八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

☆☆2023年新人会夏学季講座のお知らせ!☆☆

2023-03-25 01:42:14 | 〝哲学〟茶論
 花時雨の日々のなか、桜の咲き誇りもいまだ見ぬうちに、盛りの春は終わろうとしているのでしょうか。
 そのなかで、2020年から猛威をふるったパンデミックは、2023年になって、いくぶんその勢いを失い、人びとは、忘れかけていた日常を、過剰にも取り戻そうとしているかのようにも見えてきます。

 とは言うものの、いぜんとしてミャンマーの惨状やシリアの避難民、そして言うまでもなくロシアのウクライナ侵攻による双方の多くの戦死者や犠牲者はあとを絶たず、そんななかこれまでのアメリカの絶対的支配力にルサンチマンと憎悪を強め、帝国主義的意識の勝ったロシアや中国が、市場原理主義と排他的国家意識をひっさげて対峙する世界の情勢は、ますます混迷を強めていくようにも見えてきます。
 たしかに、ここ数日のWBCのスポーツを通じてのヒューマンなありようを垣間見ることはできたものの、こうした状況下のなか厚く覆った雲はなかなか晴れ間を見せてくれないなと思うしだいです。

 とは言え、これまでの歴史を見るまでもなく、いつまでもそんな停滞のなかに人びとは沈んでいることはないでしょう。気力を奮い立たせ、とぼしくとも光を求めて、歩き出すのがもっとも大切なことのように思います。

 そんなこともあって、すでに20年以上おこなっている講座を、2023年も、まずは夏学季の講座としておこないます。
 <戦時中、国民学校での軍事教練>

 そこでテーマについてです。
 まことに私事で恐縮ですが、わたしはこの春、45年間仕事として続けていた教師の職を、いったん終えることにいたしました。よく考えると、長くやってきたものです。
 はじめの初任校は、全国でも珍しい全寮制の農業高校でした。つぎには山間の小さな定時制高校に赴任しました。そしてそのあとは古い伝統を誇る県立の女子校に勤め、そこを退職し、たいしたあてもなく上京し、塾講師や予備校の講師、その間に雑誌や機関誌の編集の仕事をしながら、社会評論や文芸、歴史ものの執筆、いろいろな講座の講師や一時は大学での講座をしたり、よく生き延びてきたな(?)と思うしだいです。
 とは言え、そんなふうにさまざま食い扶持を求めながら、ずっとやり続けたのは、10代後半から20代にかけての若者と交わることでした。
 言い換えれば、教えるという仕事を通じて、彼ら彼女らとともに〝学び〟の意味を探ってきたと言えるかなと思うわけです。
 
 そんななかで、〝学び〟とはいったいなんだろう。いまの学校のあり方や「教育」とは、はたして正しいのだろうか。そんな思いをずっと抱き続けてきました。

 <国民学校一年 国定教科書>
 言うまでもないことですが、これほど幼児教育から大学まで、学校が整備され、多くの人びとに〝学び〟の場が存在するのに、世の中には「反知性主義」が蔓延り、悪意のフェイクがたくさん散らされています。教育とは無力なのか。そんな思いもよぎります。
 たしかに資本主義がおこった19世紀からは、「学歴資本」が「経済資本」に転換されるだけで、〝学び〟の精神と共鳴するはずの「文化資本」にはなかなか転化していかない状況が続いています。実利と拝金のスキルばかりが重んじられ、〝学び〟が導き出す「人格の陶冶」はなかなか実現されないようすが見て取れます。いったい、それはなぜなのでしょうか。
 そこで、たとえば日本における江戸時代には、どんな教育がなされ、近代「国民国家」になり、どんな教育が求められ、さらに戦後の民主主義教育とは、いったいいかなるものだったのか。
 そうしたことをひとつひとつふまえながら、現在の〝学び〟とは何か、いったい〝教える〟とはどんなことを意味するのか。それらを再考する意味はけっして軽くはないように思います。
 そこで、そうした考察を、みなさんとともに重ねていきたい。
 そのように思い、この講座を開設することにしました。できるだけ、多くの方々の〝学び〟の体験と教育の意味について、お話ししていきたいと考えています。
 そんなわけですので、多くの方々の講座へのご参加をお待ちしております。 

 以下に講座のflyerを貼っておきます。
 今回の講座も、zoomによって、またアーカイブでも受講できます。とくにzoomでの受講では、これまでも受講される方と講師、あるいは受講される方々の間での、多くのご意見やお考え、質疑応答の交歓が活発におこなわれています。
 日ごろ、考えていることや思うこと、そうしたことを語りあう、あるいは対話にあげることで、物事の理解はますます深まっていくように思います。その意味でも、多くの方々のご参加をいただければ幸いです。
 また、恒例の「講外講」も企画しております。今回は佐原の伊能忠敬と佐倉にある国立歴史民俗博物館(歴博)の旅の予定です。こちらのほうも、お時間がありましたら、ぜひご参加ください。

お申し込みは、NPO新人会のメールアドレス:
 までお願いいたします。
 (ご参加については4月20日まで
   お申し込みいただけると幸いです)
 折り返し、講座担当から、
 講座についての詳細の
 ご連絡をさせていただきます。

        記
*NPO新人会2023年夏学季講座*
 
〝学び〟とは何か?
 「お受験」から
  「Reskilling」まで!
 ~教育と「国民国家」の現在~

◇期間:<全5講>2023年4月23日
             ~7月2日
◇日時:隔週日曜日<午前11時~12時>
*全講zoomかGIGAファイル便での受講
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
     *学生3000円  
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメを
    送付いたします。
    それに沿って講座は展開されます。
【講座内容】
 いまどきのこの国で、〝教育〟についての話はほとんど個々の記憶(Nostalgia)のなかで語られ、「ドラゴン桜」にせよ「ビリギャル」、「2月の勝者」にしても、その多くは受験の成功者による武勇伝ばかりが幅をきかしています。いかにしてエリートになり得たか、成功したか。親たちも子どもたちも、みな受験の勝利者が成功者であるという呪縛から逃れようとはしません。横ならびの実利のための学歴資本を得ることが最善という〝信仰〟のなんと強固なことか。そのなかで〝学び〟の精神は疎外され、いつの間にか空疎な競争社会とともにそこからの落伍者のニヒリズムが社会を覆ってしまっています。そこでこの講座では、みなさんとの対話の「トポス」を再設置し、「学び」の精神について深く考えたいと思います。
 【日程とテーマ】
・第1講(4月23日):
『学問のすゝめ』とは?
~序論:〝学び〟は誰のためにあるのか?
・第2講(5月14日):
国民皆学」と〝生活綴り方〟
~近代「国民国家」の教育とは?
・第3講(6月4日):
「大学」と知識人
~エリートと民衆について:人財か人格か?
・第4講(6月18日):
「平等」と〝競争〟
~再考:戦後の「民主主義教育」とは何か?
・第5講(7月2日):
「学び」の現実と「場topos」の現在
~結語:いま〝学び〟とは?
 
☆講外講:7月15日(土):
伊能忠敬の佐原と佐倉「歴博」の旅!(予定)☆

 




 


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☆☆11月26日あざみ野講演会のお知らせと秋学季第3講の受講御礼☆☆

2022-11-13 18:30:51 | 〝哲学〟茶論
 今日は、2022年秋学季講座の第3講、
テーマは、「ソ連」「中国」はほんとの社会主義国家なのか?
というお話しでした。
 レジュメの冒頭の1ページだけあげておきます。
本講座では、毎回このようなレジュメをみなさんに事前に送らせていただき、お話しを進めさせていただいています。

 受講なさっている方は、現在40人くらいですが、zoom講座終了後、アーカイブ版をみなさんにおくっていますので、いつでも、どこでも、いまやっている『意外に知らない「社会主義」そして「共産主義」とは何か?』という講座も、これからでもじゅうぶん受講が可能です。
 とは言うものの、やはりライブのzoom受講は、直接に質疑応答ができ、また自由討議ができて、その際、いろんな意見や感想が出てきて、じつに多様で、おもしろいし、また白熱したお話しができます。
 この際、ライブでご参加いただけると(本講座はあと2回ライブ参加できます)、うれしい限りです。
 
 それに昨年以降これまで行ってきた
ジョージ・オーウェルの『1984』講座だとか、『司馬遼太郎を読む!ー「司馬史観」を考える』などの講座も、すべてアーカイブ版で受講可能です。
 ご興味がありましたら、ぜひご視聴ください。
(お申し込みはNPO新人会npo.shinjinkai1989@gmail.comにお願いします)

 さて、そして今回はもう一つ。
 11月26日(土)に、元衆議院議員であった首藤信彦さんとわたしとで、戦後政治についての講演会があります。
 場所は、田園都市線あざみ野下車5分のところにある山内地区センターで、時間は13時30分開場、14時からわたしと首藤さんの順でお話しをいたします。
 いまの日本の政治にご興味ある方、〝ハナシ〟にならない法相の辞任やいつもでまかせに〝スギタ〟ことばっかり言っている政務次官なぞが、なぜ政府の要人となっているのか、そんなお話しをみなさんで考えていきたいと思っております。
 下記にflyerを張っておきますので、ご興味ある方は、主宰者である「放課後バンド」まで連絡していただき、ぜひご参加ください。
 *放課後バンド 090ー7638ー5093か
    mail:nnn@yokohama.email.ne.jpまで、
  よろしくお願いいたします。 



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『平家物語』と国葬・・・。「名こそ惜しけれ」

2022-10-02 10:28:34 | 〝哲学〟茶論
 昨日は、京都新聞・京都商工会議所共催の「京都検定講座」にご参加いただき、ありがとうございました。
 
 テーマは「『平家物語』の世界」というおおきなテーマでしたが、なんとか120分のなかに『平家物語』のなんたるかをお話しできたかと思っています。

 ご存じのとおり『平家物語』は、この国屈指の叙事詩とも言うべき物語で、しかも足駄を履き、頭陀袋を下げた盲目の琵琶法師によって〝語り〟つづけられてきたものです。
 眼で見る、書を読むといったものとはちがい、耳朶を震わせ、脳や胸間をいっぱいに満たす「音」は、なによりも人びとの情感を揺さぶり、情緒とカタルシスに訴えかけます。
 琵琶法師は、地面から激しく熾きおこるように琵琶をかき鳴らし、独特の音声(おんじょう)と旋律で、あえぐように、切々と訴えるように、ときには息を潜め、すすり泣くように、平家の〝盛者必衰〟のことわりを物語っていきます。

 『平家物語』は、たしかに木曽義仲、源九郎義経の衰亡も語るのですが、おおよそは平家の滅亡、つまりは壮大な平家〝埋葬〟を物語るものでした。
 そして、そこで語られる抒情は、気まぐれな情感や皮相的な情緒ではなく、まるで映画のコマ落としのように、平家が栄耀栄華を極めた淵からあっというまに衰滅する。その激しさを語るものでした。
 そこには因果応報、諸行無常とはいうものの、それをも包み込んでの眼に見えない巨大な〝運命〟の存在を感ぜざるをえない。その叙事詩的な運命の語りとして『平家物語』はあったように思います。

 そんな平家のお葬式の物語を考えていたら、ちょうど安倍晋三元首相の「国葬」(政府は国葬儀だと言い直していますが・・・)をテレビが録画で映していました。
 「国葬」の成否については置くとして、国葬の様子をテレビで見ながら、ふと気になったのが、世間ではすばらしい弔辞だと評判になった菅義偉元首相の弔辞のことです。
 あらめて、その情景を眺めていて、いかにも荘厳に、また深い哀悼を演出しようと、またいかに涙声で語ろうと、反対に、どうしようもな軽さと薄さを感じてなりませんでした。
 それと、へんな話をとりあげたもんだな。それが率直な感想です。

     <山県有朋>

 
 弔辞では、あるとき菅氏が安倍首相の執務室で机の上を見たら、読みさしの本があって、その本にはページを折った部分にマーカーが引かれてあったという話です。
 本の書名は岡義武著『山県有朋』(岩波新書)。
 その折られたページには、伊藤博文がハルピンで暗殺されたあと、伊藤博文との松下村塾以来50年の交友を回想し、山県が、
  かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ
       今より後の世をいかにせむ
 と一首詠じたとあり、そこで菅氏は万感の思いを込めて、故安倍氏と自らの交友を重ねていくわけです。

 このくだりを聞いて、不思議なことに、すぐに菅氏が岡義武著『山県有朋』をほとんど読めてもいないし、もしや読んでもいないかもしれないと、口をついて出てきました。
 同じ事はマーカーを引いた故安倍氏本人にも、そのことを思わざるをえませんでした。
 この和歌が出てくるのは、ちょうどこの本のまんなかあたりで、それから約100ページあまり、岡義武による山県有朋論が展開されているわけです。そこにどんなことが書かれているのか。
 菅氏も亡くなった安倍氏も、その先はほとんどで読んでいない。
もしかして、その前後に書かれていることも、お二人の目には入っていなかったんじゃないか。

 和歌がある前後の文章をお読みになったかたは、すぐに気づかれたと思われますが、山県はこのころ伊藤を避けるため、伊藤がこの当時、朝鮮総督に出ている事を幸いに、自ら率いる「軍閥」の権力基盤強化をはかっていたということが書かれています。
 そこで政友会の原敬は、伊藤が高齢であるのに、長く朝鮮総督の激務についているのは不憫ではないかと掛け合うのですが、山県は応ずる気配がない。
 原はなんとか首相の桂太郎に談判して、伊藤を帰国させる算段をつける。その矢先におこったのが、ハルピンでの伊藤博文暗殺事件でした。

 そもそも山県と伊藤は同じ長州というのに、あまりにも違いがありすぎました。山県はことあるたびに吉田松陰を持ち出し、自分は松下村塾で松陰先生の謦咳に触れたと言い廻っていますが、おそらくその話は山県の嘘言と言っていい。
 山県は松下村塾の座敷にあがり、直接に松陰に接することはなかったと言われているのです
 ほぼ百姓身分であった山県は、座敷で松陰を囲んで学んでいる場からは遠い土間か玄関先にいて、座敷で語られている話を漏れ聞く程度でしかなかった。座敷で松陰の教えを受けていたのは、高杉晋作や久坂玄瑞たちであり、松陰と親しく口をきいてもらえたのは伊藤俊輔(博文)、井上聞多(馨)らでありました。山県はそのなかにいなかった。
 後世、山県がことあるたびに松陰のことを持ち出すのは、伊藤たちへの山県のコンプレックスではないか。山県と伊藤には、このように眼に見えない乖離があったと言えるのです。

 明治天皇に接するときもそうでした。伊藤はそもそも明るい性格で、明治天皇はそうした伊藤をたよりにし、なにかと問いかけます。伊藤はそのたびに天皇の期待以上の反応を示し、天皇から絶大な信用をえていきます。
 しかし、山県は狷介な性格が邪魔をしたようです。明治天皇は晩年、飲酒が過ぎて、会議の途中で居眠りをするようになったそうですが、すると山県は、自身の軍刀を床にたたきつける。コツコツ、ドンドン、コツコツ、ドンドン・・・。そうやって目を覚まさせる。
 言葉で問いかけることをしない。無言で床に軍刀を打ち付ける。そこに山県の陰険さが覗けるのです。

 およそ好日的な伊藤に対し、山県は言葉で対抗せず、無言で、あるいは伊藤の言葉を無視するやり方で自我を押し通す。そのようにして山県与党である牢固とした「軍閥」機構をつくり上げていきます。

 さきほどの和歌に戻ります。作歌の上手い下手は問わないとしても、山県の一首は、どうにも月並みな情感しか感じ取れません。
 とりわけ下の句である「今より後の世をいかにせむ」は、人の死を悼むというよりは、これから自分がこの国の舵をどう取っていくのか。そうした自分を鼓舞するかのようにも読みとれます。
 伊藤とのこれまでの交友をふり返り、慚愧の思いや悲しみを述べた和歌とは読み難い。なにか冷たさすら感じられます。
 なぜ、その和歌にマーカーを引き、そのことを取り立てて弔辞に盛り込むのか。

 著者である岡義武は、この和歌の付近の文章で、山県が伊藤のことを評して、「伊藤という人間はどこまでも幸運な人間だった」と周囲に語っていたこと、「死に所をえた点においては自分は武人として羨ましく思う」と述べていたことを記しています。あくまでも自分と比べて、伊藤はどうであったかを述べている。
 そこに弔いの心情を見いだすことは難しいように思います。
 
 山県も死後、国葬になりました。本書にもあるように、山県の国葬は自身の不人気ゆえに、『東京日日新聞』は「幄舎はガランドウの寂しさ」との見出しをつけ、議員の出席は少なく、軍人の参列ばかりが目立つ、あたかも「軍葬」のようであったとされています。
 『東洋経済新聞』の石橋湛山は辛辣にも「死もまた社会奉仕」と山県の死を評しています。

