浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

戦後、米国が禁じた地政学は今も日本に存在していない

2013-05-10 23:25:09 | 資料

 GHQ,マッカーサーが日本に上陸したとき、あまりに何もない貧しい国であることに驚いた。

なぜ、日本だけが、イギリスもドイツもできなかった機動部隊をつくり米国と太平洋上で戦争ができたのか?

それは日本人の精神や積み上がった学問だと悟ったマッカーサーは日本にある有益な図書7,000冊以上を焚書した。
指定図書の研究、回収は、静かに、極秘に行われた。

そこには、日本人の精神をささえてきた歴史の本の数々から、アメリカ研究や資源研究の本、そして、戦略にかかわる本、地政学の書籍もあった。

戦後日本では地政学は勉強できない。
大学で専攻できる学部、学科はない。

◆地政学=地理政治学(Geopolitics)とは

 政治現象と地理的条件との関係を研究する学問。一国のとりうる外交・防衛政策はイデオロギーなどとは無関係に、その国に与えられた地理的条件で(ほぼ自動的に)決定されるはずであるという考えに基づく。
イギリスの学者マッキンダーが唱えた「ハートランド理論」に始まる。

これは、ユーラシア大陸の心臓部を支配する国(モンゴル帝国等)は、そこがいかなる海軍の攻撃も受け得ない「聖域」であることから世界を制することができるという理論である。

大陸国家であるソ連はこの考えに基づいて東欧とアフガニスタンを侵略したし、同じく大陸国家であるドイツは、この考えをドイツ流に修正したドイツの学者ハウスホーファーの理論に基づいて、やはり東欧に侵攻したとされる。

しかし、海洋国家であるアメリカは、ハートランドの支配は不可能なので、そのまわりにある大陸周縁地域「リムランド」(極東、西欧など)を支配するための方法論を構築した。

アメリカの学者マハンが著書『海上権力史論』で首唱し、アメリカがこれに基づいてパナマ地峡の侵略(パナマ運河の獲得)、ハワイ、フィリピンの侵略を行って制海権の拡大などの成果をあげたことから、理論的に確立された。アメリカの大東亜戦争における日本占領、沖縄、韓国などへの米軍基地建設や台湾への軍事援助はすべて、根本的にはこの理論に基づいており、自由主義思想や民主主義思想は二義的な役割しか果たしていない。

◆地政学から考えると日本の仮想敵国はアメリカではないか

 「仮想敵国とは何か。それは、同じようなものを、同じ相手に売っている国のことである。原理的に考えれば、日本の仮想敵国はアメリカではないか。私たちは、そうしたことを一度でも考えたことがあるか」

「日本は、そのアメリカと同盟関係にある。いわば、仮想敵国同士が軍事同盟を結んでいる訳で、これも歴史上、あまり見られない現象である。共産圏(ソ連・中国)とは、イデオロギー的に対立しているが、経済的な対立は、実はほとんどないのではないか」

●覇権国家の悪夢は、2・3位連合である

「覇権国家の悪夢は、常に2・3位連合である。2・3位は合従して、覇権大国に対抗しようとする。これに対して、覇権国家は、2・3位を常に分断しようと試みるのが常だ」

「日米同盟は、覇権国家と(経済力)2位の国の軍事同盟である。これも歴史上、あまり見られない特異な現象である。このように、日米関係は歴史上、かなり特異なものであるのだから、より慎重に取り扱わなければならない」

●外交は内政であり、経済力である

「戦争と外交は、クラウゼヴィッツが言っているように、同じものである。血を流すか流さないかの違いだけである」

「外交は内政である。国内をしっかり治められない政権が、他国と上手く交渉できるはずがない」

「外交方針をコロコロ変えて、得になることは何もない。普通の商売を考えても、いつも言うことが違う相手とは、安心して商いができないではないか」

「血を流す戦争がそう簡単にはできない以上、外交力はその国の(軍事力だけではなく)経済力によって、大きく左右されるものである」

・ロシアのメドベージェフ大統領の北方領土訪問
・韓国の李大統領の竹島訪問
・東京都(後に国)による尖閣諸島の購入

 実効支配している側が、敢えて、池に石を投じるという行為は、知恵(外交)が出せない中では、どちらかと言えば、異例に属する行為である。こうした行為は歴史的に見ると、あくまで一般論ではあるが、国内に何らかの解決困難な問題を抱えている場合や、閉塞感が蔓延している場合等に、為政者が(例えば市民の目をそらすために、あるいはガス抜きをするために)取りがちな行動であると考えられる。

 もちろん、歴史にifはあり得ないので、今更事態を元の鞘に戻すことはできない相談である。当面は、互いがcalm downするために何ができるかということに絞って、知恵を傾けるべきであろう。けだし、スピーカーで互いにがなり立てるばかりでは、安眠すら保証されず、睡眠不足で精神が不安定となり、国益に沿った冷静な判断ができなくなる恐れがあるからである。

北方領土、竹島、尖閣諸島、何れにおいても、わが国の主張は理に適っていると考えているので、舞台が国際司法裁判所であれどこであれ、堂々とわが国の主張を貫けばいいと思うが、外交は理屈だけではままならないことも、また歴史の教える通りである。中長期的に見て領土問題でわが国の主張を貫き通す(実現する)ためには、最低限、次の3点が(順不同ではあるが)必要だと考える。

 先ず、現代の外交は経済力に他ならないのであるから、わが国経済の地力を高める(回復する)ことが、何よりも重要である。わが国は、海洋を含めると、面積でも世界第6位の(超)大国である。広い領海を護るための艦船についても、十分な予算がないと、その手当すらできないことを忘れてはならない。

外交もまた、生きた(感情を持つ生身の)人間が行うものであるからには、友人を作ることの大切さを肝に命じるべきである。わが国が国運を懸けた日露戦争を、わが国にかなり有利な条件で講和に持っていけたのは、時のアメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトと金子堅太郎のハーバード大学以来培われた厚い友情が与って力があったことは、夙に指摘されている通りである(ルーズベルトと金子の繋がりに着目して、金子をアメリカに派遣した伊藤博文の慧眼にも瞠目すべきではあるが)。

 前述した通り、日米同盟は、歴史的に見て、かなり特異な関係である。普段からきちんと手入れをし続けなければ、この関係を長く維持することはできないという覚悟を持つべきである。

 その点から言えば、わが国からアメリカへの留学生が年々減り続け、反対に中国や韓国からアメリカへの留学生が年々増え続けているという現状は、憂慮に堪えないものがある(2009~2010学年度現在、日本人のアメリカ留学生は2万4842人、中国人のアメリカ留学生は12万7628人、韓国人のアメリカ留学生は7万2153人(出典: 徹pen Doors・Institute of International Education)。

 周辺各国全てと領土問題をはじめとするナイーブな問題を抱えている現状では、当面、わが国には、日米同盟を堅持する以外の選択肢はあるまい。そうであれば、わが国は日米の人的交流を必死に図り、絆を太くするように懸命の努力を官民あげて傾けるべきである。理想を言えば、どの国とも胸襟を開いて、本音で語り合える(アメリカ向け、中国向け、ロシア向け、韓国向けの)第2、第3の金子堅太郎を1人でも多く産み出していかねばならないのだ。

 最後に、国内政治の安定こそが、外交の礎であるということを各政党の領袖にはよくよく理解してもらいたいものだ。少子高齢化、財政再建(税と社会保障の一体改革)、競争力の強化(経済力の地力の回復)等、わが国が直面している政策課題は明らかである。

 望むらくは首相には、次々回の解散まで首相の席に留まってほしい。そして、そうする為にも、少なくとも、少子高齢化、財政再建、競争力の強化の3つの大きな政策課題については、総選挙の後で、与野党で政策合意に努めてほしい。社長が毎年交代するような企業とは、誰も真剣に取引しようとはしない。国際政治でも事は同じである。

引用元
http://diamond.jp/articles/-/25251

 朝鮮人は、常にその時代の最強国に付こうとしてきた民族である。世界の最強国に取り入り、その威光を利用して周りに威張りたいという願望を持つ民族である。

だから、民族としての知能も独創力も実力も、何もない。
ただ宗主国のものを模倣することしか出来ない。

それが有史以来の朝鮮民族の姿である。

 地政学は長期にわたっての経済の盛衰のカギを握ってきた。近代日本は1867年から1930年代末までの60年間、世界史にも稀な驚くべき躍進をとげたが、それは明治維新による近代国家の樹立によるものであり、1930年代後半から1940年代の経済大破局は、大東亜戦争での大敗北による。

 そして1950年から1990年までの40年間、日本経済は奇跡の復興と大成長を遂げたが、それは日米安保体制の賜物であった。日本はアジアにおける自由主義の砦として著しい好環境に恵まれたのである。

地政学とは地球全体を常に一つの単位と見、その動向をリアル・タイムでつかんで、そこから現在の政策に必要な判断の材料を引き出そうとする学問の謂であり、かなり高度な政策科学の一種である。従来、誤解されがちな観念論でも宿命論でもない。

現代の日本に再び地政学を確立することが、いままさに必要な時ではないかと思う。 

政治・外交・教育・安全保障・経済・歴史認識といった国家の根幹をなす重要分野に対して、地政学的思考の注入を図り、国家戦略構築の要となすことである。

 


インド、パキスタン、アフガニスタン、バングラデシュの悲劇

2013-05-10 04:39:53 | 資料

2013.05.09(木)

アジアを紛争の罠にはめた英露のグレートゲーム

インド、パキスタン、アフガニスタン、バングラデシュの悲劇

5月1日、アフガニスタンとパキスタンの国境付近で、両国の警備隊の間で数時間にわたる銃撃戦があった。詳細は定かでないが、パキスタンが設置した国境監視施設が自国内にあるとアフガニスタンは主張、カルザイ大統領は「デュアランド・ライン」と呼ばれる現在の国境線を認めないとさえ発言している。

 ハミィド・カルザイ

英国とロシアの膨張戦略で何度も引き直された国境線

 19世紀、帝政ロシアの圧倒的膨張力に対抗せんと、インドから北へと向かう野望ありありの大英帝国は、その狭間のアフガニスタンへと侵攻を開始した。しかし惨敗。

 とは言え、ロシアが中央アジア地域を次々と配下におさめる現実に、1878年、再び戦争をしかけ、何とか保護国化することに成功する。そして93年に設けられたのがこの国境線。

 当時の英国領インド帝国外相の名をとり「デュアランド・ライン」と呼ばれている。しかしそれは、アフガニスタンの中心をなすパシュトゥン人の居住地域を引き裂く線ともなっていることにも、今回、カルザイ大統領は言及しているのだ。

 その頃、ラホール(現パキスタン領)などでジャーナリスト活動を続けていたのが、「ジャングル・ブック」で知られる英国人ラドヤード・キップリング。

 こうした情勢を織り込んだ作品を数々発表しているキップリングの代表作「キム」(映画化された時の邦題は『印度の放浪児』(1950))では、両国のせめぎ合いを「グレートゲーム」と呼び(以前からあった表現ではあるようだが)、以後、英露の膨張合戦を示す表現として広く使われるようになる。アフガニスタンは、そのグレートゲームの緩衝地帯となったのである。

 一方、英国の繁栄を支えるゲームの重要な駒インドでは、国民会議が設置された。産業界の代表、知識人層などの不満を吸収するための組織である。

 しかし、その中から反英急進派が台頭してくると、民族運動の中心地ベンガル地方を分断することでその勢いを止めようと「ベンガル分割令」を1905年に発令。

 それがかえって反英闘争を激化させてしまうことになれば、今度は、東ベンガルに自治州をつくることで利を得るはずのイスラム教徒のために「全インド・ムスリム連盟」を設立。

 結局、1911年、分割案は撤回されることになるのだが、こうして設けられた2つの組織は、以後独立へと向かうインドの中心組織となっていく。そんな独立までの経緯は、リチャード・アッテンボロー監督の描く“マハトマ”・ガンジーの一代記『ガンジー』(1982)が分かりやすく描写している。

 1947年、ようやく訪れた「インド」の独立は、ヒンドゥー教とイスラム教という宗教による地域分割を意味した。大抵の地域はすんなり帰属が決まったものの、藩王がヒンドゥー教徒で住民の8割がイスラム教徒というジャンムー・カシミール藩王国では決定が難航。

 ところが、パキスタンからイスラム教徒の民兵が侵入を開始したことから、インドに派兵を要請、そこから印パ戦争へと発展していってしまう。以後、今に至るまで、カシミール地方は火種であり続けることになる。

東西に分割されたパキスタン

 この頃の様子を描く欧米映画はあまりないが、インド映画にとっては絶好の素材。『1947 アース』(1998/日本未公開)もそんな1本だが、そこに描かれるのはヒンドゥー教徒、イスラム教徒のみならず、シーク教徒、ゾロアスター教徒なども暮らす多宗教社会の現実。

 国境線に分断される住民の悲劇がインド映画特有の歌をからめた物語進行で語られる。

 こうして成立したパキスタンは東西に分断されていた。西はウルドゥ語、東はベンガル語、と言語も違う。しかし、人口や商品生産量などで多数を占める東に対し、政治権力は西に集中。

 そして、ウルドゥ語だけを公用語としようとしたことをきっかけとして、ベンガル独立運動は活発化していく。

 1970年、東パキスタンは強力な「ボーラ・サイクロン」に襲われる。高潮にのまれた広大なデルタ地帯では20万人から50万人もの人々が犠牲となってしまう。そんな深刻な事態にも政府の対応は遅かった。

 住民の不満は爆発、翌年3月、ついに東パキスタンはバングラデシュとして独立を宣言する。しかし、西パキスタンは認めず、バングラデシュ独立戦争たる内戦へと進展していくのである。

 その際発生した大量の難民がインドへと流入。そんな状況にある1971年8月、ニューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデンで、難民救済のためチャリティ・コンサートが開かれた。

 映画『バングラデシュのコンサート』(1971)として映像化されたこのコンサートは、元ビートルズのジョージ・ハリスンが主催したオールスターキャスト。世界の目をバングラデシュに集めることに成功したが、それは一時的なものにすぎなかった。

 100万人とも言われる難民を養う余力など持ち合わせていないインドとパキスタンの関係は悪化の一途をたどり、ついに東を支援する形で軍事介入することになる。第3次印パ戦争の勃発である。

 しかし、2週間あまりで西パキスタンは降伏、12月には国際社会もバングラデシュの独立を容認することになる。

政権に就けば暗殺されるの連続

 こうして独立の夢を実現したバングラデシュにも内包する民族問題があった。100万人もの先住民が暮らす東部のチッタゴン丘陵で、大規模な移住計画や先住民のベンガル同化策が進められていったのである。

 やがて、先住民の間から「シャンティ・バヒニ」によるゲリラ活動が展開されるようになり、このあたりは長く内戦状態に陥ってしまうことになる。その和平が実現したのは、1997年12月になってからのことだった。

 政局も混乱状態が続いた。独立運動中、死刑判決を受け投獄された「建国の父」ムジブル・ラーマンは混乱を極めた国を治めていったが、1975年に起きたクーデターで暗殺されてしまう。その後、政権の座についた陸軍参謀長ジアウル・ラーマンも81年5月暗殺。

 クーデターで権力を握ったエルシャドが反政府運動の激化で退陣した1991年2月になって、ようやく、初の実質的民選となったのである。そして、ジアウル・ラーマンの未亡人カレダ・ジアが、憲法改正により大統領制から議院内閣制へと変わったこの国で首相の座についたのだった。

 1996年には、シェイク・ハシナにその座を奪われるが、彼女はクーデターで一家のほとんど惨殺された際、海外留学していたために難を免れたムジブル・ラーマンの娘。その後も2人はしのぎを削り、今、首相の座にあるのはシェイク・ハシナ。大惨事となったビル崩壊事件の対応に追われる姿がメディアを賑わしている。

 シェイク・ハシナ

 未亡人と娘。血縁や配偶者による政権の引き継ぎは、バングラデシュのみならず、インド、パキスタン、スリランカなど、南アジアではよく見られる風景だ。

 パキスタンの政局も安定しなかった。東西分裂後、大統領、首相などの地位についたズルフィカール・アリー・ブットーは土地改革など社会主義的政策を推し進めていったが、旧支配層からの支持を得られず、1977年にはクーデターにより排除され、政敵暗殺の容疑をかけられた79年には死刑に処せられてしまう。

 そして政権の座についたジア・ウル・ハク将軍はアフガン紛争が終わりかけた1988年飛行機事故死。同年12月、ようやく文民政権が誕生し、ブットーの娘ベーナズィールが首相となったのである。

 ベーナズィール・ブット

 一方、インドでは、穏健な政教分離とのイメージの国民会議が長く政権を維持していた。しかし、度重なる汚職疑惑のなか、1996年、バジパイ首相率いるヒンドゥー至上主義政党インド人民党(BJP)に政権与党の座を譲ることになる。そしてそのバジパイ政権は、98年、核実験を強行したのである。

 それに対抗するようにパキスタンも核実験を決行、印パ対立は、世界に全面核戦争の恐怖さえ感じさせる新しいステージへとはいることになる。

9・11でのとばっちりを受けたムシャラフ

 現在日本でも劇場公開中の『タイガー 伝説のスパイ』(2012)はインド映画歴代2位の興行収入となる大ヒット作だが、そこには核技術がパキスタンに流れることを阻止せんとするインドのスパイの姿がある。

 1999年、パルヴェーズ・ムシャラフが無血軍事クーデターでパキスタンの事実上の国家元首となった(2001年6月大統領就任)。ブットーやナワーズ・シャリーフなど、めまぐるしく首相が入れ替わった文民政権は腐敗にまみれていたことから、国民の支持は高かった。

 しかし、9・11同時多発テロが政権を苦しめることになる。

 米国が「対テロ戦争」を始めると、国際的孤立を恐れ、米国支持を表明。しかし、キリスト教国がイスラム教国を攻撃することに反感を持つ国民は少なくなく、不満が噴出。板挟みになったムシャラフの苦悩に歪む顔は、この国の苦しい立場そのものだった。

 親米路線で軍事経済援助を受け、インドとは段階的に協調路線をとっていったムシャラフは、2007年10月の大統領選挙で圧倒的多数の票を得た。

 パルヴェーズ・ムシャラフ

 ところが、陸軍参謀総長の大統領選出馬が違憲か否か係争中だったことから、最高裁長官を解任、自宅軟禁したうえ、非常事態宣言を出す状況下で11月24日当選となったのだった。

 その頃、1996年、汚職や不正蓄財を理由に首相職を追われていたベーナジール・ブットーが、米国の支援を受け、国民議会選挙のために帰国していた。ところが、12月27日、暗殺されてしまったのである。

 翌2008年2月の国民議会選挙ではパキスタン人民党が勝利、ユースフ・ラザ・ギーラーニーが首相に選出されると、当初抵抗したものの、ムシャラフは8月に辞任を発表、以後、ロンドンでの事実上の亡命生活に入っていた。

 それから5年、クーデターも起こらず、パキスタンの歴史上初めて文民政府が任期を満了した。そして行われる選挙の投票日がこの11日。国政復帰を目指し帰国したムシャラフは候補申請が認められず、4月19日には不法解任・拘束の疑いで逮捕されてしまった。

 選挙を前にして、イスラム過激派による候補者や選挙事務所へのテロが繰り返されており、候補者が殺害されるなど治安が悪化、警備には軍や警察など60万人を当たらせるという。

 パキスタンの地で米国が単独で行ったビンラディン殺害などで米国との関係は冷えこんでおり、ムシャラフ辞任後は、軍事パートナーを米国からロシアや中国へとシフトしつつある現実もある。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37745

 

2013年03月15日

パキスタンのグワダル港を得た中国 
「真珠の首飾り」に神経をとがらせるインド

米海軍大学のホームズが、Diplomat誌ウェブサイトに2月9日付で掲載された論説で、中国はパキスタンのグワダル港の運営権を得ることとなったが、同港は軍港には適さず、また、余程のことが無い限り、パキスタンが、同港の有事における軍事利用を中国に認めることもないであろう、と述べている。

 すなわち、中国が多額の資金を投じて開発してきたパキスタンのグワダル港の運営権が、シンガポールのPSA社から中国の国有企業に移管されることとなった。この移管は長年の懸案であったので特に驚くべきことではない。

 しかし、インド政府関係者は、インド亜大陸の西の脇腹に中国が進出してくることへの懸念を表明している。グワダルのコンテナ港を改良すれば、軍艦の入港も可能になるので、インドを取り囲む中国の海軍基地ネットワーク「真珠の首飾り」の一環になるのではないかとの懸念である。

 インド・太平洋地域で一種の連鎖反応が起きており、西部太平洋では、中国が海洋覇権国の米国に包囲されることを懸念し、南アジアでは、インドが将来の覇権国たる中国に包囲されることを懸念している。

 但し、現時点では、インド側は心配し過ぎである。この点は、マハンの海軍基地評価基準に照らし合わせれば明らかである。マハンの第一の基準は、地図上の位置であり、重要なシーレーンやチョーク・ポイントに近いか否かである。第二の基準は、強度であり、自然の要塞か或いは要塞化が可能か否かである。第三は、資源であり、周辺地区からの補給または船舶による補給が可能か否かである。

 グワダル港は、インドの西にありホルムズ海峡にも近いので位置は問題ないが、強度は無く、補給も駄目である。同港は、海岸から突き出た狭い土地にあり、航空機及びミサイルによる攻撃の絶好の標的になる。補給は、反乱に悩まされているバルチスタン経由となる。マハンならば、中国にグワダルは推薦しないであろう。

 マハンの三つの基準に、新たに、同盟関係への配慮という四つ目の基準を付け加えたい。パキスタンが平時に中国海軍による同港の利用を認めるとしても、有事にも認めるとは言えない。同港の潜在的な経済的価値が極めて大きいからである。パキスタンの体制が危機的状況になることでもない限り、「真珠の首飾り」に同調することは避けるはずである。その代償が大きすぎるからである。

 中国がインド洋への海軍力進出に関心を持っていることは確かであるが、当面は、将来のオプションを確保しようとしているにすぎない。インドは、警戒はすべきであるが、怖れ過ぎてはならない。天が落ちて来ることがあるとしても、今ではない、と述べている。

                   ◆         ◆          ◆

 この件に関しては、シンガポールのPSA社は、グワダル港の40年間の運用権を獲得していましたが、運用実績が上がらず撤退を望んでおり、パキスタン政府が中国側に頼み込んで運用を引き継いでもらったというのが実情と伝えられています。

 ホームズが指摘する通り、中国は、将来のための駒を取りあえず確保しただけのことであり、グワダル港の軍事基地化が直ちに進むようなことは無いという見通しが正しいのでしょう。また、インド海軍は、マラッカ海峡の出口にあたるアンダマン諸島に根拠地を持っており、仮にグワダル港が中国海軍の基地となったとしても、必ずしも、中国が有利になるとは言えません。

 ただ、客観的情勢は上述の通りとしても、アジア太平洋の重要な友邦であるインドが「真珠の首飾り」に対して神経をとがらせていることも事実ですから、そういう観点からも、海洋安全保障の分野で日印が連携を深めることには大きな意義があります。

 2013/04/24

インド「中国が侵攻」=カシミールめぐり対立

 【ニューデリー時事】中国との間でカシミール地方の一部領有権を争うインドが最近、中国人民解放軍が過去に合意した実効支配線を越えてインド側に侵攻したとして中国に抗議した。しかし、中国は自国領内との見解を表明。両者の溝が埋まる気配はなく、対立が深まる恐れもある。

 インドの報道によれば、カシミール地方のうち中国と国境を接するラダック地方で15日、中国軍が実効支配線より約10キロインド側に侵入し、テントを設営。数百メートル離れたインド軍と対峙(たいじ)する状況になった。テレビ各局は「中国の挑発」などとやや感情的に報道している。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201304/2013042400681&g=int

 4月19日にジュネーブの国連欧州本部で「日本に対し核兵器は絶対に使わない」と中国外務省の軍縮局長が述べていたがその舌の根も乾かないうちに早くもインドに対し、その横暴で卑劣な姿勢を表した。

PTIによれば、中国軍の小隊約50人が15日、印北部ジャム・カシミール州の中印実効支配線を越えてインド側に約10キロ侵入し、テントを設営した。インドも国境警備隊が中国軍の駐屯地から約300メートルの場所に野営地を設置し、両者がにらみ合う形になった。インドは中国に協議を呼びかけているが、19日時点で中国側の返答はないとのこと。

 日本では「中国軍がインド側に越境」等と報道されているが軍により越境するのは明らかに武力行為である。

インド側はことを荒立てずに解決することを模索している最中なのでインドに配慮すべきではあろうが中国への配慮の行き過ぎる日本の売国マスコミの報道姿勢には正直呆れ果てる。

報道機関等とテレビ局や新聞社が図々しく今も名乗るのであれば、さっさとカシミール州に取材に出かけるべきだ。

ネットを見て記事を書いたり、番組を作るのであればウワサZとやっていることは同じである。尖閣諸島の問題を取りあげるまでも無く、両国とも核兵器保有国である。国際社会において決して見過ごせる話では無い。

ただでさえインド、パキスタン、アフガニスタン、バングラデシュと大きな問題を抱える地域に、中国の覇権主義が侵略と謀略を繰り返し、紛争を更に激化する様相がみえ、いずれは周辺国と中国共産党の間で戦争が始まるか目が離せない。いま正に全アジアが一致団結し対処するべきときにある。

それをぼ~と偏向ニュースを見て無関心な日本の庶民。つくづくこの国はお目出度い。

中印国境紛争とは、中華人民共和国とインドの国境問題により、1962年に中華人民共和国がインドに侵攻し生じた紛争のこと。2005年に、マンモハン・シン首相と温家宝首相の間で、「両国が領有を主張する範囲の中で、人口密集地は争いの範囲外」とする合意がなされ、両国にとって戦略上重要とされるアルナーチャル・プラデーシュ州、特にタワン地区は現状を維持している。なお現在アクサイチンは中華人民共和国が実効支配している。日本の学校教育用地図帳では、両国主張の境界線をともに引いた上で、地域は所属未定とする手法がとられている。2010年9月2日、インド東部のオリッサ州政府は、同国中央政府の国防関係者の談話として、同国が開発した中距離弾道ミサイル「アグニ2」(核弾頭の搭載が可能)の改良型実験に成功したことを発表した。「アグニ2」の射程は2000キロメートルで、改良型の「アグニ2+」は2500キロメートル。これまでにインド国防部関係者は「アグニ2」や短距離弾道ミサイルを、中国との国境地帯に配備するとしている。また、インド政府関係者は2010年3月に発表した国防計画に絡み、「2012年までに、中距離弾道弾による防御システムを完成。対象は中国とパキスタン」と発言した。※Wikipedia