か月くらいだと踏んでいる。今回の例で言えば、およそ9月末にはピークアウトするのじゃないかと思っている。
 
だから私のように「働かなくても年金で暮らしていける」人は、じっと家に籠って「通り過ぎる」のを待てばいい。だが、実際に経済を担っている働き盛りの人たちにしてみれば、家に籠っているというのは「死」に等しいと感じるのじゃないだろうか。そこで活動を止めないで、しかも有効な感染対策が重要になってくる。幸い、症状は初期のころのデルタ株と比べると大幅に減っているようだから、何とか経済を回そうという政府の対応は「それなりに納得」できるものであろう。
 
ところで今日午後、新しい「変異株 BA2.75 」というのが、神戸の女性で発見されたとニュースで言っていた。次々と新しい変異株出てくるので、もういい加減にしてくれという気持ちになる。やはり根本的には「コロナに罹らない」ワクチンの開発しかないだろう。罹っても「治せる」薬でも全然構わない。とにかくコロナの脅威を「ほとんど風並み」にしてくれれば、それでオーケーだ。今のワクチンは「症状を抑える」ことしか期待できないようなので、やっぱりここは「日本発の画期的新薬」というのに期待したいものである(無いものねだりか)。とにかく9月末までじっと待つとしよう!

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