1産休育休問題と女性開放
何処かの放送局の「青木アナウンサー」と言う人が産休制度を活用した挙げ句に離職する、とニュースに出ていた。産休育休は、とかく白い目で見られがちである。それは根本に「働いてないのに給料を貰う」という考えから来ている部分がある。実際は、休んでいる間の給与の補填を雇用保険や健康保険から支払う「保険」なのだが、申請者が産休育休している期間の「業務を代替する人」が人手不足で手当できずに、仕方なく「周りの部署にしわ寄せが行く」ことなどで迷惑をかけたりと問題が大きくなる、というのが実態ではないだろうか。私の会社でも子供を生むので「休みます」という女性管理職が現れた。当時の仕事はダイヤの目利き・仕入・鑑定と結婚指輪セクションの統括であったが、産休育休の間、さしたる影響は出なかった。まあ、私の会社が「ゆるい」と言えばそのとおりであるが、一人休んだら忙しくて回らない部署もあるので、彼女の仕事環境は「大卒女子ということと鑑定資格をもっていること」との両方で優遇された、とも言えるのである。代えが効かない「特別職」なのだ。この時私は「会社が」出産育児期間の給料補填をしなければならないと思いこんでいたので、「産休するなんて、全く困ったもんだ」と考えていた。今から思えば「無知による完全な誤解」である。会社は産休の間「費用は全く発生しない」。単に病気で入院するのと一緒ということだ。こういう勘違いをしている人が世の中にはまだいるかも知れないので、そういう人が居たら「即座に改めて」欲しいとは思っている。しかし問題は、休むことで会社が受けるダメージは、給料の補填だけではない。そして問題の解決を国は全く考えず、全部「会社と周りの人間に丸投げ」しているのである。だから問題は「一向に解決されない」まま、現在までほったらかしの状態が続いている。会社は業務を継続しなくてはならない以上、場合によっては「業務を再編せざるを得ない」こともあり、単に「戻ってくるまで席を開けておく」というような「甘い」方法を取ることは許されないのである。そのために、出産することで退職する女性の割合が多くなってしまうのは仕方がないとなる。キャリアという点で見ても、2年間のブランクは決して小さくない問題だ。仕事に対してシビアな考えを要求される場合になればなるほど、「休むこと」がマイナスになるのはどうしようもないのではないだろうか。男女が「普通に働く社会」であるフランスなどではどうしているのだろう?。女性の社会進出と少子高齢化を「一つのセット」と考えなければ、これからの日本が抱える根本問題を解決することは出来ない。まずは産休の金銭面での面倒を国が見ることは勿論だが、その人が「会社に勤めて、働いて利益を出している」ことをどう考えるか。国が本腰を入れて対策を立てなければ、いつまで経っても「仕事」と「生活」を一致させることは叶わないのだ。私もこれから微力ながら「解決策を考えて」みようと考えている。それが出来てこそ、真の「女性開放」である。と、ここまで書いたがそれは「終いには生物学的に男女の差がなくなる」ことになるのではないだろうか。将来の人類は「雌雄同体」に進化しているかも?
2朝まで生テレビ!をちょこっと見る
前からつまらない番組だと思っていたが、今日改めて実に下らない番組だと分かった。なかなか寝付かれなくてチャンネルを合わせたのだが、期待は完全に裏切られた。最初に原発問題を取り上げていたが、皆んなそれぞれ言いたいことを言うばかりで一向に「答えが定まらず」、時間だけが過ぎていく。これは日本の会議で見られる風景と同じだ!。これは進行役が議論のやり方を知らなくて、自分勝手な落とし所に向けて「会議の端々に割り込んでいる」ために起きる現象である。議論するには正しいやり方をしなくては「答え」にたどり着くことは出来ない。まず、証明すべきテーマを決めなくてはならないが、今回の原発問題では「曖昧なまま」進められていること、これが第一の失敗である。何がどういう結論を出した時に議論が終結するのか、視聴者は勿論参加しているパネリストですら分かっていないからだ。これでは実のある会議など望むべくもない。例えば業績が低迷している企業の活性化を議論しようというのに、「なにか良いアイディアは?」と会議で聞くようなものである。そんな大雑把な質問には誰も積極的には答えないであろう、叩かれるのが落ちである。テーマはもっと「身近で狭い問題に限定した」ものから始めることが必要である。例えば「営業部門の販売経費を減らす方法は?」のように。こういう個別の事案なら参加者も意見を言いやすい。だから今回の例で言うなら、「福島原発の帰還可能区域の空間放射能線量は基準値と比べてどのくらいの差があるか?」という風に「具体的で明確な事実の把握」から始めるのでである。これを積み重ねて参加者全員が納得する「事実」の集大成が一つの大きな「事実に収斂していく様」を眺めることが、エンタテイメントとしての「朝まで生テレビ!」の魅力でなくてはならない。その意味でも司会者の下手さ加減は「致命的」である。また、参加者の意見陳述にもルールが必要であり、単なる個人の意見ではなく「裏付けのある事実」でなくては意見として採用しない、というのも大事である。お互いが異なる立場からワーワー意見を言い合って結局司会者が別の話を持ち出すことが再三あったが、途中で答えが何処かに行ってしまい「迫力あるディベート」を期待した視聴者には「ただの口喧嘩」をさらけ出して終わってしまっていた。結局は田原総一朗の限界である。彼は年を取ったという人もいるかも知れないが、単純に「能力不足」なだけであろう、私は眠くなってテレビを消して寝た。当然、まだ「朝にはなっていない」ことだけは言っておこう。
3薬物依存症
私は誤解していたのだが、一度大麻を吸ったからと言って「全員が依存症になるわけでは無い」そうである。こんなことを言うと安心して手を出す輩がいるので慎重にならなければいけないが(勿論、薬物の種類によっても違うであろう)、薬物依存の仕組みは単純ではないらしいのだ。ネズミを使った動物実験では、「社会との接点のない孤独なネズミ」と「多くのネズミと交流があり仲間と話す機会が多いネズミ」に同じ薬物を与えたとすると、薬物を絶った時の禁断症状は「孤独なネズミの方だけ」に出てくるという。アメリカで大麻を合法化する州が出てきているのも、その昔に禁酒法を制定して大失敗した経験から学んだのもあるだろうし、この大麻の「依存性」を医学的に見極めてそれほどの害がない、という知見に基づいてのことでもあるのだろう。日本は同じように依存症を引き起こす薬物であるにもかかわらず酒・タバコを野放しにしていながら、大麻に関しては「重大な刑罰の対象」であり、それ以上に「社会的に人格破綻者として抹殺される」という大変厳しい目が向けられている。しかしこのネズミの実験結果から得られることは、大麻は「一度で人間を地獄に引きずり込む魔力」があるわけではなく、吸っては見たけれど「どうしても馴れなくてやめてしまう」人が結構いる、ということである。これは大麻というものの一般的な認識を根底から覆すものだ。つまり身体に合わなくてやめちゃう人もいるし、もっと楽しいことがあるから「それほどのめり込まずに離れていく人」もいるということである。依存症になってやめられなくなる人は、ネズミの例でも分かる通り「社会と接点のない孤独な人」である。ピエール瀧の場合はこれに当たるかどうかは分からないが、ここから依存症を克服するためのヒントが見えてくる。社会との接点や人間関係の構築が、依存症の治療には有効だということである。薬物依存症患者に「麻薬に溺れて人間をやめた廃人」とレッテルを貼るのはたやすいことであるが、刑事罰を与えることで解決すると考えるのは間違いだと言うことだ。薬物に手を出した挙げ句に人生を棒に振るというなら、ギャンブル依存症やアルコール依存症やニコチン依存症なども同じく「どうしようもない」人間が犯す罪だ、と言わなければならない。アルコールやギャンブルを含めれば、依存症患者は想像以上に世の中に蔓延している。我々はその事実とどう向き合っていくのか。それを考えるヒントが、「社会から排除するのではなく」、社会との関係を保ったままで治療していく、あるいは「社会と密接に関係することで」薬物依存体質を「無くしていく」ことである、というのがネズミの教えてくれたことなのだ。人は社会の中で「仲間と一緒に生きている」と感じる度合が多ければ多いほど、薬物に依存しなくなる。これが依存症の真実なのだ。薬物依存者もまた「社会の一員」なのである。そういえば私もブログを書き始めてからと言うもの、孤独を感じることはなくなったようだ。これは素晴らしいことである。
4おいしい酒
私は酒は菊正宗の「しぼりたて銀パック」を最高の家飲み酒と愛飲していたが、今日マミーマートでたまたま品切れだったために代りに「菊正宗ピン辛口900ml」を買ってきた。早速飲んでみると「少しエグ味があって、それが新鮮なパンチを喉に与え」てくれているように感じられ、これはこれで存在感のある「結構良い酒」である。酒はやはり「ちょっとクセのある」方が魅力がある。長いこと「しぼりたて」一本で飲んできたが、またぞろ銘酒探訪の旅が始まったようだ。さて、菊正宗ピンを飲み切ったら、次はどこの酒蔵を攻めてみようか、楽しみである。