 なぜ、菅氏はこの山県有朋の歌を引いたのか。涙ながらに語る、その背景になにがあるのか。たしかに読みさしの本があり、そこにマーカーが引いてあったというくだりは、感動を誘うもののように思います。
 しかしながら、一冊の本を読み通して、そこに深い感慨を得るというよりも、岡義武の本をつまみ食いしたような、しかもいかにも安っぽい解釈とその情緒の演出には、この菅氏という人間がいかに薄っぺらな人生訓しかもっていないのか、そんなことが透けて見えてきます。
 またマーカーを引いた故安倍氏も同様に、はたしてこの本を読み通したのか。自分の都合のいいように言葉を引き、調子よく符牒をあわせてきたのではないか。そんなふうにも思わざるをえません。

 長きにわたって続いた安倍政権が終わって、見返してみるならば、たしかに「アベノミクス」にしても「安倍外交」にしても、目先だけに執着して、表層をつまみ食いするような政権だったと言わざるをえません。

 というわけですが、そんな思いのなか、昨日、『平家物語』のお話しをしながら、壇ノ浦の戦いで必滅の際に立った平家の総帥新中納言平知盛の言葉を思い出していました。

 有名なのは「見るべきほどのことは見つ、いまは自害せん」ですが、思い浮かんだのは、そうではなく「名こそ惜しけれ」でした。

・・・新中納言知盛卿舟の屋形にたちいで、大音聲をあげての給ひけるは、「いくさはけふぞかぎり、物ども、すこしもしりぞく心あるべからず。天竺・震旦にも日本我朝ならびなき名将勇士といへども、運命つきぬれば力及ばず。されども名こそおしけれ。東国の物共によはげ見ゆな。いつのために命をばおしむべき。・・・
(「日本古典文学大系」『平家物語』巻第十一)

 運命つきぬれば力及ばず
 (力およばず運命が尽きた)、
 されども名こそおしけれ
 (死を前にして見苦しい振る舞いを
         してはならない。
    あくまでも名誉のなかに生きよ!)

 「名こそ惜しけれ」。ここには〝決死の抒情〟というものが低く重く流れているように思われます。
 そう思うにつけ、壮大な平家の埋葬劇であった『平家物語』について語りつつ、いかにも一場のお涙ちょうだい程度の情緒に浸って、それをもて囃すこの国の政治家やマスメディア、そして民衆に、いったいいかなる眼差しを向けたらいいのか。

 この国の〝軽さ〟ばかりが気になってしかたがない。
 なにか、大切なものを失い、また失いつづけている。
そう思わざるをえない2022年10月のはじまりでした。

     <『平家物語絵巻』壇ノ浦>

   
 

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☆☆京都検定講座『平家物語』のご案内とその他のこと☆☆

2022-09-26 12:25:00 | 〝哲学〟茶論
 はじめに、こんなことは書きたくないのですが・・・

 そもそも、お葬式って、しみじみ故人を偲び、
これまでお付き合いのあった事柄をふり返り、
けっして届くことのない、別れの言葉をおくるもので、
イヴェントなんぞじゃないですね。
 国葬? 厭なご時世になりました。

 そんななかで、滅亡した平家の鎮魂を切々と詠いあげ、死者を悼み、〝盛者必衰〟のことわりを語った琵琶法師の事跡をたどりながら、『平家物語』をみなさんと一緒に考えてみたい。
 そんな思いを込めて、10月1日(土)15時30分から2時間ほど、西巣鴨にある大正大学で、〝平家物語〟のお話をします。
<『平家物語絵巻』那須与一>

主催は京都新聞と京都商工会議所で、
お問い合わせ、お申し込みは、
京都新聞文化センター075-213-8139に
お願いします。
以下概要です。

【第1回】「時代を彩る戦記物を読む!」 時代を彩る戦記物partⅠ
   〝祇園精舎の鐘の声〟と建礼門院の寂光院 10月1日

概要
 中世の時代には、いろいろな戦記物が書かれ、語られてきました。そのなかで今回は『平家物語』の面白さをお話しします。
 壮大な戦記『平家物語』に交差する人間模様。戦時の吶喊と亡者の寂滅、そして最終章での建礼門院の愁歎。そこには何が語られているのかをお話しします。
曜日・時間会場-10月1日・大正大学(都営三田線西巣鴨駅下車3分)
指定 15:30~17:30
東京会場
1回
開場時間:15時

  

2022/10/01(土) 15:30~17:30
お申し込み
料金区分受講料
受講料2,750円 

 以上です。

 それと9月25日開講した〝意外と知らない社会主義と共産主義〟の講座ですが、多くの方に参加いただき、心からお礼申し上げます。
 まだ若干、定員には余裕があります。これからでもアーカイブでの受講が可能ですので、ぜひご参加ください。
お問い合わせ・お申し込みは、
npo.shinjinkai1989@gmail.comまで
お願いします。

 それから追加ですみません。
9月20日に「日刊ゲンダイ」の「人生100年」をテーマに、江戸時代の〝レジェンド・シルバー〟について書きました。

 ご覧になった方もいるかと思います。
これは前編で後編は、今月末、9月29日に出ます。
よろしければ、お買い求めいただければ幸いです。

 あと数日で10月になります。
このところ台風続きで、すっかり引きこもってしまっていましたが、心機一転、また街にでて、秋晴れのもとの美しい秋を楽しみたいと思っています。

 最後に、先週の9月19日の〝川嶋久人:戦争と肖像〟の写真フォーラムには、定員が40名のところ43人の方にお集まりいただき、たいへん盛況でした。主催者側として、心から感謝申し上げます。
 ありがとうございました。

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☆☆秋季講座のご参加・申し込みは、9月23日までお願いします!☆☆

2022-09-21 15:35:58 | 〝哲学〟茶論
 〝意外に知らない社会主義 
   そして共産主義〟の講座は、
 9月23日(秋分の日)が
     締め切りです!

 これまで10年以上、こうした講座をやってきましたが、コロナ禍となり、予想もしていなかったオンラインでの講座を開くことになりました。
 じっさい、やってみて、会場での盛り上がりとはちがっての熱気が、醸成されているという感じをもつようになりました。
 
 わたしの講座では、一方的な講演という弊害を除くため、みなさんが参加する質疑応答・自由討議の時間を設けています。
 会場だと何かと遠慮があるようなのですが、
オンラインでは、しばしば講座が80分、そのあとの質疑応答・自由討議が60分なんてことになります。
(もちろん質疑応答・自由討議の途中退席はまったく自由です。)
 
 おそらくみなさんが、ご自宅なり、公園など野外も含めて、
それぞれ自由で快適な空間から講座を受講していることも関係しているのかもしれません。
 でもそれ以上に、
 気兼ねなく、VIDEO-OFFも自由ですので、
そんななか、いろいろ自由に発言できるし、
ご自身の考えを表明できるからではないかと思っています。

 まだ、ご参加をためらわれているかたにも、
 この機会にご参加いただければと思います。
 そして、ぜひご一緒に、
 現代社会の諸問題も含めて、
 〝思考の現場〟として、
 この講座がかたち作るられていければ、
 すごいことだなと思っています。

 とは言うものの、いろいろ準備等があり、
 お申し込みの締め切りを9月23日(秋分の日)までとさせていただきます。よろしくお願いいたします。

 以下、要項とflyerです!
           
*NPO新人会・宏究学舎*
 2022年秋学季講座
◆時代に杭を打つ!partⅧ◆
意外に知らない〝社会主義〟
      そして「共産主義」
◇期間:<全5講>2022年9月25日
          ~2023年1月22日
◇日時:毎回日曜日
<講座午前11時~12時:質疑応答約40分> 
*全講zoom(質疑応答可)orアーカイブ(映像ファイル送付)で講座を行います!
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
*大学生・高校生3000円
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメ送付。
 それに沿って講座は展開されます。
【日程とテーマ】
・第1講(9月25日):
 〝社会主義はヤバい?〟
  ~その起源、共産主義とどう違う?
・第2講(10月23日):
 〝日本人は社会主義が嫌い?〟
  ~大逆事件と2・26事件は?
・第3講(11月13日):
 〝ソ連・中国・北朝鮮・キューバ!〟
  ~社会主義は失敗したか?
・第4講(12月11日):
 〝戦後日本の社会主義とは?〟
  ~立民と共産は社会主義か?
・第5講(1月22日):
 〝いまなぜ社会主義か?〟
  ~社会主義はヒューマニズムなのか?
◇お問い合わせ・お申し込み◇
 E-mail:npo.shinjinkai1989@gmail.comまで
*ご連絡を受けて、
 受講の仕方や講座料の振込等を
      お知らせいたします。


        

 

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☆☆川嶋久人緊急写真フォーラム『戦争と肖像 ウクライナの現在』☆☆

2022-09-11 16:03:28 | 〝哲学〟茶論
 いよいよ
 『川嶋久人緊急写真フォーラム
〝戦争と肖像・ウクライナの現在〟』
  写真展の日が
   近づいてまいりました。

 まだお席には、まだ10席ほど
余裕がありますので、
ぜひこの機会に、みなさまのご参加を
お待ちしております。
 フォーラム終了後は、打上も考えております。
いろいろなお話しができるかと思いますので、
 こちらのほうのご参加もご検討ください。

なお、ご参加については、以下のメールで承っております。
よろしくお願いいたします・
 npo.shinjinkai1989@gmail.com
 yagashiwa@hotmail.com

     記
HISATO KAWASHIMA
緊急写真フォーラム
 「戦争と肖像 ウクライナの現在」
・2022年9月19日(月)
 14時開場:14時30分開演~16時30分迄
 会場:としま区民センター 503会議室
    JR他各線池袋駅(東口)徒歩7分
 会場費:1000円(カンパとして)
*川嶋久人は9月上旬帰国し、
  帰国後、初の写真展です。
主催:NPO新人会
・お問い合わせ・お申し込み-E-mail:npo.shinjinkai1989@gmail.comまで 

☆当日の日程
◇2022年9月19日
14時開場
        14時30分開演
 基調報告(約60分)
 「戦争と肖像 ウクライナの現在」について
              -川嶋久人
 補助講演(約30分)
 「戦争の終わりを考える!」
          -歴史家・八柏龍紀
 自由討議(約30分)
  ウクライナのいまを考える!
◇ウクライナの映像は、会場で展示のほか、基調報告のなかでスクリーンで映写します。



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☆☆9月からの講座のお知らせ!〝意外に知らない社会主義。そして共産主義〟講座☆☆

2022-09-05 13:32:58 | 〝哲学〟茶論
 9月25日を初講として、
各月一回のペースで〝社会主義〟や「共産主義」、あるいは〝アナーキズム〟のお話しをいたします。

 この講座は、社会主義や共産主義の理論的なお話しというより、
なぜこうした思想が生まれてきたのか、なぜこの思想にもとに国づくりがはかられて、結果として行き詰まった国が、なぜ出てきたのか? 
 そして、社会主義も共産主義ももはや過去の遺物となってしまったのか?
 そんな疑問にわかりやすく素直に考えていく場にしたい。
 そう思い、講座を設定いたしました。
 おおきくとらえて、主義や思想、言い換えればイデオロギーといったものが、どのようにして生成と衰退、再生されていくか。
 それらを、ひとつの〝歴史の物語〟としてお話ししようと思っています。

 ですから弁証法だの「唯物論」「物象化」「労働価値説」がどうとか「剰余価値」がどうしたなどといった、抽象的な言葉の解説を行うといった不毛なお話しは、
 ・・・そんなことを書くと怒られるかもしれませんが、いたしません。 
 その意味でも、あくまでも〝社会主義〟や「共産主義」を今日的な視座から捉え返して考える。そんなお話しをしていこうと考えています。
 そのため自由討議、質疑応答の時間も十分において、参加されるみなさんとともに、講座を進めていこうと思っています。
 知識を広げるというより、思考を深める。
 それが意外なところから見えてくる。
 そんな講座になるかと思います。
 ぜひご参加ください。
 
 詳しくは下記にありますが、講座はすべてzoomで行われます
 また、zoom受講の時間的な都合がつかない場合も含め、受講なさる方すべてに、アーカイブでご視聴できるよう講座後に映像等を皆さまのメールアドレスに送付いたします。

 なお、講座の開始が9月25日ですので、3日前の9月22日までをお申し込みの期限とさせていただきます。
 
 また講座料のお振り込み等の案内につきましては、下記の新人会メール、あるいは八柏龍紀メールまで、お問い合わせください。参加のお申し込みメールをいただいた時点で、速やかに返信メールをいたします。
 npo.shinjinkai1989@gmail.com

というわけで、以下詳細とflyerです。

      
【要項】
◇期間:<全5講>2022年9月25日
        ~2023年1月22日  
◇日時:毎回日曜日<講座午前11時~12時
          :質疑応答約40分> 
*全講zoom(質疑応答可)or
 アーカイブ(映像ファイル送付)で講座を行います!
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
     *大学生・高校生3000円
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメを送付。
 それに沿って講座は展開されます。
【日程とテーマ】
・第1講(9月25日):〝社会主義はヤバい?〟
    ~その起源、共産主義とどう違う?
・第2講(10月23日):〝日本人は
            社会主義が嫌い?〟
    ~大逆事件と2・26事件は?
・第3講(11月13日):〝ソ連・中国・北朝鮮
              ・キューバ!〟
    ~社会主義は失敗したか?
・第4講(12月11日):〝戦後日本の
             社会主義とは?〟
    ~立民と共産は社会主義か?
・第5講(1月22日):〝いまなぜ社会主義か?〟
    ~社会主義はヒューマニズムなのか?




 

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川嶋久人☆緊急写真フォーラム☆開催のお知らせ!

2022-08-22 14:16:44 | 〝哲学〟茶論
 〝緊急写真フォーラム〟のお知らせです。

 旧統一教会と自民党を主とする政治家の癒着ぶり、最近は論点ずらしが蔓延り、関係をもったのは自民党の安倍派、いわば「清和会」だ。だから他の派閥なんかは関係ねー、って雰囲気を必死になって醸しだそうとしていますが、政治家がいかに政治屋なのか、あるいは〝三百代言〟といっても、知らない人が多いかな? 詭弁を操り、自己保身に走る手合いなのか。
 どっぷり旧統一教会に首まで漬かっている萩生田さんにしろ、旧統一教会絡みだけじゃなく、暴言を繰り返す杉田水脈女史にせよ、彼ら彼女らは世間をナメている輩であるわけで、はやく退場しろとしか言いようがないわけですが、それにしてもひどい!
 そもそも「反共」って、いつの時代だよ? 
 そんなもはや遠い〝東西冷戦〟〝55年体制〟の、いまの現実的とそぐわない、まるでひよこのお尻に殻をくっつけたままのようなイデオロギーが、いまどき存在すること自体おかしいし、これほど日本は停滞してしまっているのか? もっと学べよ!
(ちなみに9月25日からのわたしの講座に〝出てこいやぁ-!〟) 
 しかも自民党「右翼親米保守」の連中が声高に叫ぶ、〝家族〟とか〝夫婦別姓反対〟〝LGBTQ 排除〟などは旧統一教会の教義そのものだだったり、いやそれだけではなく自民党の憲法改正私案も、旧統一教会の要求をそのままパクってんじゃないかと疑わざるをえない代物・・・。
 そもそも「反日」思想で、日本は〝エバの国〟で永久韓国に献金し続けなきゃならない。ずっと奉仕し、従わなきゃならないという旧統一教会の教義に、日本の右翼親米保守が相伴して、票をもらい選挙のボランティアをやってもらっている。いったい、これら議員らは、どんだけ人気がないのか、手弁当で手伝ってくれる人がいないのか。
 それ以上に、安倍元首相を筆頭に、この国の〝右翼〟の質がいかに低いか、ご都合主義か、脆弱惰弱かよくわかるし、〝ネトウヨ〟のイデオロギーもどきも、パコパコの犬小屋でギャンギャン吠えまくる質のものだってこと。旧統一教会、勝共連合などなどの有象無象に、日本はいい〝カモ〟にされ、〝コケ〟にされまくられた感じですネ。
 思うに、〝左翼〟が劣化したとよく言われますし、たしかに〝リベラル〟などと気取っていたこの層の人びとの軽薄さは、つきあってみてつくづく思い知るわけですが、それ以上に、〝右翼〟も劣化し調子よく狡猾になり、もともとの性質でもあった拝金主義、利便主義だけしか残っていない。それがはっきりと見て取れた感じです。

<川嶋久人撮影 ウクライナ ハリキウ郊外でのロシア軍の砲撃の跡>
 さて、そんなことはともかく、旧統一教会の話題もそのうち忘れられていくのかもしれませんが、ウクライナやミャンマーのことも、日本人には、すでに遠い幻影となっているのかもしれません。
 とは言うものの、ミャンマーのことはまず置くとして、ウクライナでは、いまだロシア軍の攻撃にズタズタにされつつあるなかで、必死に日常を回復するために、なくなった人びとの墓標を立て、瓦礫を処理し、水と食料を確保すべく奔走し、なんとか生活を立て直すべく生きている人たちがいます。
 そうした戦時下にあって、写真で記録を残そうと、いままだウクライナで活動している川嶋久人くんの「写真フォーラム」を、9月19日に開催します。

 期日は9月19日(月・この日は敬老の日で休日)。
 会場は、池袋のとしま区民センターです。
 時間は14時開場、14時30分から16時30分まで。
 
 会場の関係で、写真はすべて映像をスクリーンで映し出し、ウクライナから戻ったばかりの川嶋くん自らの解説で「フォーラム」は行われます。
 ちなみに川嶋くんは、9月上旬に帰国予定で、それまで写真を現地で撮り続けています.現在はクリミアの直近にある「オデーサ」で写真、取材をしています。
 詳細は、当日の<flyer>を下記に貼り付けておきますので、ご確認よろしくお願いします。
 なお、会場の関係で人数に限りがありますので、
参加希望の方は(参加費1000円)、
かならず主催者である「NPO新人会」
  npo.shinginkai1989@gmail.com
あるいは、わたしのメール:yagashiwa@hotmail.com
にお申し込みください。
 当日は、自由討議の時間も設けておりますので、
ロシア侵攻後、二度にわたりウクライナで写真を撮り続けてきた川嶋くんとの対話を通じて、いまどき〝NIPPON〟の惰弱さをあぶり出す。
 つまり、統一教会が喜ぶ安倍氏の国葬を拙速に決め、何をやっても「検討」します一点張りの現政権、だから岸田首相はすでに「検討使」と呼ばれているみたいですけど、そんないまの日本のありようを俯瞰するにも、いい機会かと存じます。
 みなさまのご参加お待ちしております!





