私事だが数年前、母が亡くなった時打ちひしがれ茫然としていた自分は、誰もいない孤独の自宅にひとり取り残されて喪失感に己を見失いそうになっていた。それを救ってくれたのが、テレビの馬鹿馬鹿しいお笑い番組であり、たわいも無いドラマだった。世間の人達が何事もなかったごとく普通に暮らし、くだらない事に笑い、些細な事に感動している姿を見ていることが、しばしの間自分の不幸を忘れさせてくれたのである。あの時は1週間ずっとテレビをつけて、番組を見るとも無く流していた。何か動いているもの、良く言えば生きているものを見ていることで、自分の喪失感を紛らわしていたとも言える。人の死は、それを受け入れるまでには時間がかかる、つまり、最終的には受け入れる方法の無いまま時間が過ぎて記憶の片隅に残り続け、事あるごとに思い出しては辛く悲しい時を耐え、また記憶にしまい込む、その繰り返しである。
今回の地震の被害は甚大で、こんな時におちゃらけたお笑いや飲み会キャバレーの類の娯楽は自粛すべきだ、との声が必ず世間の中から湧き出してくる。犠牲者への哀悼の意をどうこうというのでは無いが、直接関係の無い人の自粛は被災者にとって逆に、心の拠り所を失うのでは無いだろうか。いずれ被災者も元気を出し、失ったものを悼む気持ちを心の奥底に隠して、社会復帰を果たさなければいけない。いやむしろ、普段の生活に戻ることが喪失感を忘れさせる唯一の方法なのである。笑いは社会生活の中で不可欠である。仲間と働き笑い泣き感動する「普段通りの生活」が被災者の求める1番の慰めなのでは無いか、私の経験からそう思うのである。他人のすることに腹が立ち、自分が不幸なのに他人が笑っていることを許せない、そういう人ばかりではないと思う。災害から立ち直るには、物資の供給やインフラの復旧や色々な面で支援が必要なのは言うまでも無い。が、それと同時に、心のケアにも気を配って欲しいと思うのだ。
自粛規制は何にもしないでひっそりとしていることであるから、実は無関心で嵐の過ぎ去るのを待っているだけである。自粛規制を声高に言っている人は被災者ではなく、自分は安全な場所にいて被災者を可哀想な人と見なしてダシにし、「何にでも文句つけるパフォーマンス好き」の似非善人である場合が多いとも言える。世間の人が皆んな被災者の社会復帰を願っているのなら、「戻って行く場所」を作って待っていますよ、というメッセージを私は期待する。それは活気ある普段通りの生活である。だから、どこか余震活動が一段落したら日本全体で政府が音頭を取って喪に服す事にし、2日間位の盛大な哀悼の期間を設けて義援金を募り、その後はまた普段の生活に戻るというのはどうだろう。火の消えたような自粛規制は、被災者の気持ちを考えない「浅はかな思いやりポーズ」だと私は思う。表立って心配する「おせっかいな人」より、見かけは普段通りだけど「心の中では、被災者をいつも気にかけている優しい人」に、私はなりたい。
今回の地震の被害は甚大で、こんな時におちゃらけたお笑いや飲み会キャバレーの類の娯楽は自粛すべきだ、との声が必ず世間の中から湧き出してくる。犠牲者への哀悼の意をどうこうというのでは無いが、直接関係の無い人の自粛は被災者にとって逆に、心の拠り所を失うのでは無いだろうか。いずれ被災者も元気を出し、失ったものを悼む気持ちを心の奥底に隠して、社会復帰を果たさなければいけない。いやむしろ、普段の生活に戻ることが喪失感を忘れさせる唯一の方法なのである。笑いは社会生活の中で不可欠である。仲間と働き笑い泣き感動する「普段通りの生活」が被災者の求める1番の慰めなのでは無いか、私の経験からそう思うのである。他人のすることに腹が立ち、自分が不幸なのに他人が笑っていることを許せない、そういう人ばかりではないと思う。災害から立ち直るには、物資の供給やインフラの復旧や色々な面で支援が必要なのは言うまでも無い。が、それと同時に、心のケアにも気を配って欲しいと思うのだ。
自粛規制は何にもしないでひっそりとしていることであるから、実は無関心で嵐の過ぎ去るのを待っているだけである。自粛規制を声高に言っている人は被災者ではなく、自分は安全な場所にいて被災者を可哀想な人と見なしてダシにし、「何にでも文句つけるパフォーマンス好き」の似非善人である場合が多いとも言える。世間の人が皆んな被災者の社会復帰を願っているのなら、「戻って行く場所」を作って待っていますよ、というメッセージを私は期待する。それは活気ある普段通りの生活である。だから、どこか余震活動が一段落したら日本全体で政府が音頭を取って喪に服す事にし、2日間位の盛大な哀悼の期間を設けて義援金を募り、その後はまた普段の生活に戻るというのはどうだろう。火の消えたような自粛規制は、被災者の気持ちを考えない「浅はかな思いやりポーズ」だと私は思う。表立って心配する「おせっかいな人」より、見かけは普段通りだけど「心の中では、被災者をいつも気にかけている優しい人」に、私はなりたい。
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