だいぶ時間が空いてしまいましたが、『この世界の片隅に』の感想の続きです。
映画を始めとする芸術での物語の手法について書きます。
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映画や小説の世界へ鑑賞者を誘(いざな)う方法は、
いくつかの型があると思います。
『この世界の片隅に』では、
こまごまとしたディテイルに拘った日常の描写と、
小さなファンタジーを織り交ぜるという方法をとっています。
小さな嘘と小さな本当を並べていく方法です。
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一方、SFなどでは、大きなフィクションの世界に観客を誘う為に、
ディテイルに拘ったリアルな描写を積み上げるという方法をとります。
(映画製作のバイブルと言われているロバートマッキーさんの『STORY』という本に書かれている例ですが)
『エイリアン』では恒星間輸送を担う宇宙船の存在という物語の根幹となるフィクションがあり、
そのフィクションに信憑性を持たせる為、ディテイルに拘ったリアルな日常描写がなされています。
運送業で働くトラック運転手が現実に語りそうな給料に関する会話や、
家族の写真が飾ってある運転席の様子を映画に取り入れています。
これは、大きな嘘の為に小さな本当を並べていく方法です。
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『この世界の片隅に』では、
化け物にさらわれかけたり、座敷わらしが現れたりする小さな嘘と、
短くなった鉛筆をナイフで削ったり、鉛筆を転がして遊んだりという、
一定の年代にはとてもリアルな現実が並べられています。
小さな嘘と小さな現実が織り交ぜられることで、
ファンタジーと現実の境界があいまいとなり、
いつの間にか作品の世界に誘い込まれてしまいます。
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そして、この作品の終盤、
ファンタジー以上に信じがたいリアルな戦争が描かれます。
作品の世界に入り込み、ファンタジーを現実として受け入れている観客は、
現在の日本ではとても信じられないような戦争の現実も受け入れざるを得なくなっています。
SFが、大きな嘘に誘う為に小さな本当を積み重ねるのと異なり、
この作品は、結果として、小さな嘘と小さな本当を並べることで、
大きな嘘以上に信じがたい大きな本当(戦争)に真実味を与えています。
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小さな嘘と小さな本当を並べることで作品世界へ誘う方法は、
(私は初めて出会いましたが、)
他の作品でもあるのではないかといろいろと検索してみました。
リアルな現実を相対化するという意味では、
シュールレアリスムの手法が近いのかなとも思いますが、
シュールレアリスムの絵画作品の多くは、大きな嘘が前面にでてきていて、
小さな嘘と小さな本当を並べるという手法とは少し違う感じがします。
(『光の帝国』など、マグリットの作品の中にはそれに近いものがあると思いますが。)
https://www.guggenheim.org/artwork/2594
戦争の悲惨さを訴えるという点では、
ピカソがキュビズムで描いた『ゲルニカ』が有名ですが、
やはり小さな嘘を並べる、という感じはしません。
http://www.museoreinasofia.es/coleccion/obra/guernica
いろいろ検索する中で、やっと見つけました。
【マジックリアリズム】
これですね。
小さなファンタジーと細部に宿るリアリティーを並べることで、
観客の現実を相対化して作品の世界に誘い込む手法。
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さっそくマジックリアリズムの代表作である
コロンビアの作家ガルシア=マルケスの
『百年の孤独』
を読んでみました。
(続きはまた今度。)
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