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☆☆〝意外に知らない社会主義そして共産主義〟講座☆☆秋学季講座開講のお知らせです。

2022-08-15 13:27:59 | 〝哲学〟茶論
 世の中には、知ったふりして知らないこと。
 知らないふりして人の不幸を素通りする人。

 いろいろいます。
とりわけ、安倍晋三氏に向けて発射された銃弾からは、そのいろいろが見えてきて、旧統一教会(世界平和統一家庭連合 )の日本での教宣の凄まじさが見えはじめてきています。
  まだことの重大さが見えていないのは、自分の選挙だけにうつつをぬかし、すべて他人事の自民党などの利権政治家なんでしょうが・・・。

 それにしても心の弱った日本人を、
よくもまあ〝食い物〟にしたものです。
 日本人の莫大な献金が、すべて韓国の教団に集められ、それを遣って世界の要人に金をばらまく。
 異常なほどの講演料と出演料、献金・・・。
          <親鸞>
 べつに浄土真宗門徒じゃないけど、親鸞は『歎異抄』のなかで、「悪人正機」ということを言っています。

  ・・・善人なおもって往生を遂ぐ、
  いわんや悪人をや。
  しかるを世の人つねにいわく、
  「悪人なお往生す、
   いかにいわんや善人をや」。
  この条、
  一旦そのいわれあるに似たれども、
  本願他力の意趣に背けり。
   そのゆえは、自力作善の人は、
  ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、
  弥陀の本願にあらず。
   しかれども、自力の心をひるがえして、
  他力をたのみたてまつれば、
  真実報土の往生を遂ぐるなり。
   煩悩具足の我らは
 いずれの行にても
  生死を離るることあるべからざるを
  憐れみたまいて
  願をおこしたまう本意、
  悪人成仏のためなれば、
  他力をたのみたてまつる悪人、
  もっとも往生の正因なり。
   よって善人だにこそ往生すれ、
  まして悪人は、と仰せ候いき。
 
 つまり、寺に多大な喜捨をしたり、献金したり、自分で救われようとする「自力作善」をなす人を、阿弥陀仏は救いませんよってこと。
 困難な人生、生きづらい世を、その日その日カスカスに生きていくしかない衆生、いつも不安で煩悩に苦しめられている人が、どうにもならず、ふと阿弥陀様への信心をなしたとき、そんな人びとを広大無辺の慈悲の心を持つ阿弥陀仏は救います。
 そもそも信仰するのに献金したり、教祖にすべてを捧げるなんてことは無駄なことだ。そう親鸞は喝破しているというわけです。
 お金や人生を、すべて教祖や教会に捧げる。それは一つの信仰の深さを競う競争の原理なんでしょう。教団はそれを利用して、莫大な利益を得る。
 宗教はそもそも競争を煽るものじゃない。人びとの平等と安心立命を願うものです。そうでない教徒は、集団心理に取り込まれ、〝狂徒〟と化して、他の狂徒と競う。どんどん「信仰誇り」の蟻地獄に落ちていくしかない。教団はその信徒にサタンのささやきをふりまく。
 そんなことも見えはじめました。

 さて、前置きはともかく、
 来月9月25日(日)から
 秋の講座をはじめます。
 テーマは、社会主義って何か? です。

 社会主義といっても、よくわかんない人が多いでしょう。いやそれは旧ソ連や中国、北朝鮮の全体主義国家のことを指す。ヤバい思想と見ている人もいるでしょう。ましてや共産主義なんて・・・。
 でも、その社会主義と共産主義はどこが違う? 社会主義って、ホントにヤバいの? ちかごろの経済学者が、市場原理主義や新自由主義の行き過ぎに、社会主義で対峙させるということが多くなりました。
 そもそも社会主義の起源をたどると、社会主義とは、人びとの平等を見据え、度外れた人間の欲望を抑制するって思想だったわけです。
 じゃ、どうしてプーチンや習近平や金正恩なんかが、威張ってるだろうか?
 あれは、ホントの社会主義だろうか。

 そんなことのあれやこれやを、知っている人、知らない人も含めて、お話しし、自由討議を通じて、考えていこうという企画です。
 ぜひご参加ください!
 以下概要です。

*NPO新人会・宏究学舎*
 2022年秋学季講座◆時代に杭を打つ!partⅧ◆
☆テーマ☆ 意外に知らない〝社会主義〟
          そして「共産主義」
 
◇期間:<全5講>2022年9月25日
          ~2023年1月22日
◇日時:毎回日曜日
<講座午前11時~12時:質疑応答約40分> 
  *全講zoom(質疑応答可)
  orアーカイブ(映像ファイル送付)
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
  *大学生・高校生3000円
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメ送付。
  それに沿って講座は展開されます。
【講座内容】
 社会主義とは何か? 民主主義とどう違うのか? 知ってるつもりでわからない。ましてや共産主義となると、ただ暗くて怖ろしい国のイメージしか湧いてこない。
 現在、そうした体制を標榜する国は、ロシア、中国、北朝鮮、キューバってところですが、ロシアのウクライナ侵攻、中国の香港弾圧と台湾への軍事力での脅し、どれをとっても嫌なイメージでしかありません。
 その一方、昨今の「市場原理主義」で蝕まれた格差や差別、絶対浮かび上がれない貧困を前にして、若手経済学者のピケティやマルクス・ガブリエル、斎藤幸平、さらに米大統領選挙に登場したバーニー・サンダースなどは〝社会主義〟の見直しを主張しています。さてどうしたものか。そこで、ここでしっかり〝社会主義〟そして「共産主義」について考えてみましょう!
・・・【日程とテーマ】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・第1講(9月25日):〝社会主義はヤバい?〟
  ~その起源、共産主義とどう違う?
・第2講(10月23日)
 〝日本人は社会主義が嫌い?〟
  ~大逆事件と2・26事件は?
・第3講(11月13日)
 〝ソ連・中国・北朝鮮・キューバ!〟
  ~社会主義は失敗したか?
・第4講(12月11日)
 〝戦後日本の社会主義とは?〟
  ~立民と共産は社会主義か?
・第5講(2023年1月22日)
 〝いまなぜ社会主義か?〟
  ~社会主義はヒューマニズムなのか?



  




 

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☆☆『〝司馬史観〟を考える!』第2講のお知らせ☆☆

2022-06-08 22:42:03 | 〝哲学〟茶論
 東部ウクライナではより激しい戦闘が繰り広げられていると報道されています。そんななかシリア難民の行方やミャンマー国軍に抵抗している人びとの情報は、ほぼこの国にもたらされることはなく、そんななかで軍事増強、防衛費増大、改憲、敵地先制攻撃の容認などなど、〝武〟張った主張が、あちらこちらで声高に唱えられている。
 
<ミサイル攻撃を受けたドネツク州スビャトヒルスクの「ウクライナ正教会・スビャトヒルスク大修道院」>

 日本は「戦時」とは遠く離れているにも拘わらず、こうしたときにはたくさんのお調子者が出てくる。そんな歴史を日本近代史のなかで、いくどとなく見てきたような気がします。自身がその場にたっているわけでもないのに、サッカーのサポーター気分で、気分を高め、激しいことばを使い、まるで酒や薬にでも酔ったように、自分だけじゃなく、周囲の者たちを脅迫するかのように、騒ぎたて、喚き散らし、ヒロイックな自分とその集団全体が陶酔する。
 
 陶酔は長続きしません。まずは、よく世界を見ることでしょう。そして戦争がおこらないあるいは戦争を止めさせる方途を考えるべきでしょう。その効果はけっして即時性を持つものではないし、即効性もないでしょう。
 でも、永く次代にも、またその先の世代にもつながるような方途を、考えましょう。そしてできることからやっていきましょう。

 6月11日(土曜日)14時30分から、池袋のとしま区民センター(エレベーター横に「新人会文化講座」の案内があります)で、
 『〝司馬史観〟を考える!』第2講(全4講のうち第一講はすでに終了していますが、アーカイブ受講はできます)を行います。

 すでにzoom受講もふくめて40名近くの方々に参加いただいていますが、会議室でのご参加はまだ可能です(zoom・アーカイブ受講も受け付けています)。
 もしお時間等ありましたら、〝考える〟〝対話する〟「場」と「時間」にぜひご参加いただければと存じます。
 連絡はメールで、npo.shinjinkai1989@gmail.comまでご連絡ください。

 ほんらいblogにこうした連絡やお知らせを掲載するのは、わたし自身、はばかられるところですが、長いコロナ禍で、ますます人と人との〝付き合い〟〝関係性〟が希薄化していくことに、2021年におこなったジョージ・オーウェルの『1984』の世界像を見る思いがして、「場」を設けるべく、こうした講座を絶やさずにやっていきたいと思って、blogにあげているということです。
 一人でも、ご参加いただけると幸いです。
 
 なお詳細は、下記にflyerをあげておきますので、拡大してご覧ください。


 
 

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☆☆6月5日の『日本〝近代・現代〟のプロフィール』【第3部】第3講のお知らせ☆☆

2022-06-03 21:40:23 | 〝哲学〟茶論
 6月5日(土)の11時から、
 いつものように『日本〝近代・現代〟のプロフィール』【第3部】第3講の講座を行います。
 第3講のテーマは【60年安保】についてです。


 60年安保(日米安全保障条約の改定)といっても、もうすっかり過去のことなのですが、おそらく戦後の日本でもっとも激しく政府=自民党、警察に対峙した学生運動がこの「60年安保」でした。
 国会議事堂は、多くのデモ隊に囲まれ、そのなかで東大文学部学生樺美智子が没したことを、記憶にある方もいらっしゃるでしょう。
 
 今回の講座では、日本の「左翼」について考察するとともに、
あの激しかった「60年安保」とは、いったいわたしたちの国である日本に、いかなる影響を与えたのか。
 社会党委員長浅沼稲次郎へのテロ、いまは関口宏夫人となっている西田佐知子がせつなげに歌ったブルース「アカシアの雨」の真実、そしてこの時代のもうひとりのヒロインだった現上皇后(正田美智子)の輝く美しさ。
 そうしたさまざまについて、お話しを重ねます。
 もしお時間がありましたら、ご視聴ください。zoomでは、質疑応答の時間も十分に確保しています。

 なお、この講座はzoomおよびアーカイブでの講座になります。
すでに【第1部】(明治維新から米騒動)、【第2部】(関東大震災から対英米戦争)、そして【第3部】(東京裁判から)の第2講まではzoom講座は終了していますが、アーカイブで視聴可能です。
 
 受講のお申し込みは、npo.shinjinkai1989@gmail.comまでお申し込みください。詳細はいただいたメールに担当の者が対応いたします。
 〝学び〟はいつもトレーニングしておきたいものです。


 

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☆☆なぜ、こんな時代に〝司馬遼太郎〟を読むのか? 講座へのお誘い!☆☆

2022-05-16 21:38:04 | 〝哲学〟茶論
 表題にもあるように、
たしかに、なぜこんな時代というか、時期というか、そんなときに〝司馬遼太郎〟を読むのか?
 そうした疑念をもつのは、一つの理かも知れません。
 これまで、わたしも司馬遼太郎の本は、それなりに読んできました。
 でも、司馬遼太郎には、どっかに保守的な雰囲気が纏わりついていて、というか〝司馬遼〟を好む読者層が、多くは大会社の重役だったり、戦後日本の高度成長期に功成り名を遂げた企業人だったりして、よくお店でも、料理もお酒も美味いけど、やたら成金めく客ばかり、つまりは客筋が悪い店があるように、司馬遼太郎の小説もそんなファンが多いように見えて、大学生のころは敬遠していたように思います。

 とは言うものの、1986年ころから司馬遼太郎は小説を書かなくなります。そして『この国のかたち』というエッセイの連載を行うようになるわけですが、それを読んでいくと、司馬遼太郎が、詩人田村隆一などと同じように「学徒出陣」組で、特攻だったり、南方に送られたりしたわけではないものの、あきらかに〝戦争〟の中に自身の死に近似した経験をもつ者の、ある種の「精神の歪み」といったものが見えてくる。
 そして、そうしたものが、なぜ『この国のかたち』を書きはじめることから明示されていったのか。もしかして司馬遼太郎は、「この国」の未来に、あるいは世界の流動に、なにか不吉な暗渠を見ていたのではないか。

 作品やエッセイを読んで思うのは、司馬遼太郎、本名の福田定一は、おそらく好奇心の強い、読書好きで、物知り、好事家といった市井の人だったように思います。さかんに冗談も言う、それなりに人に合わせて調子よくやれる。まじめな話をしても、とつぜんコテコテの大阪弁で、「ほな、儲かったやろねぇ」などとニンマリするような人だったように思います。

 そうした面白話を好む人物が、突如としてなにかに怒っているいるような表情になる。だからといって、だれかに教わった文切りの言葉やお題目のような、いわばイデオロギーの岩盤が透けて見えるような言葉は使わない。
 できるだけ、どんなふうに考えたらいいのかをたぐり寄せるように、「国家」や「歴史」、そして「人間」や「文学」に思考の錘を降ろしていく。
 そうしたたたずまいに、なぜか司馬遼太郎の本を読んでみたいという思いを抱かせる源泉があるように思うわけです。

 いま「世界」は、あちらこちらで苦しんでいるのだと思います。そして、多くのひとびとは、どう生きればいいのか、日々の暮らしも含め、どう楽しみを見いだせるか。周りの人びと、上手くやっているか。それが見えてこない。そんな気持ちでいるようにも思います。
 戦争、弾圧、恐怖、絶望、不安・・・。そうしたわたしたちを取り巻くいまのもやもやをどうすればいいのか。
 そう考えると、やはり、ここにはどう生きるかの態度を示す羅針盤があった方がいいように思います。
 いまこの講座をしようという意図はまさにそこにあります。

 もしよかったら、池袋のとしま区民センターでの講座に、あるいは話し合いができる場においでになりませんか。
 初講日は、この5月21日(土)14時30分からです。
メールアドレス:npo.shinjinkai1989@gmail.comまでご連絡いただければ幸いです。




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☆☆「司馬史観」講座と『ロシアについて』を読む!☆☆

2022-05-02 10:28:34 | 〝哲学〟茶論
 司馬遼太郎は、21世紀が明けてまもない2002年に『ロシアについて』(文藝春秋社)という一書を出版しています。
(正しくは、1986年6月に初版は出ています。ちなみに文庫は1989年でした。わたしがこの本を手に取って読んだのが2002年ということだったようです。わたしの読書ノートの記載ちがいでした)
   
 そのなかで司馬は、小説『坂の上の雲』と『菜の花の沖』を書くうえで、「十数年もロシアについて考えこむはめになった」としつつ、帝政ロシア時代の建築や装飾美術などに共通する「ここちよい陰鬱さと威厳を、いまも好ましく思っている」と書き記しています。
 <聖ワシリイ大聖堂・モスクワ赤の広場>
 しかし、ロシアの歴史を見ていくと、ルネッサンスの波動はモンゴル人の打ち立てたのキプチャック汗国の影響でロシアには鈍くしか伝道せず、「人間の発見」といった成熟した思想を受け容れる余裕は少なかった。
 司馬は、・・・このようにして、ロシア世界は、西方からみれば、二重にも三重にも特異な世界たらざるをえなかったことを、ロシアというものの原風景から考えていく必要がある・・・。外敵を異様におそれるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲、また火器への異常信仰、それらがすべてキプチャック汗国の支配と被支配の文化遺伝だと思えなくはない・・・と述べています。

 たしかにロシアの人びとには、ヨーロッパ世界の農耕から醸成された思想的雰囲気とはちがっていて、どちらかと言えば遊牧民族的な遺伝子をもっている印象があります。
 ユーラシア大陸をほぼシベリアまで国土とするロシア人には、近代における「国境」という概念が育ちにくかったようでもあり、放牧民が牧畜のための草原を確保する、IT用語の〝バッファbuffer〟、いわゆる〝緩衝〟地帯の確保を至上とするようなことを、歴史上、しばしば行ってきました。
 それが近代に入っての、スターリンが行ったフィンランド侵攻を企図した「冬戦争」(フィンランド側の呼称)と呼ばれる侵略戦争であり、東西冷戦時代の東ヨーロッパへの執着であり、そしてウクライナへの侵攻というふうに考えることができます。
 そこに他者が住居してようと、領域としての緩衝地帯を置かねばならぬといった不安と拭いきれない猜疑心と文化的とも言える劣等感、征服欲・・・。
 そんななか現在のロシアにウクライナ侵攻を考えていってみると、そうした他者への猜疑と不安が一種の「矮小化のループloop」に結びついているとも言えます。

 ちょうど70~80数年前の日本は、中国の戦場で中国の女性を、また東南アジアの女性への強姦や暴行、そして慰安婦への強制をおこなったことがありました。
 そうすると、おそらく日本占領のためにやってくる進駐軍兵士も、かつての日本兵と同じ様に、今度は日本女性にたいして強姦暴行するにちがいない。そのための防波堤として、〝大和撫子を守れ!〟をスローガンに、いわゆる国家売春宿の設置する。
 名付けてRAA(特殊慰安施設協会 )・・・。
 じゃ、RAAで売春する女性たちは〝大和撫子〟じゃないのか! ってツッコミはともかく、その計画は「終戦の詔勅」が出たわずか二日後に、国務大臣近衛文麿から警視庁総監坂信弥に指示が出て、そして当時の大蔵官僚池田勇人が取り仕切り、RAAはつくられました。後手後手の日本政府のわりにいやに早い決断・・・。 
 たしかに、占領軍による強姦といった事件は他国でも皆無ではなかったのですが、性犯罪に毅然とした態度を取るわけでもなく、それに抗議することもなく、さまざま別の対策もあったろうに、すぐに〝売春宿〟をつくる。

 おなじようなことは、今回のプーチンのロシアも、ウクライナのゼレンスキーらはテロリストでありナチだ。ナチであるウクライナ人はロシア系住民を弾圧拷問、あげくには虐殺を行っていると言い募り、そこで自分たちは「正義」の戦い(特別軍事作戦)をしていると自己肯定する。
 しかし、やっていることと言えば、ロシア軍によるブチャやイルピン、ハリコフなどでの虐殺や強姦をしている事実がつぎつぎ出てくる。ロシアもやっているから、ウクライナもやってる? 逆にウクライナ兵もやっているからロシア兵もやっている?

 政治学では、よく「安全保障のディレンマ」ということが言われます。つまり、相手が軍事力を増強している恐れから軍事拡張をはかる。そうしないと国を守れないというわけですが、それは相手国から見て、とんでもない脅威に映る。そこで相手国も軍事拡張をはかって対抗する。
 相手への知識や理解を欠くと、そうした軍拡はどんどんエスカレートしていき、そのディレンマは飽和状態になり、ついに無益な戦争が行われ、終末兵器である「核」兵器も、威嚇のためこの程度はいいだろうという戦術核が使用され、いつしかそれは巨大な核戦争へと逢着し、世界はカタストロフを迎えるというものです。

 相手を理解しようとしない。自分たちがこうであるのだから相手もそうするにちがいない。
 自己の矮小さのなかに相手も引きずり込んで、どんどん矮小化のスパイラルのなかに自らも相手も貶める。
 これはまるで「矮小化のループ(輪っか)」ではないか。
 
 というわけですが、
 ウクライナへのロシア侵攻の先行きは、いまだ見通せません。
 凡百のコメンテーターがNetやMass Mediaの浮ついた空間でさまざま言説をまき散らしているというものの、他国からの侵略による支配を受けたことのない、〝極東〟の島国日本では、どの言説もリアリティrealityをもたない。ましてやそのような歴史的経験に裏打ちされていない言説で、わたしたちの不安は静まるものでもないし、かといって煽られても意味がない。
 歴史を大きくとらえてみれば、これは近代における民主主義のトレーニングの時期を欠落したロシアという「国家」のもたらした悲劇であるとともに、人間というものがいかにその精神において矮小で欠けた存在なのかを物語ることのようにも思います。
 そう言うのなら、日本もこの〝民主主義のトレーニング〟は、民主主義そのものが、戦後、米兵からチューインガムをばらまかれるのと、あまり変わらない程度のもので、けっして鍛えられているものではないのですけど・・・。
 煎じ詰めて考えるに、要は「人間」というものが、いかに生きるべきか、その精神をいかに気高く伸びやかに保つかという問題に最終的には行き着くものなのでしょう。
 プーチンの言葉には、マフィアの使うような傲慢で野卑な言葉しか見つかりません。それは北朝鮮が連発する挑発的で相手を貶める言葉と変わらない。日本でいえば、ヘイトの連中の使うムカムカするような気持ちの悪い言葉ときわめて似通っている。
 問題は、そうした言葉にいかに対峙するか。あるいはその言葉の持つ〝痼り〟をどのようにして解きほぐすか。落ち着かせるか。
 
 いまの「核」時代にあって、烈しい言葉や陰謀的言辞、あるいは偏光を強いるドグマに引きずり回されたならば、それは容易に破滅を呼び起こすものになるでしょう。
 烈しい怒りやスローガン、理屈のありそうな言葉が、かりに一見、正義を誇っているようであっても、〝非国民〟と戦前の日本人が他者に向けて罵った言葉が、戦後になると〝反動〟という罵りの言葉に取って代わられるような、愚だけはふたたび犯したくない。

 まずは「人間性」を取り戻すこと。

 ウクライナの人びとが強姦、虐殺、強奪するロシア人に、あれは「人間じゃない」と吐き捨てるように言うシーンを見ましたが、いや「人間」だから強姦も暴行も強奪もする。その源は恐怖と自己の卑屈さで、こうした感情は他の動物には現れ出ないものです。
 それらは「人間」なればこその暴虐としなければならない。
 人は堕落もするし、品格をもつことも、さらに自らを陶冶することもできます。まずは、その一点に関して、自分はいかなる「態度=精神」をもっているのかを、いまこの時期だからこそ、考えてみたいと思っています。
 それが「人間性」を取り戻すという事だと思っています。
 
 最後に、またこの5月21日を初講とする講座『司馬史観を考える!』の案内を載せておきます。
 上記に記したさまざまな問題などを「語る」場所として、講座を開講したいと思っています。よろしくおご参加ください。
*現在、進行中の『日本〝近代・現代〟のプロフィール』の講座も、まだ受付をしております。

 なお、『司馬史観』の申込期日は、5月15日(日)までとなっています。申し込みはNPO新人会文化講座のアドレスまでお願いいたします。
  npo.shinjinkai1989@gmail.com
 またNPO新人会のTwitterもあります。ぜひご覧ください。
  NPO法人新人会@Vi4WmmxAsWnvTpk

 

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歴史講座【第3部】<第1講>を行いました。5月からの司馬遼太郎の講座について!

2022-04-24 17:09:14 | 〝哲学〟茶論
 いかにいまの時代に向き合うのか。
 ほんとうに難しいことになってきました。

これまでも、世界のあちこちには、内戦や民族対立、テロなどさまざまな惨劇があり、ぼう然とする事件が起こってきました。
 そして、またいまのロシアのウクライナ侵攻、ミャンマーの内戦・・・。きびしいな、と思わざるを得ない毎日です。

 そうした事件との遭遇ということだと、
わたし個人の経験には、2004年3月11日の朝に起こったマドリッドのアトーチャ駅爆破テロの記憶が鮮明です。
 テロの当日、マドリッドに到着し、その翌日、規制線が張られた、いわば日本でいうと新宿駅といってもいいアトーチャ駅で、その惨状を目の当たりにしたことは、なんとも言えない深い衝撃になって残っています。
 テロがいかに虚無的なものかを、そのときほど烈しく、身を打たれ、肌で感じたことはなかったように記憶しています。
 人が死ぬということの、酷たらしさ。もちろん、死者の骸は片づけられていましたが、駅舎には、濃密な血の臭いが残っていました。
 でも、そんななか、早くもマドリッド大の若者たちが、アトーチャの空き地にテントを張って、たくさんの寝袋が積んでありましたから、おそらく不寝にでしょう、
 「No A La Guerra!」(戦争反対!)と黒く染め抜いたTシャツを売って、救済カンパを募っていました。

 いかなる「戦争」も止めるべきです。
もとより「戦争」は、核兵器はもちろん武器によって押さえつけることはできません。
 「戦争」の事態に際しては、肚を括って、それを止めるためのさまざまな行動を起こすべきでしょう。
 声を上げる。説得する。戦わなくていいシェルターをつくる。世論を喚起する。デモや集会に出る。いろんなかたちで意思表示する。
 身体を張って、放水車の冷水をものともしない。困った人びとに言葉をかける。戦うことは、前線に出ることだけじゃない。
 もし、万事休したら地下に潜る。逃散する。一人一人がもっている能力を注ぐ。
 いつも熱くならず、冷静に、いつも自分よりも後に来る人たちのために、自分自身の行動を考える。

 いまのわたしたち国では、核抑止論が飛び交い、日本の核共有とか核武装、憲法の改正、その他法制の改正、あげくには敵対的拠点へのミサイル先制攻撃の必要など、勇ましいばかりの論議が出ています。
 わたしから見て、これらはみんなアウトソーシング、いわば「外化」して、自分の不安を解消しようと必死に醜い姿をさらしているようにしか見えません。
 泥沼のなかで泥が軍靴に冷たく染みこむのに幾時間耐えれるか。砲弾の飛び交うなかで、何時間、冷静にときを過ごせるか。
 熱風の中で匍匐前進をして、体力の限界まできても、意志力だけで、重い銃器をもって走れるか。
 「フェイク」に惑わされないため、わたしたちは権力者の発する情報や勇気もなく自ら名のりもできないnetの住民が発する言葉には、それがいくら真実らしく聞こえても、耳を貸さないし、人に伝えない。ぎりぎり、自分で確かめる。
 憲法を変えても、ましてや核武装したところで、仮に今回のように他国からの理不尽な侵攻を受けたら、ほぼ何の役にも立ちません。
 対手を説得する。権利通義をどこまでも貫けるか。貫くことで、自分たちより後に来る人びとに理解される意義をどれだけ持てるか。

 歴史講座【第3部】<第1講>、今日の冒頭のお話しは、そんなことでした。あと講座は4講座あります。
 すべてアーカイブで視聴できますし、以降もzoomで、まだまだこの講座は続きます。

 それとこの機会に、司馬遼太郎という作家について、よくいわれる「司馬史観」というものについての講座も、5月21日から池袋の「としま区民センター」で行います。
 べつに司馬遼太郎の本をお読みいただく必要はありません。講座に参加いただき、そこから読んでみようか、ということでいいのです。
 そんなわけで、司馬遼太郎の講座の準備のため、ほぼその作品と関連する図書に当たっていますが、いまのロシアのありようを、司馬は歴史を見渡し、広いユーラシア大陸の自然と風土を思い描き、多くの示唆に富む発言をしています。
 それらを読み解きながら、わたしたちが「後世」というものと、どう対話していかねばならないのか。そうしたことの態度=精神のありようを、互いにお話しできればと考えています。
 
 ぜひ、この講座にもご参加ください。

 ちなみに、わたくしどもNPO新人会のTwitterができました。
 NPO法人新人会@Vi4WmmxAsWnvTpk
 です。
 まだ、本格活動していませんが、これからこちらのほうからも、いろんな情報をお知らせしたいと思っています。 



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☆☆いまの戦争を考える!〝戦争とテロ、そして国民〟(第3部・現代史)の講座開講☆☆

2022-03-28 15:52:14 | 〝哲学〟茶論
 西欧よりは東欧を旅した人は、ふと東欧の人びとの表情の厳しさに、一瞬、たじろいだことがあるかと思います。
 プラハ、ザグレブ、ブダペスト、リュブリャナ、サラィエボ、それにワルシャワ、クラクフ、ブラチスラバなどの街を歩くと、古さびた灰色の壁面に小さく窓があって、その向こうには人びとがひっそりと静かに暮らしている。そうした息をひそめるような悲しみをふと街並みから感じてしまう。
 夏であるならば長めにおとずれる夕暮れがあたりを覆うと、街全体に寂寥が住みついたような、そんな日本とは異質な感慨に襲われることもしばしばあったかと思います。
 
     <ポーランド・クラクフの街区>
 考えてみると、中世以降、いやもっと以前からこの地は、突然外からやってくる自分たちとはちがう種族の兵馬と吶喊、そして砲声に蹂躙された歴史にあった土地でした。
 そうした時代のヨーロッパの地図を見るまでもなく、つねに国を示す境界線は不安定なもので、ときどきにローマ帝国、十字軍、イスラム軍、蒙古軍がやってきては人びとの生活を破壊し、支配のための建設を行い、その後の「近代」となっても、それぞれが一定の言語によって「国家」という集合体を形成しても、ハプスブルグ家の支配、さらにオーストリア=ハンガリー帝国の膨張、ナポレオンの東征、ロシア帝国、ナチス=ドイツの侵攻、スターリン・ソ連の支配・・・。
 なんどもローラーをかけられたように支配と被支配が繰り返され、人種・血族が戦禍の軋轢で分断・融合を余儀なくされ、そのたびに言語が支配者の言語のそれに変わり、伝統的な暮らしのありようは混濁し、何重にもおり重なり合うようにして屈辱と痛苦と悲惨と絶望が、大量の血を吸った大地のうえに歴史とともに積み重なっていく。

 わたしたちのような、いわば極東の島嶼に、無自覚になんとなく国としての集合体が存在した者には、そうした寂寞とした忍従と屈折の歴史の深層はもとより理解し得ない。そう思うべきなのでしょう。そして、それがそうした国々や人びとへの、わたしたち日本人が取るべき、最低限の礼儀のように思います。

 戦争がはじまったのだから、圧倒的な敵がやってきたのだから、逃げろ、国を出たほうがいいなどと、あたかも親切ふうに語った者たちの無知と無能さは、まさに呆けた日本人の不様な地金を露呈したに過ぎないものでした。テレビ芸者にすぎない彼ら彼女らは、いくらいい学歴を積んだとしても、あるいは弁護士だとか知識人だとか言っても、自らの無知を恥じ入るべきではないか。
 およそ、歴史の浅瀬でゴミのような名誉と金穀を貪って知識人ぶる愚かさ、そしてそれを許容していること自体、まさに屈辱でしかないように思います。

 かつてロシアおよびソ連の脅威に苛まれた国のなかには、ナチス=ドイツの枢軸に加わった国々や地域があります。
 ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、フィンランド、そしていま戦禍のもとに置かれているウクライナなどは、そうした歴史を含まざるを得なかった。
 ソ連・ロシアからすれば、それらの国や地域は「ナチ」なのだと言うことになるのですが、それが現代にも払拭されず残っていて、それがロシアの独裁者の言葉に乗っかって叫ばれる。すると、すでに「ナチ」とは言えぬ、いわゆる愛国右翼を形成する集団を、あたかも陰謀団か破壊集団のようにレッテル付けされ喧伝されていく。
 そんな言説が根拠もなく、いまの日本のnet界隈にも、陰謀めいた薄笑いとともに囁かれているようです。
 歴史を知るということは、あるいは歴史を観察するということは、手間がかかるものといっていい。
 簡便にすぐに結論など出てこない。世界の僻地である島嶼国家にいるわたしたち日本人は、そうした鍛錬され形づけられる歴史の合理性にまったくタフではありません。すぐに謀略史観にとびつく、あるいは逃げ込む癖がある。

 いま戦禍のなかに苦しむウクライナも、近代以降、何度もローラーをかけられるように、ナチス=ドイツに、ソ連に、そしてロシアに、その領土を削られ、言語を支配されてきた国でした。愛国右翼もテロ組織も赤色テロ集団も、そのときどきに出現し、混乱をつくっていきました。
 そして、それが「国民」国家が形成され、排他的領土権が広くコモンセンスとされた21世紀の現在になっても続いている。その惨状を、浮ついた言葉やあり合わせの思想で語るわけにはいかない。
 歴史を知る意味とは、知識を得ることではなく、人びとの哀しみを知ること、その積み重ねを精神としてとらえることにあるのではないか。
 おそらくEUにつくとか、ロシアにつくとか、そんな片々たる問題よりも、これまでの何層にも血で固められた歴史を見据えることの意味を、少なくともわたしたち極東の住民は思いやる必要があるように思います。

 確実なのは、いま21世紀の現代も、〝核戦争〟の時代におかれている現実を見据えるべきでしょう。
 浮ついた言説をまき散らす弁護士上がりの政治屋やブルーとイエローのドレスを着て、空疎な言葉を吐き散らす参議院議長をもつ恥辱を、もっと見据えるべきであるように思うわけです。
 そして、利権にまみれたロシアびいきの国会議員も、この国の利権まみれの上っ滑りな無知の標本であろうと思います。

 長々と書きましたが、最後に4月24日からはじまる
 日本〝近代・現代〟のプロフィール<第3部>の紹介をさせていただきます。
  テーマは「戦争とテロ、そして国民」です。
 お話しする時代は、1945年の敗戦時の日本人から現在の日本人の戦争への意識についてです。
 こんな時代です。空疎で浮ついた講釈ではなく、しっかりと地に足がついた対話を積み上げていきたいと思っています。
 以下、flyerを貼っておきます。
 お問い合わせは、メールでNPO新人会講座担当まで。
 npo.shinjinkai1989@gmail.comです。

 

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