今年も恒例の芸能人格付けチェックを楽しませてもらった。毎年の事だが今年も「良い品と普通の品の差って何だろう?」を考えさせられた。たまたま私のブログに同じような感想が書いてあって、こないだそれを見つけてくれた人がいたようでアクセスカウンターに出て来たのだ。それで以前にどんな事を書いていたか興味が湧いて来て読んでみた。例えば名店の寿司とか高級ワインとかストラディバリウスなど、目の玉が飛び出るような高額商品とリーズナブルな流通品との差は、番組が言う程違いがある訳では無い!という結論だったように思う。要は人々の好みが全体に「ある方向に偏っていれば」それが良い品となるだけである。切れる包丁となまくら包丁のような歴然とした差では無い、というのが前回の私の結論だった。では今回その考え方に変化はあったのか?・・・と言うわけで、芸能人格付けチェックの2024版の感想を書きましょう。
今回の私の視聴テーマは、値段の高い安いは「需要と供給で決まる」である。世の中の殆どの品物はその品の良し悪しに関係なく、沢山売れた「需要が多い物」すなわち多くの人が価格を含めて良いと感じて購入した物によって基準が決まってくる。つまりその品の程度は「一番売れたものの品質が標準」となるのだ。その基準よりも値段が安くて品質が落ちた物は粗悪品になり、品質が良いけれど買うには高いという羨望の的が「高級品」なのである。勿論包丁なら切れるか切れないかだから話は簡単だ。だが多くの芸能人が良い物と普通の物を間違えるというのはどういうことなんだろう?。もし名店の寿司と言う言葉が「美味しい寿司」と同じ意味なら、いくら芸能人と言っても「間違える筈はなかろうに」と思うのだ。私の考えはこれら一流の品質というのは、多分一般の人が良いと考えているものと「異なる基準」で評価され選ばれているのじゃないか、というものだ。
ではその視点で番組の中身を検証してみましょう。
① 赤ワイン
個人で75連勝中という格付け王のガクトが言っていた良いワインの見分け方から判断すると、ワインというのは何よりも「香り最重視」の飲み物らしい。ヨーロッパの食文化は大体が「香り重視」のような気がしないでもないが、それが分かれば「ほぼ」ワインの良し悪しは分かったようなものです。まあ、日本人にしてみれば飲み物なんだから「味覚が先だろう!」となるんだが・・・まあワインだから西洋人の言う事に従うしかしょうがない。ワイングラスも香りを楽しむための形状だそうだから、香り重視で決めるのも仕方ないだろう。私はどっちかというと「味重視派」だから、まろやかなメルローとかどっしりとしたカベルネとか、それぞれに「違った味わいを楽しむ」のが良いと思っている。大体酒というのは、その日の気分とか体調とかによって選ぶ味や種類も変わる訳で、そういう意味では色んな要望に応じた「味が突出している物、はっきりしている物」が私にとっては良いワインかな。人間の味覚は舌にある「味蕾」が感じるらしい。で、味蕾が感じる味覚の組み合わせが、味の決め手になるって訳だ。コアラはユーカリしか食べないし、パンダは笹の葉で一生満足する。何が美味しいかは人ぞれぞれだけど、その味の種類ごとに「最高の逸品」がある!、っていうのが私の考えだ。だから最高の赤ワインと言うのも「何種類」もある筈である。きっと番組ではそのうちの1種類のワインを選び、中でも「特徴の際立った物」とそれ程でもない物で見分けさせたのであろう。ワインには当たり年というのもあるそうだ。気候の関係である種類の味が「特別に強く出る」年があるらしい。それが果たして美味いワイン良いワインと言えるのかどうかは別として、「目指す味が一番良く出たワイン」とは言えるだろう。それが何十年も経って残った数少ないボトルが「希少なヴィンテージワイン」として評価されている訳だ。需要があって供給が少なければ当然価格は上がる。これは経済の大原理である。じゃあ、二つのワインを飲み比べた芸能人は、その突出した味の違いが「分からなかった」のか?・・・私はそうは考えていない。彼等は味の違いには気が付いていたと思う。ただ、「ある種類の味が突出している」からと言って、それが値段の高い100万もする特別なワインとは思わなかっただけであろう。多分内心では「へぇー、そうなんだぁ」と思っている筈である。最高級のワインだからと言って「最高に美味しいワイン」という訳ではない。本当に美味しいワインは、大量に売られている「5千円の人気ワイン」の方なんだと思う。人々の舌は誤魔化せない。大体100万円のワインなんか、出場している芸能人の「誰もが飲んだことない品」なんである。なのにそれを当てるという。無理じゃないか?
つまり、味わった事が無いから「それがヴィンテージワインだ」という、試験に合格する受験生のマインドで答えるしかない。美味しいからではないのだ。そこがこのワイン当てクイズの「ツボ」である。この問題に関しては、正解を出したガクトは「ヴィンテージがどういうものか」を知っていた、と言うべきか。
② 弦楽八重奏
今回も視聴者の参加出来る唯一の問題が、この楽器当てクイズである。私はようやく最近になって「ストラディバリウスの音」を覚えたのでそれほど緊張はしなかったが、音色を知っている人には簡単だったろう。総額75億円というストラディバリウスだ。片方の普通の楽器と比べると価格で900倍以上もの開きがある。じゃあストラディバリウスの方が普通のものより「900倍美しい音色」なのかというと、私は「900倍かどうか分からないが、まあ違いはハッキリしてるだろうな」とは思う。間違いなくストラディバリの方が高音が際立っていて「メロディが美しく聞こえた」のである。それがストラディバリウスの特徴なのだ。普通の方を選んだ芸能人は「演奏者の楽しい感じが」とか「歴史を感じられた」とか色んな事を言っていたが、このストラディバリの特徴が分かっていないのである。特徴を知らなければ当てようがないのは当然だ。私は普通の楽器の出す音が「こもっている」のですぐ分かった。それに比べてストラディバリの方は高音が綺麗に浮かび上がって「音楽になって」いた。確かにこれ程の差があれば75億円だしても欲しがるのは無理ないと言える。ガクトはストラディバリの「音密度」と表現していたが、弦楽器の音は「木材筐体の出す振動」であり、その音が「しまっているか、いないか」の違いでもある。これは分かり易かったのではないだろうか、例えて言えば「切れる包丁」の違い、物理現象の違いと言えよう。まあ視力で言えば「遠くのものがハッキリ見えるか見えないか」の違いである。価格の差は歴然としていた。
③ チャーハン
これが今回私のテーマに一番ピッタリの問題だったと言えよう。芸能人が揃いも揃って「一番美味しい」と感じたのが誰あろう「浜田シェフの作った偽チャーハン」だったのである!。一般大衆が自分の舌に素直に従えば「気取ったミシュランより町中華」になる筈だ。だが結果は料理などしたことが無い「浜田が作ったチャーハン」を選んだ人が大半だった。これはどう考えればいいのだろう?。とにかくミシュランを選んだのは「2粒しか食べていないガクト」だけだったのが衝撃である。要するにミシュランのチャーハンというのは(私は食べたことが無いので分からないが)もうチャーハンというのは名ばかりで、実質「チャーハンでは無い別物」だったことになる。料理というのは美味しいのが一番。この美味しいという感覚は、どうしても「子供の頃から慣れ親しんだ味」が選ばれるものである。大体芸能人というのは苦労して頑張って努力して成功した人が多い。だから子供の頃に「大したものを食べていない」人がいても不思議はないわけだ。そこで浜田偽チャーハンという結果になった。私としては町中華が選ばれると思っていたので、逆に浜田シェフの作るチャーハンが「如何にチャーハンらしいチャーハンだったか」という事実に驚いた。そう言えば私もチャーハンを食べる時には「味よりも満腹感」の方を優先しているような気がした。つまり、それほど味には拘っていなかったのである。反省するべし、だ。まあ、どっちにしてもミシュランが選ばれなかった事は「ミシュランって、味の評価基準にはならない」ってこと。これは朗報ではなかろうか。料理は美味しいのが一番である。その美味しさのランクを決めているのがミシュランの調査員という、一般に食通と目されている「一種の変わり者」なのである。料理は他人の舌を信用することが如何に意味のないことか、つくづく分かる実験であった。
その他、弦楽オーケストラやダンスや寿司など、色んなジャンルで本物を当てるゲームを見せてもらった。大体において「選んだ理由を熱く語って」いる人ほど失敗しているようである。こういう問題の場合、ガクトが言っているように、具体的な違い例えば「お米の質感」のような「明確に違いの出る部分」で比べる事が正解を出すポイントなんだろうと思う。それに比べて不正解の人は「高級=高い」を誤解して、どこか精神的なある意味「印象が高級そう」なものを選んでいた。ここが失敗の原因である。どちらにしても、どこが高級なのかを「具体的な違い」として把握しているかどうか、が分かれ目だと思う。
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2024年の格付けチェックは結局DAIGOのミスで一番正解を出していたガクトのチームが「消える」という大事故が起こって番組は波乱の打ちに終了した。番組的には大いに盛り上がって大成功だった。来年も続くだろうこの企画、この上は「ガクトの個人連勝記録がいつ止まるのか」というのも番組の売りになりそう。私的にはガクトが「ワイン当て」で悩みに悩んだ末に、ギリで正解を死守する姿を見てみたい。
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