生きている大和川--源流をたずねて--
奈良盆地に降った雨のほとんどは大和川に合わさり、ひとつの流れとなって奈良盆地を出て河内平野に流れ出る。
その大和川に注ぐ支流は流量が乏しく、年間を通じての供給量も不安定であった。
奈良盆地では古代より、「日照り一番、水つき一番」と言われるほど干ばつや水害に悩まされ続けてきた。
大和豊年米食わず、大和日照り 干ばつの言葉も多い。また、溜池の数も多く、1996年ごろには1万近くの溜池があった。
「米一升、水一升」として水を大切にしてきた。
水の大切さは、大和には水分の神々が住むという、なら県内の4か所の水分神社「大和国四所水分神社」からもわかる。
宇太水分神社(宇陀市菟田野[うたの])、葛城水分神社(御所市関屋)、吉野水分神社(吉野町吉野山)、都祁(つげ)水分神社(奈良市の都祁地域)の4社。
それぞれ奈良盆地の東西南北から見守るかのように、水の神「天之水分(あめのみくまりの)神」をお祭りしている。
大和川、最新の淀川の分水界を形成するのが都祁水分神社
都祁水分神社は、飛鳥時代、伊勢国の修行者の霊水が白龍二頭が顕現し。ひとつは都祁の地へ、もうひとつは宇陀へ、宇陀水分神社水分神になったとの伝承がある。
この神社は大和川の源流地にあり、木津川との分水界に祭られている。
大和川の本を作成のとき、源流を確認
奈良時代の長屋王の邸宅の発掘で出てきた木簡に、「都祁氷室」と書かれたものがでてきた
長屋王が朝廷とは別に氷室を所有し氷を調達していた。現に平成3年に都祁で氷室跡が発見された。