一年の汚れを洗い落とす洗剤のように雪がちらついた大晦日となった。2010年があっという間の一年であったのは私だけではなかろう。また、大晦日でも働らかれている方もおられよう。たんたんとした静かな大晦日を雪が演出してくれたに違いない。九州にも雪が降ってしまったようだが、本年が穏やかな一年になることを願う。
さて、暮れの日曜日、散歩がてらに淀川の砂だまりを歩いた。瀬田の洗堰のお陰か雨上がりの翌日でも水流は安定し、かなりの広さで砂州が出来上がっている。この砂州を土手から水際まで普通のスニーカーで歩ける。お目当ては「くらわんか茶碗」探しである。(小さい破片しか今は出ない。)
動画はわかり易くする為に見つけた破片を砂の上において撮影したが、本物の「くらわんか茶碗」の破片かどうか私にも判らない。分厚い白い生地に素朴な絵柄が見えることから判断すれば恐らく「くらわんか茶碗」の破片であろう。撮影後はもとの位置に返した。
くらわんか茶碗は長崎県の波左見、高槻市古曽部で大量生産された焼き物を使用していたとのことである。
京阪枚方公園駅の近くにある枚方市立「鍵屋資料館」(天正年間の創業、市指定文化財)には枚方宿跡の発掘調査で出てきた茶碗が展示してある。くらわんか茶碗と酷似しているもので添書きでは展示されている茶碗のルーツは前述の波佐見の窯元とあり、磁器とのことである。従ってくらわんか茶碗は「チャイニーズ」(漆器はジャパニーズだそうだ。)だったということになる。
川底から出てくる破片がくらわんか茶碗のものとすれば、三十石船の客を相手に商いをしていた動くスーパー、煮汁売り船の「くらわんか船」から落ちたものか、はたまた、三十石舟の客が落としたものか判らない。いずれにしても落としても気にならない廉価の茶碗であったようで歴史的な価値、美術的価値はどうやらなさそうだ。
次郎長伝に金比羅参りの後、のぼり「伏見」行きの三十石舟に乗った森の石松と江戸、神田の商人とのやりとりに出てくる「呑みねえ、寿司食いねえ、江戸っ子だってね~、神田の生まれよ~」の場面で使われていた茶碗がくらわんか茶碗であったかどうか知る由もないが、安藤広重の東海道57次の56次となる「枚方宿」の三十石舟の絵の中に茶碗らしきものはない。
「初春(はつはる)の淀の河口に摩天楼」
「初春(はつはる)や鍵屋暖簾に朝日指す」