最近少しギターの演奏について考えることがある。
というのも、自分なりに単音でのギターの弾き方が変わってきた気がする。
いままでは低音とコードに支えられてなんぼの楽器という観点だったが、意外と、メロディーだけでもなんとかなるのじゃないか。それくらいギターのナマの音色は美しいものではないか、と思うようになって来た。
もともとそのような要素はあった。
ペペ・ロメロが殆ど単音ばかりのバッハのCDをつくった、という話を聞いたとき、そんなのもアリなのか?と思ったし。プーランクのサラバンドは実に単音ばかりに近い気がしたし、アメリカの作曲家で名前が思い出せないんだけど、彼の作る曲もきわめてコードの厚みを取り去ったようなものが多いし。パットメセニーもたまにぼそっとそんな曲をつくるし。
曲集に入っていた知床旅情なんかは、初心者向けに低音とコードが極力省かれていたが、それを弾くと詠唱?のような味のある演奏になった。
それくらいの表現力がついてきたのかな?
というのも、自分なりに単音でのギターの弾き方が変わってきた気がする。
いままでは低音とコードに支えられてなんぼの楽器という観点だったが、意外と、メロディーだけでもなんとかなるのじゃないか。それくらいギターのナマの音色は美しいものではないか、と思うようになって来た。
もともとそのような要素はあった。
ペペ・ロメロが殆ど単音ばかりのバッハのCDをつくった、という話を聞いたとき、そんなのもアリなのか?と思ったし。プーランクのサラバンドは実に単音ばかりに近い気がしたし、アメリカの作曲家で名前が思い出せないんだけど、彼の作る曲もきわめてコードの厚みを取り去ったようなものが多いし。パットメセニーもたまにぼそっとそんな曲をつくるし。
曲集に入っていた知床旅情なんかは、初心者向けに低音とコードが極力省かれていたが、それを弾くと詠唱?のような味のある演奏になった。
それくらいの表現力がついてきたのかな?