並木たより

写真付き日記

一風景

2007-02-23 21:19:57 | 日記・エッセイ・コラム

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我が認知症患者は喜寿の誕生日。何の祝いかもわからずに無心に誕生祝いケーキをほおばる。これも幸せの一風景。

その連れ合いは米寿を越えて、気管切開と壊死皮膚剥離の同時手術。全身麻酔で痛みも知らず昏睡。これも平安の一風景。

寝たままの姿勢で呼吸器のレントゲン撮影。若い技師は周囲の見舞い客や隣室の看護師にX線撮影開始の警告を発して避難を促し、自らは鉛の防護服で体を覆っていたが、患者の被爆には全く無頓着。これも治療の一風景。

手術の順調な終了を告げ、低空飛行ながら、なんとか治癒の方向にあるという医師の説明に、苦痛の継続を憂い、内心いっそ安楽死をと思う見舞い客。これも家族愛の一風景。某氏の言ではないが、まことに人生いろいろである。

「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(コヘレトの言葉3:1)

For everything there is a season, and a time for every matter under heaven. (Ecclesiastes 3:1) RSV

There is a right time for everything. (Ecclesiastes 3:1) NEB


付け合せ garnish

2007-02-23 11:55:13 | 日記・エッセイ・コラム

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寿司に添えてある笹の葉を食べる人は居ない。しかし、会席弁当のパセリとなると微妙なところで、サンドウィッチのパセリは解釈が分かれる。

正解はというと、「和食の付け合せは(正式には)食べない」、「洋食では全て食べる」のだそうである。

イスラエル大使館で行われた昼食会で、日本側出席者の食後の皿に、一様にパセリが残っているのを見て、特別のタブーがあるのかと誤解された話がある。

我が認知症患者は50年前の常識で生きている。言葉遣いも昔風だが、プチトマトなど昔無かった食品は、パセリ同様、付け合せとして残すのがマナーと思っているらしい。


栄養失調

2007-02-21 00:17:41 | 日記・エッセイ・コラム

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義兄は週末に気管切開手術を受けることになった。

インフォームドコンセントと言うのであろう。関係者である我々夫婦と叔母と、義兄の姪とを召集した主治医は、時間をかけて、分かりやすい言葉で、懇切に説明してくれた。

経過説明の中で、「高齢(88歳)で栄養失調なので」というくだりがあった。一年間、毎日食事を届けてきた我々夫婦には(特に給食担当の家内には)聞き捨てならない一言であった。

「何を食べても、吸収する力がなければ、栄養失調になる」と理屈では分かっていても、苦労が報いられなかったという虚脱感は、どうしようもない。

「ひととせの 努力甲斐なし 誰ゆえに この虚しさに耐えよと言うや」

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(今日のお弁当)

魚の照り焼き弁当

すき昆布の煮物

ツナサラダ  他2品

(今日の夕食)

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老い

2007-02-19 20:54:40 | 日記・エッセイ・コラム

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祝福された老いがある。そうでない老いもある。

いかなる老いを迎えるか、人知では計り知れないものがある。

しかし、心掛け次第という部分もある。老いと死の準備こそが人生であるとも言える。

人は生まれる場所は選べないが、死に場所は選ぶことができると言う。こころすべき言葉である。

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(今日のお弁当)

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(今日の夕食)

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