昨日の山響モーツァルトシリーズの本番の疲れを無視して、まずはハイドンから。
ユニゾンで始まる第一楽章。今までなら「いきなりユニゾンか。・・・厳しいな」と思うところですが、昔に比べると随分まとまるようになってきました。・・・思えばこのメンバーになってから、期間はそう長くないものの「苦楽を共にしてきた」と言えるだけの、本番回数をこなしてきました。夏の暑い日も冬の雪の中も、「いい加減今日ぐらい休ませろっ!」と叫びたくなるような日も、こうして集まってチマチマと練習を重ねてきました。少しはその甲斐があったということなのでしょう。
今、今日の練習の録音を聴きながらこれを書いていますが、仕上がりが早くなってきているのを実感します。後は、各自がさらに音楽に生命感を加えられるかでしょうね。まとまっているだけでは、ハイドンの音楽の良さが出てきません。
そういえば今朝テレビで、ハンバーグなどの家庭料理が、主婦とシェフでは何故こうまで味が違うのか、という番組を見ました。同じ材料を使っても、当然シェフの方が明らかにおいしいわけですが、では作り方の何が違うのか?
それはほとんどの場合、経験に裏打ちされた「ひと手間」なのです。素材のうまみを引き出すための「ひと工夫」があるかないかで、決定的に違う。それは反復練習だけでは身に付かないものです。
我々の練習は今回まだ初期の段階ですが、録音を聴いていると「精度が低い」よりは、そういうものが「ひとつ」足りないような気がします。要研究。
さて後半は清瀬保二。まだとにかく曲の全体像を知る必要があるので、崩壊しない程度の打ち合わせをしてから、録音。
そして今、それを聴いているわけですが・・・
一言でいうと、「良い曲」です。魅力的な響き、それも他の作曲家には無い明らかな個性がある。ラジオなんかで、聴く気もなく耳にしただけで、「この曲なんだろう・・・もっと聴いてみたい」と惹きつけられる曲ってありますよね。そういうものを持っている曲です。楽理的な事には弱いので何とも言えませんが、何かの旋法に則っているようです。
しかし当然、演奏はハッキリ言って、まだまだぐちゃぐちゃ。それぞれが吹雪の中を闇雲に歩いてる感じ。あらら・・・遭難した。
しかし、仕上がっていく課程が楽しみな曲です。・・・こんなに良い曲だとは知らなかった。
ユニゾンで始まる第一楽章。今までなら「いきなりユニゾンか。・・・厳しいな」と思うところですが、昔に比べると随分まとまるようになってきました。・・・思えばこのメンバーになってから、期間はそう長くないものの「苦楽を共にしてきた」と言えるだけの、本番回数をこなしてきました。夏の暑い日も冬の雪の中も、「いい加減今日ぐらい休ませろっ!」と叫びたくなるような日も、こうして集まってチマチマと練習を重ねてきました。少しはその甲斐があったということなのでしょう。
今、今日の練習の録音を聴きながらこれを書いていますが、仕上がりが早くなってきているのを実感します。後は、各自がさらに音楽に生命感を加えられるかでしょうね。まとまっているだけでは、ハイドンの音楽の良さが出てきません。
そういえば今朝テレビで、ハンバーグなどの家庭料理が、主婦とシェフでは何故こうまで味が違うのか、という番組を見ました。同じ材料を使っても、当然シェフの方が明らかにおいしいわけですが、では作り方の何が違うのか?
それはほとんどの場合、経験に裏打ちされた「ひと手間」なのです。素材のうまみを引き出すための「ひと工夫」があるかないかで、決定的に違う。それは反復練習だけでは身に付かないものです。
我々の練習は今回まだ初期の段階ですが、録音を聴いていると「精度が低い」よりは、そういうものが「ひとつ」足りないような気がします。要研究。
さて後半は清瀬保二。まだとにかく曲の全体像を知る必要があるので、崩壊しない程度の打ち合わせをしてから、録音。
そして今、それを聴いているわけですが・・・
一言でいうと、「良い曲」です。魅力的な響き、それも他の作曲家には無い明らかな個性がある。ラジオなんかで、聴く気もなく耳にしただけで、「この曲なんだろう・・・もっと聴いてみたい」と惹きつけられる曲ってありますよね。そういうものを持っている曲です。楽理的な事には弱いので何とも言えませんが、何かの旋法に則っているようです。
しかし当然、演奏はハッキリ言って、まだまだぐちゃぐちゃ。それぞれが吹雪の中を闇雲に歩いてる感じ。あらら・・・遭難した。
しかし、仕上がっていく課程が楽しみな曲です。・・・こんなに良い曲だとは知らなかった。