八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

☆☆「夏学季講座」延期のお知らせ☆☆

2020-04-07 14:08:05 | 思うこと、考えること!
  2020年は予測ができにくい、とんでもない春を迎えています。

 新型コロナウイルス禍は、これからもますます地球上のさまざまな地域と人びとを苦しめることになるだろう。その漠然とした予想は、少しでも想像力のある人びとには、暗澹とした気分とともに、見えてきているかと思います。
 以前のブログでも触れましたが、ちょうどいまから100年前、1918年から1920年までアメリカが発生源だった「スペイン風邪」が起こっていますが、これは第一次世界大戦中だったこともあり各国政府が感染を隠し、さらに医学も現代のものとはちがって、ウイルス性のものとの判断ができず、三回の大きな感染の波が世界を呑み込んで、やっとおさまった大規模感染となりました。
 今回のコロナ禍も、ワクチンが開発されない限り、何度も集団感染や国家を呑み込む感染が波のように押し寄せてくるようにも考えられます。

 ウイルスは、ちょうどキリスト教における「天使」に対する「悪魔=サタン」の位置づけなのかもしれません。サタンはもともと神のもとで働いていた天使であり、「ルシファー」の別名が示すように、光の使徒でした。しかし、神が「善なる存在」となってゆくと、ここは一種の疎外論の領域ですが、一方で「悪」の部分を受け持つ存在が必要となります。言い換えれば、 人間が生み出す嫉妬、怒り、冷酷、嫌悪、排除、差別、暴虐など内的外的なさまざまの邪悪さが「サタン」を生み育て、その邪悪さの肥大化とともに 「サタン」はその威力を強めます。

 ふと現代世界を見渡してみれば、それぞれ国で、民衆と乖離した「特権階級」に属する者たちが政治権力を握り、巨大資本がそれら政治権力者と結託する中で、ナチスばりのプロパガンダ政治、ポピュリズム政治が横行しているように見受けられます。
 〝国益優先〟〝ディール至上主義〟〝威圧と監禁、暴力〟〝あんな人たちに負けるわけにはいかない〟〝排外主義〟〝ヘイト〟などさまざまな〝悪〟が横行していて、それに追いつめられた人びと、寄る辺のない人びと、自己以外の人びとの存在に無自覚な人びとが、ときにそうした〝悪〟に狂喜し、喝采を送っていると言ってもいいのかもしれません。

 古代中国の戦乱期にあって、その時代に生きた智者たちは、戦乱や混乱、貧困や狂気に向き合うために「徳」という概念を生み出しました。そのひとつが儒教であり、儒教では、原則的に人間関係に「徳」の生まれるありようについて説くものであり、また権力者・指導者に「徳」という〝鉄の檻〟を纏わせるものでした。
 「徳」のあるものが権力を握るに値する。そして歴史の興亡も、「徳」ある王が権力者となり、それが何代もつづき、子孫に「徳」が尽きると、新たに「徳」を身につけた王が出現する。いわゆる〝徳治〟にもとづく「易姓革命」の運動として、歴史を見通すものでした。
 では、その「徳治」の概念の中で、現代の世界は、いったいどんな時代として映っているのか。
 「ディール」しかないトランプにしろ、「皇帝然」と強権と人気とりに終始するプーチンにしても、また「覇権」にしか権力の行使を見いだせない習近平にしろ、安倍氏も金正恩にしてもドゥテルテ 、ボルソナーロなどの世界に簇生するそれらの亜流政治家にしても、そこに「徳治」という相貌は見えてきません。

 新型コロナウイルス、サタン、「徳」を喪った現代の政治家。何もそこに明瞭な因果関係を見いだしているわけではないにしろ、ある意味で強い暗喩(=メタファーmetaphor)を感知することはできるかと思います。
 今日から、一ヶ月ほどわたしの住む東京は、非常事態宣言下に置かれることになります。テレビ画像に写る小池東京都知事のパフォーマンス、不自然な力こぶの入れ方のまえで、なにか素直になれない感じがしてなりませんが、このコロナ禍が過ぎたあとの世の中は、一体どうなっていくのか。
 コロナと闘ったとばかり、すごい強権政治がやってくるのか。相互の助け合い、人類の希望を再認識するなかで、リベラルで差別のない世界の構築に近づくか、それはわかりません。
 しかし、マスクの供給の現実でもわかったように、ここ二十年以上の日本のありようは、中国からの安い輸入材と安い労働コストによって、20年以上給料が変わらず、国民所得が低いままでも耐えられてきた。皮肉を込めていうならば「ユニクロ国家」であり、「100円ショップ国家」でした。
 言い換えるなら、アジアの中で、日本は活力ある生き方を放棄し、これまでの貯えを原資に生活を送っていて、経済的にも劣位にある自身に気がついていない国家、国民ではなかったか。
 ヴェトナム、台湾、韓国、もちろん中国などの国々を旅し、インテリも商売する人も、若者も新聞記者も、いろんな人びとと会って話してみて、日本が優等などと思い上がっている手垢のついた自尊心は、もう捨てる時期かと思います。
 ましてや国家主義者や愛国者も含め、自分たちがアメリカの属国である現実に気がつかないふりをし、アメリカ人と同等、現代版「脱亜入米」意識、別格意識にとらわれ、「youは何しに日本へ」といった番組に、安心感を見いだしている状況は、一種滑稽でもあります。
 はたして真に日本の美術や芸術を鑑賞しうる力量を日本人は持っているのでしょうか。うすっぺらなアニメブームとコスプレブームと「富士山」「芸者」「おもてなし」は表裏一体の、とても文化と呼べない代物ではないのか。
 三島由起夫は生前、「愛国心を教えようという思想そのものが唾棄すべきもの」だと述べています。〝薄徳の時代〟の中にいる。その風景が、目の前に広がっているように思います。

 であっても、もう少しで非常事態宣言下に入ります。
 そこで、4月19日と26日に初講日を迎える予定だった『時代に杭を打つ!part3』と『哀しみの系譜part1』の講座をそれぞれ5月開講というふうに延期いたします。
 いまのところ5月は3日と9日、21日と31日の会場を押さえています。6月も7日を除き、毎週日曜日の会場を押さえています。
 どちらも大教室で、2メートル以上の間隔をおいても十分に着席できる広さの会場です。5月の時間は9日だけは土曜日で、ほかは日曜日です。これも含めてすべて講座の時間は午前10時から12時までです。時間の変更はありません。
 詳しくは、また20日ころ、7月の会場を押さえた時期に、当ブログで発表しますが、まずはさしあたって初講日が5月開講だということをお知らせいたします。
 また、札幌で開講予定の「what,s」すすき野講座も、開講は5月からとなります。
 これも詳細が決まり次第、お知らせいたします。いましばらく、お待ちください。また、すでに講座をお申し込みの方には、別途メールで連絡をいたします。
 という状況ですが、いまコロナ禍で参加しようかどうか決めかねている方々には、上記の件を考えいただき、ぜひ5月からの講座にご参加いただけたらと存じます。
 よろしくお願いいたします。

 こんな時だからこそ、「学び」が大切です。いま学ばなくて、いったい何時学べるのでしょうか。そのために全力を傾けたいと思っています。

<わたしが一番最初に出版した書籍です>

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