河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑――もったいない

2022年11月19日 | 菜園日誌

4・5月同様に、10月・11月は忙しい。
夏野菜を撤去して、耕うん・畝立て、冬野菜を植える。
秋野菜を収穫・撤去して、春野菜を植える。
春夏秋冬がこの二ケ月に重なる。

イチゴ、タマネギはすでに定植し終えて、今日はエンドウ、スナップ、絹さやを定植。
スイカと並んで最も連作障害が起こりやすく、四、五年は同じ場所で栽培できないやっかいな野菜。
毎年、植え場所に苦労する。
そこで今年はめったに植えたことがない北の端っこの畝に。
南にへこんだカーブになっているので北風で倒れる可能性が高い印象。
まあその時はその時と、杭を立ててネットを張る。

ネットを張るのはもっと後でもよいのだが、寒くてチメたい時にやるのは苦痛。
どうせ張るのだから暖かいうちに。まいど毎度のグータラ農法。
それに、「権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる」でカラス除けにもなる。
ネットは18m。三種か三個ずつ苗が余った。これは「捨て苗」にする。
「捨て苗」といっても捨てるわけではない。もしもの時の予備の苗としてしばらくは保管。

本来は田植えの後に余った苗を田んぼの隅に予備として保管しておくのを「捨て苗」と言った。
江戸時代の話。
ある貧農の家に生まれた男が、あちこちの田んぼに捨て苗があるのを見て、
役目がすめば捨てられるのはもったいないと、捨て苗をもらい集めた。
そして、荒れ地を耕し捨て苗を植える。
毎年、それを繰り返していくうちに田はどんどん広くなり、やがて豪農家になったという。
その人こそ、あの天下の篤農(とくのう=農業に熱心で研究的な人)二宮金次郎こと二宮尊徳である。

捨て苗も捨てたものではない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑――自然回帰

2022年11月18日 | 菜園日誌

10月の下旬に玉ネギを定植。
それから三週間ほど経っているので、薄い人糞尿を施す。ニ月の中旬頃にもう一度下肥(しもごえ)をやる。

これは明治40年に書かれた『家事農芸談』にある施肥方法。
今はもちろん、化成肥料をパラパラと蒔く。
ところが、この化成肥料が倍近く値上がりしてたまげている。
思わず下肥にしようか・・・と思うが、水洗なのでそうはいかない。
たまったものではないので、昔よくやっていた稲ワラ堆肥を作ることにした。

バインダーで稲を刈った田んぼからワラを集めてきて、
鶏糞と糠とボカシ堆肥をサンドイッチして積み重ねる。
雨にあたるとシナッとなるので踏み固めて、ワラを追加して1メートルほどの高さにする予定。
二、三ケ月して湯気が上がっていれば発酵している証拠。
肥料の値上がりはとんだとばっちりだが、堆肥作りは思わぬ自然回帰。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする