今年の漢字は「税」だけど、私はむしろ「議」を挙げたい。議論の議である。今の世の中は政治にしても経済にしても、「これが答えだ」という正解が分からなくなっている。これが西洋の一神教のようにキリストとかアラーとか「唯一神が決めてくれる」なら考える必要もなくて簡単だが、日本じゃ議論百出して答えがまとまらないのが常である。例えば国会での質疑応答などを聞いていると質問された議員が聞かれた事に真摯に答えるのではなく、ただグダグダと「はぐらかして」それで良しとする答弁がめっちゃ多過ぎるのである。判断するのは国民だ。どちらの言っていることが正しいか、きちんと白黒つけられるような議論・回答が何故出てこないのだろう。
それには根本的な理由がある。質問する側も答える側も、どちらも納得せざるを得ないような「議論する方法」が日本人には欠けているからなのだ。何が正しいのかが誰にでも否応なしに「分かるような」結論に毎回到達するのであれば、国会で議論するのも意味があるし国会中継ももっと視聴率が上がる筈である。
じゃあその論理・方法は、どのようにして導き出して行けば良いのか?
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それは私の提案する「議論の正しいやりかた」を、小学校のカリキュラムに組み入れて徹底的に練習させて子供のうちから「結論を導き出す方法」をとことん覚え込ませるのである(今の教育は答えを覚えさせるだけで、どうしてその答えに至ったか?を「考えさせる」ことをやらないのだ)。
正しいであろうと思われる結論は、先生が一方的に生徒に示すのではなく子供達が議論しながら「自然と到達する」、というのが正解である。先生はその議論に参加して不足している色々な意見を追加し、情報を補填してロジックを補強するなどして「生徒の思考力を活性化」する方向で教え導いて行くのが役目だと思う。
つまり、議論する授業は「考える力」を伸ばすのだ。暗記で毒されている受験勉強・詰込授業から、未来ある若者を開放し、自分の力で考える人間を育てようではないか!(労働者はロボットではない。考えて創造する力を持った人間である)
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