凡百の解説はもういいでしょう。
ロシアの謀略やアメリカやEU諸国の思惑も、
探ることにさほどの意味はないでしょう。
医者が、困ったときに病名をつけて患者を納得させる、
それをいくら繰り返しても、
状況は悪くなるばかりです。
核兵器の威力をロシアがちらつかせただけで、
この戦争の恐ろしさは、際限ないものになっている。
もう、みんな一緒になって、
この戦争をやめさせましょう。
なんの益もない、死者と悲しむ人ばかりを増やす
戦争は、やめにしましょう。
かつて『THe Day After』という核戦争前とそのあとの
仮想現実を描いた映画がありました。
当時、高校教師であったわたしは、
政治経済の時間に
生徒さんといっしょに、
その映画を見ました。
核兵器で、
何もかもがメチャクチャになる
その惨憺たる惨禍に、
胸をつかれる思いがしました。
だいじょうぶ、核など使わないから・・・
はたしてそうでしょうか?
ウクライナからポーランドに避難してきた人びとが、
インタビューされていました。
「・・・状況は困難だとわかっていたけど
・・・戦争が今日起こるとは思わなかった」
戦争はいつでも、とつぜん起こるものです。
「・・・昨日まで和やかに会話を交わしていた隣人が、
とつぜん斧を振り上げライフルを乱射した・・・。」
これは2003年に、ボスニア=ヘレツゴヴィナの都市、
サライェヴォで地元の人から聞いた言葉です。
気がついていたら、戦争になっていた。
核兵器だって、
いつ投下されるか、
誰もわかりません。
気がついたときは、
すでに投下されたあと
だったりします。
わたしたちには、声を上げるしか、
手段がありません。
いや、そうではなく、みんなで声を上げる手段が、
まだしっかり残されています。
一人でも、戦争はやめろ!
の声を上げましょう!
わたしも今日から、声を上げます。
YAGASHIWA TATSUNORI