タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹林や自然と共に生きる」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

さすが高橋克実!新潟弁ネイティブ!

2024年08月16日 | 読みました!見ました!

今日は、NHKの朝ドラ「虎に翼」の話題です。主演は伊藤沙莉。日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ、一人の女性の実話に基づくオリジナルストーリーです。このドラマが結構おもしろくて、わが家では「このドラマを夫婦で見てから朝のそれぞれの活動に入る」というのが、毎日のルーティーンになっています。米津玄師の歌う主題歌「さよーならまたいつか!」も、なかなかいいです。

まぁここに詳しいドラマの内容を記載することは遠慮しますが、実はこのドラマ、7月~8月の数週間、舞台が新潟県三条市だったんですよ(今はまた東京に戻ってきました)。ドラマのセリフの中には、「長岡空襲」とかも登場してきました。

ドラマの登場人物の中には、当然「地元生まれ地元育ちの越後人」という設定の人たちが大勢います。もちろんNHKとしては「方言指導」のプロを雇って、役者さんたちに「新潟弁」を身に付けさせようとしたのでしょうが、ボクら地元民からすると「そのイントネーション、微妙に違うんだよなぁ…」というセリフが結構あったのは否めませんでした。まぁそれはそれで面白かったですけどね。

でもその中で、男優の高橋克実さんだけは違いましたね。完璧な越後弁を、完璧なイントネーションで操っていました。さすが高橋さんは新潟県三条市出身ですものね。越後弁ネイティブです。「やっぱり違うモノだなぁ…」と感心してしまいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノー・マンズ・ランド

2024年08月15日 | 読みました!見ました!

終戦記念日前後のタイミングで実施された、長岡市中央図書館の映画会に行ってきました。今回の映画は、2002年アカデミー賞受賞作「ノー・マンズ・ランド」です。

舞台は1993年6月、ボスニア紛争の最前線。霧で道に迷ったボスニア軍の兵士たちは、いつの間にか敵陣に入り込み、気づいたときにはセルビア軍の攻撃が始まっていた。唯一の生存者チキは、なんとか塹壕(ざんごう)にたどり着き身を隠す。そこは、ボスニアとセルビアの中間地帯"ノー・マンズ・ランド"。

ノー・マンズ・ランド(英: no man's land)というのは、「①所有者のいない土地」「②無人地帯」「③荒地」あるいは「④軍事対立の中間の、いずれの勢力によっても統治されていない領域」を意味する英熟語なんですね。今回の映画の題名はもちろん最後の④の意味です。

この映画は、ボスニア紛争中間地帯(ノーマンズランド)の塹壕にて繰り広げられる、ボスニア兵とセルビア新兵のいざこざに、国連保護軍や各国マスコミも巻き込んだ戦争風刺ドラマです。銃を片手に「どちらが悪いか?」というどうでもいい揉め事に殺し合いを始める仲なのに、タバコだけは譲り合うという割とブラックコメディ寄りな描写もありました。しかし、いきなり始まる戦争映画さながらの銃撃や国連保護軍の軍曹が言い放つ「何もしないで殺し合いを傍観するのは加勢してるのと一緒」という痛烈なメッセージ性もありました。シリアスもあり、コメディもありの、摩訶不思議な映画でしたね。

気絶した兵士の背中に地雷がセットされてから終盤までは、コメディ色も強くて笑ってしまう場面もありました。しかし、ラストシーンでは「え~??どうなるの?」と、無力感で言葉を失いましたた。

最後にチキが叫んだ一言がこの映画のテーマを集約しているように思いました。「俺たちの悲劇はそんなに儲かるのか?」

う~ん!間違いないのは「戦争は愚かだ!」ということです。ロシアもウクライナもガザ地区も、みんな戦争はやめてくれ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「春、戻る」(瀬尾まいこ)

2024年08月14日 | 読みました!見ました!

”瀬尾まいこ”さんの「春、戻る」(集英社)を読了しました。瀬尾さんと言えば、元教員の小説家で、学校などの教育現場を舞台にした小説を多く書いていますよね。ボクも今までにも彼女の作品を何冊か読んでいますが、ホンワカとした温かい気持ちにしてくれる作風で、好きな作家の一人です。

今回読んだ「春、戻る」ですが、ストーリーはこんな感じです。


結婚を控えたさくらの前に、兄を名乗る青年が突然現れた。どう見ても一回りは年下の彼は、さくらのことをよく知っている。どこか憎めない空気を持つその“おにいさん”は、結婚相手が実家で営む和菓子屋にも顔を出し、知らず知らずのうち生活に溶け込んでいく。彼は何者で目的は何なのか。何気ない日常の中からある記憶が呼び起こされていく。


このストーリーだけ読むと、「瀬尾さんにしては珍しく、学校や教育と無縁の小説なのか?」って思うのですが、決してそうでないのが瀬尾ワールドです。主人公のさくらには、県外僻地で小学校教員としての1年間の勤務経験と挫折経験があり、それがこの”おにいさん”の存在に大きく関わっているのです。

この小説は、突然現れた“おにいさん”によって、主人公が過去の出来事を思い出していく物語です。「思い描いたように生きなくてもいい、辛いのなら他の道を進んだっていいんだ」というメッセージが、ボクら読者の心に響きます。優しい人や、優しい言葉が溢れる本ですね。

字が大きくて行間も広くとても読みやすい本で、短時間で読めたのもヨカッタです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八百政、生誕66周年!

2024年08月13日 | 徒然なるままに

今日はお盆の8月13日。全国的に「お墓参り」の日でありまして、なおかつボクの誕生日でもあります。「誕生日は墓参り」というボクの運命についての記事は、過去のブログ記事をご覧ください。(笑)

 

誕生日は墓参り! - タケ・タケ・エヴリバディ!

今日8月13日は全国的に墓参りの日でありますが、実はボクの誕生日でもあります。子どもの頃は、夏休み中だしお墓参りの日が誕生日ということで、友達から誕生日を祝っても...

goo blog

 
 

65回目の8月13日 - タケ・タケ・エヴリバディ!

えっと、1年前の今日(8月13日)の記事を覚えていらっしゃる方などいないと思いますが、8月13日はワタクシ八百政の誕生日であります。まぁそれに関するボクの思いなどは...

goo blog

 

で、今日ボクは、生誕66周年の記念の日を迎えました。今年はカレンダー上で10日からお休みになりましたので、埼玉在住の息子一家と長岡在住の娘一家が3人の孫を含めて集まって楽しく過ごす予定だったのですが、娘のところの孫たちが発熱しちゃって外部との接触を自粛。ちょっと寂しいお盆の3連休となりました。

それでも息子一家は、6歳の孫を連れて海に行ったりマリンピア日本海に行ったりして、新潟での夏休みを満喫したようです。今日13日の午前にお墓参りをして、昼前に埼玉に帰っていきました。

まぁボクら夫婦は、「親子で楽しむ新潟帰省を後方支援しよう」ということであまりしゃしゃり出ず、海にも水族館にも同行せずに(まぁ町内の草刈り作業や墓掃除やアルビのホームゲームもあったしね)「笑顔で迎えるジジ&ババ」のスタンスでした。

で、息子一家が埼玉に帰り、今日のボクの誕生日は老夫婦2人でローストビーフとハーゲンダッツをいただきながら、お祝いいたしました。まぁ66歳にもなったらめでたくもないんですけどね。嵐が通り過ぎ、静かな夜を過ごしております。笑

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山は荒れていく!

2024年08月12日 | ふるさと長岡・嗚呼!田舎暮らし

ここ数年、毎年この時期の恒例となっている「林道の草刈り作業」に、今年も町内会の役員の1人として参加してきました。総勢15名(役員以外の強力な協力メンバーもいます)あまりの面々が軽トラに分乗し、1人1台の草刈り機をもって山道に移動し、草刈り作業です。炎天下ですが山は木陰になっているので、作業自体はそれほどキツくはありませんでした。それでも3時間半の作業後は、汗びっしょりのヘロヘロでしたけどね。

参加したメンバーの中で、ボクの年齢(65歳)は真ん中よりもずっと下。まぁこの作業に参加するメンバーも顔ぶれがほとんど変わらないまま1年に1つずつ年齢を重ねるわけで、高齢化が進んでいるのは否めません。

作業の休憩中に、「山のこと知ってる?」「この作業は何のためにするのか?」「この作業をやめたらどうなるか?」「いつまで続けられるか?」というようなことが話題になりました。

実際にわが家もこのエリアに数カ所の土地を所有している(固定資産前を払っている)のですが、正確に「ここがわが家の土地だ」という場所も境界もわかりません。ボク自身は20歳の大学生の頃、夏休みに帰省した際に祖父に連れられて山に来たことが1度だけあります。祖父曰く「お前の父親はアテにならんから、これから少しずつお前に山のことを教える」ということだったのですが、翌年に祖父は脳梗塞で他界しましたので、ボクは全く分かりません。アテにならない父はボク以上に山のことを知らず、それから40年間、八百政家の山は放置されたまま今日に至ります。父も15年前に他界しました。

作業に参加している皆さんと話してみても、大概はボクと大差のないレベルでした。結局、60~70代の跡取りたちがそんな感じなのですよ。ですが町民の中には定期的に山を訪れ、倒木の処理や下刈りなどの山作業をしている方もおり、「そのためにもこの作業は必要なのだ」という話になりました。

「じゃぁ現在、定期的に山仕事をしている人は町内に何人いるんですか?」ってことになるわけですが、「2~3年前にAさんとこの爺ちゃんが免許を返納して軽トラに乗らなくなってからは、Bさんちの爺ちゃん1人かなぁ?」ってことらしいです。もう既に、ボクらのこの作業もゴールが見えているってわけです。

ただ、この作業がなくなれば、「山が荒れていく」のは目に見えています。先人たちが苦労して整備した山道も、藪の中に埋もれていくのは必定です。この作業をいつまで続けどのタイミングで終了(山の放置)の決断をするのかは、ボクら世代に託された宿題なのかもしれません。負の遺産ですね。やれやれ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする