剣と天秤を持つ正義の女神テミスの姿は、
空観方程式でのオイラーの公式とも一体化する。
即ち複素数の、実数部が天秤で虚数部が剣である。
指数関数が目隠しでの実働を象徴している。
ネイピア数(e)の導入によって
逆関数と理想的バランス状態にある。
天秤と剣はいわば考える領域であって、目隠しは考えのない実動領域である。
目隠しは法の下での平等を象徴しているが、
ちょうど真実の下では渇愛や感情、自己都合などは混在させない、
純粋な領域であることと同一のように見える。
さらには、いささかこれもこじつけに近いのであるが、
西田幾多郎博士の「善の研究」の中にある
知識と情意の観念が天秤
「色即是空」と「空即是色」であり、
剣は執着やとらわれを断ち切るであって、
目隠しが「諸法空相」に対応している。
正しいか正しくないかの天秤(観念)だけでは
持続可能性はなく、 物事の本質が剣の部分であって、
観念と一体の関係となる。
いわば本質と観念とが動的平衡状態という
関係にある。
その結果での決意が、
真相である目隠しとして象徴され、
信じるべき真の実在「涅槃寂静」の状態が
出現し存在する。
正しいか正しくないかの観念の世界に
浸るだけではなく、
善の為に悪を指摘する建前だけでなく、
ごちゃごちゃした人生の中から、
すっきりとした純粋性が体現・一体化できるし、
余分なものや心も捨てることができる。
何か信じるものがあれば、希望を持てる。
多い少ないではなく、
例えば我欲であっても大吟醸の一滴があれば、
希望を持てるようなものだ。
これは空観方程式でいうところの
「色即是空」と「空即是色」が天秤(観念)であり、
剣(本質)が執着や自分と他との境界が断ち切られた現実であり、
真相「諸法空相」が目隠しの状態だ。
いわばオイラーの公式から
観念+本質=真相(真の実在)の関係であって、
この公式はすっきりとした純粋大吟醸の一滴、
真の実在「涅槃寂静」の象徴であるように見えなくもない。
つまりこれは
麹菌(天秤)によってでんぷんが糖化され、
酵母菌(剣)によって発酵が促され、
結果としてアルコールである真の実在が
生まれてくるようなものだ。
観念と本質は一体で尚、
観念よりも本質が先立つ。
つまり
何が正しいのか(観念)ではなく、
何が本当なのか(本質)である。
したがって
「正しいものが勝つ」とは限らない。
また観念には、
自分の都合の良いことだけを切り取って
考えるといった確証バイアスもかかる。
都合の悪いところはなかったことにする。
正義の女神が不在の場合である。
例題1 公平と正義
観念(心の世界)公平であることこそ正義だ
本質(外の世界)自然は偶発的であって尚、
全て異なるものから成り立つ
公平と正義も異なる
真の実在 心の世界を外の世界に合わせる
例題2 仕事と幸せ
観念 好きなことを仕事にするのが
幸せだ
本質 好きなことをするためには
嫌なこともしないと
できないものだ
真の実在 嫌なことも好きになることだ
空観方程式でのオイラーの公式とも一体化する。
即ち複素数の、実数部が天秤で虚数部が剣である。
指数関数が目隠しでの実働を象徴している。
ネイピア数(e)の導入によって
逆関数と理想的バランス状態にある。
天秤と剣はいわば考える領域であって、目隠しは考えのない実動領域である。
目隠しは法の下での平等を象徴しているが、
ちょうど真実の下では渇愛や感情、自己都合などは混在させない、
純粋な領域であることと同一のように見える。
さらには、いささかこれもこじつけに近いのであるが、
西田幾多郎博士の「善の研究」の中にある
知識と情意の観念が天秤
「色即是空」と「空即是色」であり、
剣は執着やとらわれを断ち切るであって、
目隠しが「諸法空相」に対応している。
正しいか正しくないかの天秤(観念)だけでは
持続可能性はなく、 物事の本質が剣の部分であって、
観念と一体の関係となる。
いわば本質と観念とが動的平衡状態という
関係にある。
その結果での決意が、
真相である目隠しとして象徴され、
信じるべき真の実在「涅槃寂静」の状態が
出現し存在する。
正しいか正しくないかの観念の世界に
浸るだけではなく、
善の為に悪を指摘する建前だけでなく、
ごちゃごちゃした人生の中から、
すっきりとした純粋性が体現・一体化できるし、
余分なものや心も捨てることができる。
何か信じるものがあれば、希望を持てる。
多い少ないではなく、
例えば我欲であっても大吟醸の一滴があれば、
希望を持てるようなものだ。
これは空観方程式でいうところの
「色即是空」と「空即是色」が天秤(観念)であり、
剣(本質)が執着や自分と他との境界が断ち切られた現実であり、
真相「諸法空相」が目隠しの状態だ。
いわばオイラーの公式から
観念+本質=真相(真の実在)の関係であって、
この公式はすっきりとした純粋大吟醸の一滴、
真の実在「涅槃寂静」の象徴であるように見えなくもない。
つまりこれは
麹菌(天秤)によってでんぷんが糖化され、
酵母菌(剣)によって発酵が促され、
結果としてアルコールである真の実在が
生まれてくるようなものだ。
観念と本質は一体で尚、
観念よりも本質が先立つ。
つまり
何が正しいのか(観念)ではなく、
何が本当なのか(本質)である。
したがって
「正しいものが勝つ」とは限らない。
また観念には、
自分の都合の良いことだけを切り取って
考えるといった確証バイアスもかかる。
都合の悪いところはなかったことにする。
正義の女神が不在の場合である。
例題1 公平と正義
観念(心の世界)公平であることこそ正義だ
本質(外の世界)自然は偶発的であって尚、
全て異なるものから成り立つ
公平と正義も異なる
真の実在 心の世界を外の世界に合わせる
例題2 仕事と幸せ
観念 好きなことを仕事にするのが
幸せだ
本質 好きなことをするためには
嫌なこともしないと
できないものだ
真の実在 嫌なことも好きになることだ