ずっと前のブログで、ヒット大地は、森鴎外のことを書いた。
(注:gooではない)
その際、こう記した。
「軍医部長だった鴎外は、日露戦争中の脚気死亡者6000人の責任がある。
理由は、陸軍の主食を白米としたからである」
このたび、この件に関して、ある本読んだ。
すると、こう書いてあった。
「日露戦争中の脚気死亡者は3万人であった」。
その他、「多くの兵士が脚気で苦しんだ」。
どっちが正しいんだろう?
そこで、ヒット大地は、ウィキペディアを見てみた。
すると・・・こう書いてあった。
「日露戦争中、陸軍で約25万人の脚気患者が発生し、約2万7千人が死亡」
当時、森鴎外は、陸軍軍医部長であった。
かなり上級の幹部であり、
部下から、脚気防止のために、「麦飯」を進言されることもあった。
しかし鴎外は、無視した。
海軍では、違った。
麦飯を食べさせ、脚気は一人もいなかった。
(ちなみに、森鴎外は、最終的に、陸軍軍医総監(中将相当)に昇進し、
陸軍のトップである陸軍省医務局長になっている)
この件に関して、ヒット大地は、他にも、いろいろ調べてみた。
もちろん鴎外にすべての責任を負わせるのは、明らかな間違いだ。
しかし、やはり、鴎外の何らかの責任は、免れないだろう。
ところが、最近になって、ヒット大地は、少々考え方を改めた。
その理由は・・・
「兵士にとって、戦争で人を殺して死ぬのと、
脚気で死ぬのと、どちらの来世が、プラスか?」
・・・と考えてみたからだ。
これは言うまでもない。
人を殺して死ぬよりも、
病死した方が、100倍も、プラスの来世であろう。
人を殺せば、どんな理由があろうと、
マトモな来世であることは、考えづらい。
ひどいケースでは、
「永遠に、戦争をし続ける」ケースも多い。
なぜ?
なぜなら・・・
「戦争」という極度の緊張・錯乱状態は、
あまりにも強烈であるため、
少なからぬ兵士たちは、自分が戦死したということも知らない。
そして、永遠に、霊界で、戦い続けるのである。
また、たとえ戦死したことを知っても、
戦争のトラウマは、フラッシュバックとなって、ずっと続く。
その場合、兵士の魂に、ずっと悪い影響を与え続けるのである。
そればかりではない。
霊界の戦争状態は、この世にも、さまざまな悪い影響を与えるのだ。
この世の出来事は、霊界の影響を受けているのだ。
だから・・・
あの秋葉原事件なども、霊界の戦争状態の投影かもしれない・・・
ヒット大地は、そのように思っている。
このように考えるとき、
ヒット大地は、「殺人だけは、しない方がいい」と思っている。
「殺すよりも、殺される方が、ずっと素晴らしい来世が待っていること。
これは間違いないのだ!!!」
・・・以上のようなことを考えるとき、
森鴎外の唱えた「白米主食」は、結果的に、
多くの兵士の魂を救った・・・ということになる。
これをパラドックスという。
ヒット大地も、もしも日露戦争の兵士なら、
殺人よりも、脚気で死ぬ方を選ぶであろう。
世の中は、パラドックスだらけだ。
ヒット大地は、世の中の現象の裏を、
いつも見ている。
だからパラドックスには詳しいつもりだった。
ブログにも、そういうことを書き続けた。
しかし、森鴎外については、パラドックスは考えなかった。
今回、改めて、世の中の現象の不思議さに気づかされたわけだ。
最近の出来事も、パラドックスだらけだ。
たとえば・・・
福島原発事故は、なんとも痛ましい出来事だが、
これで、脱原発の流れが、世界中に広まれば、
結果的に、プラスということにもなる。
「世の中の事件は、表面だけで見てはいけない」
「必ず、深い意味があるのだ」
たとえば、ヒット大地のインキンが痒いのも、
深い理由があるのかもしれない。(ポリポリ)
最後に、日露戦争で亡くなられた兵士の皆様のご冥福を祈りたい。
また戦争が、この世から、絶対に、なくなってほしいものだ!
戦争に勝利者はいない!
なぜなら・・・
殺した者も、ずっとそのトラウマに悩まされ続けるからだ。
少々の屈辱を味わおうとも、戦争だけはしていけない・・・ってわけだ。
人間、笑って暮らせるうちが、華だ。
弱者をいたわり、動物をいたわり、
何事もなくすぎていく時間・・・・
それが、一番素晴らしい人生なのだ。
そういう世の中を作るために、
ヒット大地は、たとえ孤軍奮闘でも、
これまで通り、身を賭して、がんばるつもりだ。