明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

私のブログ作法(続き)

2016-11-03 21:35:59 | 今日の話題
あれから色々と考えていたら、ブログ作法についてもう少し書き足りないことが出てきた。私がブログを見る一番の理由は、一日のやるべきことを全部済まして、ひとときの自由な時間をネットで興味ある話題を探し、皆と一緒に「考え、意見があったら発表する」ことで、社会との繋がりを楽しむのである。居酒屋で気の合う仲間とワイワイ喋り合うのも、根っこは同じである。違いは、ブログは何時でも書けることではないだろうか。頭の中で居酒屋談議をやるのである。私はブログという便利な道具を手に入れたことによって、友達の時間を無駄にすることなく、自由に勝手に会話する楽しみを手に入れたのである。

ひとつの話題を掘り下げ意見を戦わせ、話題は移りまた新たに議論を深める、この「議論を戦わせる」という所に、無上の喜びを覚えるのである。多くの人は議論とディベートとをごっちゃにしているが、ディベートは「勝ち負け」を争うゲームであり、私の考える「議論」とは全く相容れないものであると私は思っている。ディベートは答えがどちらであっても良く、自分の主張が相手の主張より「より説得力がある」方が勝者となる。だから事実関係を争う問題はディベートにならない。正しいかどうかは証明すればいいので、ディベートのような相手方の存在は必要ない。優劣では無く真偽が問われるからである。

私は議論が大好きだ。議論は謎解きに似ている。じっくり考えてあらゆる可能性を一つ一つ潰して行き、疑いのかけらもない一つの結論に至る。その快感と推理の過程が、一種スポーツに似た爽快な達成感をもたらしてくれるのである。現在揉めているオリンピックの会場問題や豊洲の卸市場の問題も突き詰めれば、都民無視の意地や権力や儲けのぶつかり合いに過ぎない。議論をせずに駆け引きや騙し合いに終始している都議会とオリンピック委員会にはうんざりするが、それが彼らの今の役目であるからには、何と言われてもやめようとはしないであろう。彼らには、常識は無意味なのである。そこは議論より数の論理の通用する世界である。

だから我々は、政治の場=正しい投票をする事で、都民の常識を実現しなければならない。それに引き換え、ブログはもっと清廉潔白な、「利益の絡まない場」でありたい。居酒屋談議、それを私は目指して行くことにします。

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