何処かの放送局の「青木アナウンサー」と言う人が産休制度を活用した挙げ句に離職する、とニュースに出ていた。産休育休は、とかく白い目で見られがちである。それは根本に「働いてないのに給料を貰う」という考えから来ている部分がある。実際は、休んでいる間の給与の補填を雇用保険や健康保険から支払う「保険」なのだが、申請者が産休育休している期間の「業務を代替する人」が人手不足で手当できずに、仕方なく「周りの部署にしわ寄せが行く」ことなどで迷惑をかけたりと問題が大きくなる、というのが実態ではないだろうか。私の会社でも子供を生むので「休みます」という女性管理職が現れた。当時の仕事はダイヤの目利き・仕入・鑑定と結婚指輪セクションの統括であったが、産休育休の間、さしたる影響は出なかった。まあ、私の会社が「ゆるい」と言えばそのとおりであるが、一人休んだら忙しくて回らない部署もあるので、彼女の仕事環境は「大卒女子ということと鑑定資格をもっていること」との両方で優遇された、とも言えるのである。代えが効かない「特別職」なのだ。この時私は「会社が」出産育児期間の給料補填をしなければならないと思いこんでいたので、「産休するなんて、全く困ったもんだ」と考えていた。今から思えば「無知による完全な誤解」である。会社は産休の間「費用は全く発生しない」。単に病気で入院するのと一緒ということだ。こういう勘違いをしている人が世の中にはまだいるかも知れないので、そういう人が居たら「即座に改めて」欲しいとは思っている。しかし問題は、休むことで会社が受けるダメージは、給料の補填だけではない。そして問題の解決を国は全く考えず、全部「会社と周りの人間に丸投げ」しているのである。だから問題は「一向に解決されない」まま、現在までほったらかしの状態が続いている。会社は業務を継続しなくてはならない以上、場合によっては「業務を再編せざるを得ない」こともあり、単に「戻ってくるまで席を開けておく」というような「甘い」方法を取ることは許されないのである。そのために、出産することで退職する女性の割合が多くなってしまうのは仕方がないとなる。キャリアという点で見ても、2年間のブランクは決して小さくない問題だ。仕事に対してシビアな考えを要求される場合になればなるほど、「休むこと」がマイナスになるのはどうしようもないのではないだろうか。男女が「普通に働く社会」であるフランスなどではどうしているのだろう?。女性の社会進出と少子高齢化を「一つのセット」と考えなければ、これからの日本が抱える根本問題を解決することは出来ない。まずは産休の金銭面での面倒を国が見ることは勿論だが、その人が「会社に勤めて、働いて利益を出している」ことをどう考えるか。国が本腰を入れて対策を立てなければ、いつまで経っても「仕事」と「生活」を一致させることは叶わないのだ。私もこれから微力ながら「解決策を考えて」みようと考えている。それが出来てこそ、真の「女性開放」である。と、ここまで書いたがそれは「終いには生物学的に男女の差がなくなる」ことになるのではないだろうか。将来の人類は「雌雄同体」に進化しているかも?
2朝まで生テレビ!をちょこっと見る
前からつまらない番組だと思っていたが、今日改めて実に下らない番組だと分かった。なかなか寝付かれなくてチャンネルを合わせたのだが、期待は完全に裏切られた。最初に原発問題を取り上げていたが、皆んなそれぞれ言いたいことを言うばかりで一向に「答えが定まらず」、時間だけが過ぎていく。これは日本の会議で見られる風景と同じだ!。これは進行役が議論のやり方を知らなくて、自分勝手な落とし所に向けて「会議の端々に割り込んでいる」ために起きる現象である。議論するには正しいやり方をしなくては「答え」にたどり着くことは出来ない。まず、証明すべきテーマを決めなくてはならないが、今回の原発問題では「曖昧なまま」進められていること、これが第一の失敗である。何がどういう結論を出した時に議論が終結するのか、視聴者は勿論参加しているパネリストですら分かっていないからだ。これでは実のある会議など望むべくもない。例えば業績が低迷している企業の活性化を議論しようというのに、「なにか良いアイディアは?」と会議で聞くようなものである。そんな大雑把な質問には誰も積極的には答えないであろう、叩かれるのが落ちである。テーマはもっと「身近で狭い問題に限定した」ものから始めることが必要である。例えば「営業部門の販売経費を減らす方法は?」のように。こういう個別の事案なら参加者も意見を言いやすい。だから今回の例で言うなら、「福島原発の帰還可能区域の空間放射能線量は基準値と比べてどのくらいの差があるか?」という風に「具体的で明確な事実の把握」から始めるのでである。