松尾芭蕉『奥の細道』の中に次のような俳句がある。
汐越(しほごし)や鶴はぎぬれて海涼し
意味をとりにくいので句読点を打つとこうなる。
汐越(しほごし)や。鶴、はぎぬれて、海涼し
「汐越」は、越前と加賀との国境にある地名(呼称)。
浜に松林があり、汐が満ちてくると幹が海水に浸かったところから名づけられたという。
問題は「はぎ」。
漢字では「脛」と書く。
「すね」、「はぎ」とも読む。
脛の裏のふっくらした部分は「ふくらはぎ」。
その脹脛が痛い。
最強寒波が終わったらと思ったら、今度は最長寒波。
かなり寒いが、天気は良いので歩きに出る。
意を決して富田林市寺内町までの2㎞に挑戦。
30分かかって到着。
さすがに疲れた。
それに脹脛が痛い。
近くのスーパーに入って、イートインで無料のお茶を飲んで休憩。
★
15分ほど休んで、さて、どうしよう?
帰ろうか……とも思ったが、せっかく来たのだから……。
せめてもと、お気に入りの仲村家住宅へおっちらこっちら。
かつては造り酒屋で栄えた仲村家住宅は、屋号を佐渡屋という。
富田林寺内町では数少ない表屋造り。
表通りに面して細長く店の棟を構え、その背後に居住部分の母屋がある。
街道沿いの宿場を思わすたたずまいが良い。
それに、歴史カテゴリー「その26松陰独り旅・その27松陰独行」で書いた吉田松陰が逗留した家でもある。
長州(山口県)から500㎞歩いた24歳の松陰も立っていた、低い軒先の店の前に自分も立つ。
季節も同じ蓑笠に冷たい風が浸み込む頃だ。
これだけで凛とした気持ちになる。
独り行くのも況(いわん=当然)や生路(せいろ=人生)。
もう一つお気に入りの、近くにある寺内町展望広場へ。
二上・葛城・金剛山が一望できる。
松陰も連山を眺めて日本国の未来に夢を羽ばたかせたのだろう。
そう思うだけで背筋が伸びる。
さあ、歩いて帰るとするか!
だが、最近、マンションが建って、展望広場から金剛山の裾野が見えなくなった。
それを思うと、どうも気が滅入る。
すると、脹脛の痛さがよみがえる。
さあ、どうしよう?
しかし、松陰は、富田林から600㎞歩いて江戸へ向かったのだ。
よし!
だが、松陰はペリーの黒船に遭遇し、人生の転機(処刑)を迎えたのだ!
しかし……だが……逆接の接続詞が続く時は、順接の接続詞に戻すのが良い。
そして、電車で帰ることにした。
至誠にて動かざる者は、未だこれあらざるなり
まだまだ誠が足りない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます