1、ワクチンパスポート
いよいよ日本も国内向けに正式に国がワクチンパスポートを導入し、色々な場面で「恩恵が受けられる」仕組みが始まるようだ。しかし前回、政府肝いりのコロナ対策として「ココア」というアプリを配布したが、結局思ったような成果が得られずに、今じゃ雲散霧消の憂き目にあっている。今回の「ワクパス」は上手く行くのか、新任デジタル大臣の腕の見せ所である。まあ日本では「お金が儲かる」という話はすぐ浸透するから、旅行やレストランなどの飲食業からイベントとか施設の利用料に至るまで、今に街中が「ワクパス割引ポスター」だらけになるのは必定だと思う。今朝ワイドショーを見ていたら、前回 GoTo トラベルをやった時は恩恵を受けた旅行業者とそうじゃない旅行業者との格差が大きかった、といった声もあったらしい。政府は業界全体にお金が落ちれば良しとするだろうが、感染症対策として「税金を使う」のであれば、なにかもうちょっと違うやり方があってもいいかな、とは感じている。これではまるで一億総ギャンブル時代みたいで、ちょっと「品がなさすぎる」などと私などは苦々しく思ってしまう。私はこういう「お金で釣る」やり方は性に合わないので、多分これからも利用はしないと思うが、もし何か大きな買い物をしたり何処か遠いところへ旅行するような予定でも出来たとしたら、その時は「ガッツリ利用」してみたいと思ってまーすっ!(偉そうに言っているけど、結局使うんかい!)。まあ税金を使うってことは、「他人の金で遊びまくる」ってぇ話だから、要するに「余剰資金の再配分」てわけだ。これはこれで、経済のコントロールという点では「理に適っている」のかも知れないな。但し、金があるやつが得をする方法なのは間違いがない。これが吉と出るか凶と出るか、年末の書き入れ時に「また緊急事態の再発出」なんてことが無いように祈るだけである。
2、八街の飲酒死傷事故
この運転手は、去年から仕事中に飲酒するようになっていて、取引先からも指摘があったらしい。この運転手を雇っていた雇用主の使用責任はどこまで裁かれるのか。雇用者が少なくとも飲酒の事実を認識していたとするならば、事故を起こした責任の一端は、雇用主も負うべきだと言えるかも知れない。例えば今度飲酒して運転した場合は「トラックは運転させない」とかの対策を取ることが、雇用主の使用責任ということではないだろうか。もし雇用主がそのような対策を素早く取っていれば、今回の子供の列に突っ込むような事故は起きなかっただろうと言える。まあ起きてしまったことをなかった事には出来ないけど、もし法整備をちゃんとしていれば事故は防げたんじゃないか、・・・これは後の祭りだが。
3、年金通知書の誤送付
何か愛知県の方の話らしいけど、こんなこと「システム的に有り得る」ことなのか?、と誰もが疑問に思うことである。ちょっと考えれば分かることだが、宛名と給付内容は「同じ一つのデータ」になっていて、ただハガキの表と裏に分けて印刷しているだけなのだ。どうやったらこんな間違いが起きるのか、逆に教えて欲しいくらいである。私はこの件が良いとか悪いとかじゃなく、素直に「ミスの原因」を知りたいので是非発表して欲しいと思っている。愛知県の担当者の方、「何とか公表」してくれませんか?
4、ワクチン2回接種で死亡が69人
重症化を防ぐという触れ込みで皆んな必死になってワクチンを打ったのに、死亡者が69人もいるなんて「聞いてないよ!」である。実際、どのくらいワクチンが効果があるかは「治験で証明」されているっていうことらしいが、ある程度ワクチン接種者が広まった後の7月8月で、東京新規感染者が5000人という大爆発が起きている。どうもコロナの感染状況は、勿論人と人との接触環境の変化によって多少の増減はあると思うが、根本的には「ウィルスの側に増減の原因がある」というのが真実ではないだろうか。イナゴの被害と一緒である。コロナの猛威も時間が解決してくれる。要はコロナが猛威を振るっている間、じっと我慢して出歩かないことだろう。感染症の対策は、古今東西これに尽きる。多分コロナで重症化したり亡くなったりする人は、(申し訳ないが)免疫力が弱くてウィルスを撃退できなかった人々である。その人々があらかたコロナにやられて減ってしまって、もう「免疫が強い人しか残っていない状況になったから」新規感染者が減ってきたのでは無いだろうか。これは集団免疫とは違った考えで、「火事で燃える家が無くなれば」どうしたって火は消えるのと一緒である。何か分かんないけど、「消えちゃったね」なのだ。免疫力が強ければ、何も対策しなくても生きていける。そう言うふうに考えるなら、生き残っている私は「免疫力強者」かも(ホント?)。さあコロナよ、また会う日まで「さようなら」!
5、SNSの作法
最近はSNS上で、他人の意見発信に対し文句をつける反対意見が殺到して「炎上する」ことがある。これが行き過ぎると「誹謗中傷」になってしまうのだが、この匙加減が難しいと私は思っている。何とか人から後ろ指をさされることだけはやらないようにしようと考えた結果、一つのルールを自分に課すことにした。それは自分が投稿しようとする記事内容が「多数意見」だと思ったら止める、「少数意見」だと思ったら投稿する、というものである。案外これが自分が矢面に立たないやり方じゃないかな、と私は思っている。そうなると少数意見で尚且つ「独創的で有益な意見」しかSNSに投稿できないことになってしまうが、元々ありきたりの意見なんて「わざわざSNSで発信」する価値もないわけで、このへんで、実際の地域社会に根ざした生活を「充実させる」ことに力を入れるべきだと思うようになった。要はストレスマネジメントの能力である。私は「これはいける!」と思った時に、ブログを書くようにしている。沢山の人が読んでくれれば嬉しいが、だからと言って「アクセス数」目当てに記事を書く、と言うのも虚しいかな。と、これが今の私の姿勢と言えそうだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます