タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹と生きる・竹を生かす」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

火焔土器と火焔型土器

2024年10月11日 | 健康・スポーツ・生涯学習

わが家から車で5分足らずのところに、「馬高縄文館」という小さな博物館があります。この一帯(長岡市の西側:丘陵地帯)には縄文時代の遺跡が点在しており、博物館名になっている「馬高遺跡」と隣接する「三十稲葉遺跡」、少し離れたところには「藤橋遺跡」や「転堂遺跡」などもあるんです。ボクら地域住民にとって「故郷の誇り」と言えば、「米百俵」よりも「火焔土器」って感じです(笑)。

はい。これが「馬高縄文館」の玄関前の広場です。手前にあるのは縄文オブジェです。「こんな形の土器も出土されたの?」って一瞬思いますが、これは縄文造形家・猪風来さんによる「土夢華・宇宙創生」という作品です。

「馬高遺跡」といえば、やっぱりこれ「火焔土器」ですよね。「あれ?火焔土器火焔型土器じゃないの?」って思った方は縄文時代に詳しい方ですね。ちょっと蘊蓄をたれますね。

  • 火焔土器は、新潟県長岡市の馬高遺跡で1936年に発見された1点の土器につけられた愛称です。
  • 火焔型土器は、火焔土器と似た様式の土器を指す名称です。

つまり「火焔土器」と呼べるのはこの長岡の「馬高遺跡」だけで、あとは(有名な十日町の笹山遺跡出土の国宝も)全部「火焔型土器」なんですよ。これって地元民にはけっこう浸透している話で、ボクらは「火焔土器」って言葉に多少のこだわりと誇りを持っています。なので他の遺跡から発掘された土器を指して「この火焔土器は…」なんていう話を聞くと、「違うでしょ?火焔型土器でしょ?」なんて突っ込んじゃうんですよね。一般の方にとっては「どうでもいいんじゃね?」って話です(笑)。

この「火焔土器」は、「芸術は爆発だ!」で有名な岡本太郎氏(「太陽の塔」の作者)が惚れ込んだ土器としても知られています。玄関を入った正面には、こんな展示もありました。あっ、ちなみにこの「馬高縄文館」は、館内での写真撮影はOKです。

ワンフロアの小さな博物館ですけどね。展示品は多いです。「縄文時代」に特化した博物館なので、この時代が好きな方にはたまらないでしょうね。ボクが今回見学したとき(3回目の来館です)にも、マニアックそうな方が熱心に見学していました。

もう少し蘊蓄をたれると、馬高遺跡で発掘された「馬高式」の土器には「王冠型土器」と「火焔型土器」の2種類があります。王冠型土器(上の写真の左側:作り物です)の基本的な形や文様は火焔型土器(右側)とほぼ 共通しています。 しかし、「王冠型」は「火焔型」の鶏頭冠突起の代わりに短冊状の突起がつくことや、 「火焔型」が水平の口縁に鋸歯状の小突起がつくのに対し「王冠型」は波状の口縁とな る点、などが異なります。

さて、実は今回ボクがこの「馬高縄文館」を久しぶりに訪れたのは、ある企画展が開催されていたからなんです。それがこれです。

「栃倉式土器」なんていう、ボクが知らない名前の土器が登場しているではありませんか。「なんじゃ?栃倉式って?」ってことで、この企画展に行ってきたってわけです。上のポスターの下の方にある4つが「栃倉式土器」です。大振りな取っ手(把手)がついているのが特徴です。「栃倉式土器」は長岡市の栃尾地域にある「栃倉遺跡」から発掘されたことで命名されました。

この「馬高式」と「栃倉式」の2種類の縄文土器の違いを考察したのが、今回の企画展のテーマでした。いやぁ~なかなかおもしろい。入館料200円で十分楽しませてもらいましたよ。

で、数日後に「馬高式土器から栃倉式土器へ」というテーマで、学芸員さんが講師を務める講座が行われることも知りましたので、さっそく受講を申し込んできました。なんたって無職になって(バイトは週に1~2回)暇ですからね。楽しみに参加したいと思います。面白かったらまた数日後にブログで蘊蓄をたれたいと思いますので、お付き合いください。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする