JA7GOG - 宇宙は生成と衝突破壊の繰り返し

仮説、通説、迷信、誤解、目指せ間違い脱皮。勿論ここにも。
縄文時代、ペルシャ人が岩手で金を製錬。痕跡を探る。

獄中より

2008-06-06 10:44:22 | Weblog
甘粕が生きた時代を読めば、日本が恨まれるに至った原因が分かりそうだ。
そう思って読み始めたが、今日までのところ獄中。

甘粕正彦 乱心の広野
佐野眞一著
新潮社

獄中より
私は或る意味に於て人生の落伍者であり、世人が言ふ通り、まさしく一介の武弁だったに過ぎない。又刑余の病身者である。然しながら此の病める身と傷ついた心を持ちながらも尚日本人として、止むに止まれぬ心だけは捨てる事は出来ない。

軍人は辛い。罪をかぶったということ。
維新から敗戦まで、この時代に生きた人はすごい。
もし自分がこの時代を生きていたら、ただの傍観者でいられただろうか。
先ずは、鎧を新調する必要がありそうだ。

また甘粕の最後の秘書として仕えた満州映画協会OBの斉藤亮男は、戦後に書かれた手記で、甘粕は仏領インドネシア、フィリピン、ビルマ、アフガニスタン、パキスタンなどの少数民族の独立運動に興味を持っており、その情報網はエジプト、イラン、イラク、蘭領インドネシアから、南米方面にまで及んでいたと回想している。

膨大な資金を動かしていたのに、持ち家も残さなかったとは、集合的意味での日本人だったのでしょう。

満州は石原莞爾という傑出したイデオローグによって建造された人造国家だった。だが、王道楽土と五属協和をスローガンに掲げた満州国の理想は次第に形骸化し、日本の植民地化が目立ち始めるようになった。
とりわけ、石原莞爾、板垣征四郎、片倉衷など満州建国にあたって甘粕と苦楽をともにしたかつての同志たちが相次いで満州を去り、代わって陸軍省の意を体した小磯国昭が関東軍の参謀長として赴任(昭和七年八月)して以降、参謀本部と関東軍による満州支配の色彩が一段と強まった。

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