これを積み重ねて参加者全員が納得する「事実」の集大成が一つの大きな「事実に収斂していく様」を眺めることが、エンタテイメントとしての「朝まで生テレビ!」の魅力でなくてはならない。その意味でも司会者の下手さ加減は「致命的」である。また、参加者の意見陳述にもルールが必要であり、単なる個人の意見ではなく「裏付けのある事実」でなくては意見として採用しない、というのも大事である。お互いが異なる立場からワーワー意見を言い合って結局司会者が別の話を持ち出すことが再三あったが、途中で答えが何処かに行ってしまい「迫力あるディベート」を期待した視聴者には「ただの口喧嘩」をさらけ出して終わってしまっていた。結局は田原総一朗の限界である。彼は年を取ったという人もいるかも知れないが、単純に「能力不足」なだけであろう、私は眠くなってテレビを消して寝た。当然、まだ「朝にはなっていない」ことだけは言っておこう。
3薬物依存症
私は誤解していたのだが、一度大麻を吸ったからと言って「全員が依存症になるわけでは無い」そうである。こんなことを言うと安心して手を出す輩がいるので慎重にならなければいけないが(勿論、薬物の種類によっても違うであろう)、薬物依存の仕組みは単純ではないらしいのだ。ネズミを使った動物実験では、「社会との接点のない孤独なネズミ」と「多くのネズミと交流があり仲間と話す機会が多いネズミ」に同じ薬物を与えたとすると、薬物を絶った時の禁断症状は「孤独なネズミの方だけ」に出てくるという。アメリカで大麻を合法化する州が出てきているのも、その昔に禁酒法を制定して大失敗した経験から学んだのもあるだろうし、この大麻の「依存性」を医学的に見極めてそれほどの害がない、という知見に基づいてのことでもあるのだろう。日本は同じように依存症を引き起こす薬物であるにもかかわらず酒・タバコを野放しにしていながら、大麻に関しては「重大な刑罰の対象」であり、それ以上に「社会的に人格破綻者として抹殺される」という大変厳しい目が向けられている。しかしこのネズミの実験結果から得られることは、大麻は「一度で人間を地獄に引きずり込む魔力」があるわけではなく、吸っては見たけれど「どうしても馴れなくてやめてしまう」人が結構いる、ということである。これは大麻というものの一般的な認識を根底から覆すものだ。つまり身体に合わなくてやめちゃう人もいるし、もっと楽しいことがあるから「それほどのめり込まずに離れていく人」もいるということである。依存症になってやめられなくなる人は、ネズミの例でも分かる通り「社会と接点のない孤独な人」である。ピエール瀧の場合はこれに当たるかどうかは分からないが、ここから依存症を克服するためのヒントが見えてくる。社会との接点や人間関係の構築が、依存症の治療には有効だということである。薬物依存症患者に「麻薬に溺れて人間をやめた廃人」とレッテルを貼るのはたやすいことであるが、刑事罰を与えることで解決すると考えるのは間違いだと言うことだ。薬物に手を出した挙げ句に人生を棒に振るというなら、ギャンブル依存症やアルコール依存症やニコチン依存症なども同じく「どうしようもない」人間が犯す罪だ、と言わなければならない。アルコールやギャンブルを含めれば、依存症患者は想像以上に世の中に蔓延している。我々はその事実とどう向き合っていくのか。それを考えるヒントが、「社会から排除するのではなく」、社会との関係を保ったままで治療していく、あるいは「社会と密接に関係することで」薬物依存体質を「無くしていく」ことである、というのがネズミの教えてくれたことなのだ。人は社会の中で「仲間と一緒に生きている」と感じる度合が多ければ多いほど、薬物に依存しなくなる。これが依存症の真実なのだ。薬物依存者もまた「社会の一員」なのである。そういえば私もブログを書き始めてからと言うもの、孤独を感じることはなくなったようだ。これは素晴らしいことである。
4おいしい酒
私は酒は菊正宗の「しぼりたて銀パック」を最高の家飲み酒と愛飲していたが、今日マミーマートでたまたま品切れだったために代りに「菊正宗ピン辛口900ml」を買ってきた。早速飲んでみると「少しエグ味があって、それが新鮮なパンチを喉に与え」てくれているように感じられ、これはこれで存在感のある「結構良い酒」である。酒はやはり「ちょっとクセのある」方が魅力がある。長いこと「しぼりたて」一本で飲んできたが、またぞろ銘酒探訪の旅が始まったようだ。さて、菊正宗ピンを飲み切ったら、次はどこの酒蔵を攻めてみようか、楽しみである。
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