Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

聖地巡礼

2016年11月20日 | 日記
聖地巡礼「二十四の瞳」 ロケ地小豆島の教室


 開されている映画「君の名は」の中に出でくるいろんな場所を尋ねることが流行しており、これを「聖地巡礼」というらしい。

久しく映画館に行っていないがこの映画は大ヒット中とのことである。

少し興味があって映画が日本初公開されたのがいつだったのか調べると偶然というか、20世紀に入る直前の1896年11月24日で、その場所は神戸であったようである。
 実に今週の24日で満120年になるわけである。(勿論、どんな映画だったのかは触れられてはいなかったが。)

 さて、この聖地巡礼を地でいっているわけでもないが、先日、香川県小豆島の映画村に連れて行って頂き、念願であった女優、高峰秀子さん主演の映画、「二十四の瞳」のロケが行われた教室を初めて訪ねさせて頂いた。

 テレビ、レンタルCDでこの映画は何度も見ているが、教室に入るや否や、映画の巻頭で大石先生が子供達の出席を取るシーンを思い出し、自分だけ一人ボッチとなってしばらくこの教室で留まるはめに。やがて、そのシーンに入り込んだ自分があり、父兄参観を実践したような錯覚に。

 山並み、町並みは時を経て、映画の中に出てくる画面とは一致しなくなっていると感じたが、映画村の帰りがけにちょうど雨が降り出した。これまた、雨の中を合羽をきた大石先生がバスを避けて自転車を持てあますラストシーンとそのバックで流れる「仰げば尊し」のメロディーが流れ出した。その時、「大石 小石、泣きみそ小石〜」と誰が叫んだ、そんな気がした。

整備された橋本砲台跡

2016年11月06日 | 日記
整備された橋本砲台跡


動不足の回避に向け、自宅から京阪橋本駅周辺まで自転車でブラタモリをやってきた。橋本駅の南方エリアは戊辰の役 橋本台場(砲台)跡があって平成22年に国の史跡に指定されて以降、住宅地の開発を含めた整備が続けられてきた。京阪電車からの眺めからみても、ほぼ完成に近づいているようである。

 石柱(道標)も以前、隅っこにあった場所から整備されて輪郭が明らかになった本来の台場跡地、南東部に移設され、当時の京街道に引き込み通路をつないだところに設置されたこの橋本台場(砲台場)のスケールの大きさが実感できることになった。

 このブログの2010年12月1日付け、「おりょうでん」の項でこの砲台の話題に触れさせて頂いてはいるが国史跡に指定された直後であり、田圃、畑が一部に残る、まったく普通の空き地であった。(リンクの貼り方は現在、確認中。しばしのお待ちを)

 入口部に新設された案内表示板も、より具体的なものになり、断面図も添えられていた。そこには堀に沿って構築された塀の上部に三門の砲台用、敵方の射程用に高さ2,2mの土塁も全周に渡って完璧に構築されていたようである。

 施主、守護職松平容保(かたもり)、設計 軍艦奉行 勝鱗太郎ときけば納得がいくというもの。どこかの都市の移転構造物の嵩上げ工事のあいまいさとは幾分違うようである。

 ちょうど昼下がりであったせいもあろう、この公園(?)で見かけた方は帰り際にすれ違った犬の散歩に来ておられたご夫婦一組だけであった。
 周辺の住宅開発、市街化、商店が揃えば多くの人が訪れる名所、スポットとなることであろう。

92年前の名子役再び

2016年11月01日 | 日記
92年前の名子役再び


「ハローウィン」が終わった。
今や、「バレンタインデー」の市場規模を抜き、クリスマスに次ぐイベントとなったことをニュース番組で触れていた。言われなくったって街を闊歩する若者、子供、幼児までマントを羽織り、被っているとんがり黒帽子をみれば納得というものだ。
 
 11月のイベントとしてすっかり定着したなと思いつつ、カレンダーをめくれば残り2枚となっている。(1枚のものもある。)こちらのほうがハロウィンより驚きである。

毎月1日は興行関連で映画の日となっているそうである。(正式な「映画の日」は12月1日)

 先週、小豆島に連れて行っていただき、念願の「二十四の瞳」のロケ地をいろいろ見せて頂いた。何じゅぺんも観たこの映画の各シーンを思い出しながらブログの原稿を書き始めていたら朝日新聞に今回の動画の記事が出た。

 勿論、この俳優は知らなかったが有名な子役だったことが触れられている。もう一人、子役で有名なシャーリー・テンプル(1928 04 23生)より10歳もご先輩のようである。

「二十四の瞳」は次回以降に触れるとして、飛び込んできたこの映画に関連するトピックを情報提供したくアップした次第である。

 因みに日本で映画が一般に公開されたのは1896年11月25日から29日の5日間、神戸市の神戸倶楽部(今のどこなのかは不明。)だったそうで、19世紀の終わり、20世紀に足を踏み入れる直前だったようである。折角だからとことん調べて、エジソンの発明した映画とどうかかわっているのか知りたいところだか、誌面が足りない。ここは皆さんの調査に委ねることとしたい。




動画の記事➡
「ベビー・ペギー」主演、92年前の幻フィルム見つかる

 アメリカの無声映画時代の人気子役で、「無声映画時代の最後のスター」といわれる女優ダイアナ・セラ・キャリーさんが主演した、92年前の映画のフィルムが日本で見つかった。いま98歳、カリフォルニア州で健在のキャリーさんは「5歳のときに出演した映画がまさか日本で」と驚く。

 発見したのは東京在住の活動写真弁士の片岡一郎さん(38)。上映できそうな無声映画の作品をネットオークションで探していたところ、熊本県から出品された9・5ミリフィルムを見つけ、6650円で落札した。9・5ミリフィルムは戦前、劇場用映画を家庭で鑑賞するために作られた規格。保存状態は良く、「1931、DAIREN」「ペギイのお手柄」といった日本語のタイトルや字幕が入っていた。「当時中国大陸にいた日本人が撮ったアマチュア映画だと思っていた」と片岡さん。
 ところが、アメリカの映画史研究家デイビッド・ステンさんらがフィルムを検証した結果、24年にアメリカで公開されたコメディー「OUR PET(私たちのペット)」であることがわかった。主演はベビー・ペギーの名で人気だった当時5歳のキャリーさんだ。

 おてんばなペギーが大人たちを振り回すコメディー映画のシリーズが、21~24年ごろに150作以上撮られた。いまフィルムはほとんど残っていない。ステンさんは「映画史にとって貴重な発見だ」と語る。

 フィルムの長さから15分程度とみられる。フィルムは修復した後、ステンさんに託される。片岡さんは「キャリーさんに映像を見ていただきたい。フィルムをしかるべきところに寄贈し、研究に役立ててほしい」と語る。(伊藤恵里奈)

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