Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

枚方八景 牧野公園の桜

2013年03月30日 | 日記
枚方八景 牧野公園の桜
 

昨日NHKのドラマで「火怨・北の英雄 アテルイ伝」でやっていましたが、今回は枚方八景牧野公園をご案内したい。

枚方の民話(この項 他のブログ参照しています。)
『1200年程前、桓武天皇が京に都をおかれた頃の話です。
朝廷は日本を一つにまとめようと東北の陸奥へ最後の手を伸ばしました。(今では大和朝廷の侵略とされているようですが。)
しかし、蝦夷(エミシ)の住む陸奥の国はとても豊かで自分達だけでも十分暮らす事が出来るので、一緒になろうと言う朝廷と考えが合わず、両軍は北上川で戦って勝ったり負けたりしました。

3度目の戦いの後朝廷が胆沢に城(今の役所)を立てていると蝦夷の大将アテルイと豪族母礼(モレ)が「降参します」と申し出て来ました。

朝廷側の坂上田村麻呂(社会科では最初の征夷大将軍だった。)はアテルイらを都に連れて行「道中に「自分の命は捨ててもかまわない。それより蝦夷のみんなを幸せにしてやりたい。」とのアテルイの立派な言葉を聞き、その真心に感動し、熱い友情が沸きました。田村麻呂は朝廷に「2度と戦わないと言っているので、陸奥へ返してあげてください。」と必死にアテルイの命乞いをしましたが、勝った喜びで誰も聞き入れてはくれません。

ついにアテルイは都に近い胆沢の景色とよく似た交野郡、宇山(牧野公園の近くの町名。)で処刑されました。』

という内容であるが、この伝承を伝える塚がこの牧野公園の中央にある。花見にきておられる大部分の人はご存知ないと思う。
撮影当日はご年配のご婦人お二人がお参りにこられていましたが、満開のそめいよしのがアルタイ、モレを忍ぶがごとく咲き誇っていると感じられていたかもしれません。少し考えすぎでしょうか。


『満開の そめいよしのや 春がすみ』(柳子)



日本玩具博物館発

2013年03月28日 | 日記
日本玩具博物館発


兵庫県姫路市香寺町中仁野671-3に1974年 (昭和49年)に 電鉄会社社員(山陽電車)であった井上重義氏が自宅の一部を展示館にした日本玩具博物館がある。
仕事でこの地方を訪ねた帰路、この博物館を訪ねた。

この博物館は今のところ一般社団法人や財団法人などの肩書きはついていない。
個人運営による博物館であり、博物館法(こんな法律があるとは知らなかった。)に基づく博物館相当施設とのことである。

創立年から数えると約40年となるが、この間、個人でしっかりと運営が続けられてきた博物館となる。
 春のシーズンにはいつも歴史が感じられるひな祭りのひな壇が展示されるが、その中には阪神淡路大震災の被災者からの寄贈もあると井上館長から説明があった。

大阪からは少し遠距離となるが、ファインダーに固定される色あせしていないブリキの三輪自動車はまさに「三丁目の夕日」(映画の方は確かダイハツのミゼットだったと思う。)の時代にタイムスリップさせてくれる。

「ぜんまいも 巻きたし玩具 飾りおり 姫路の春は 梅も残りし」(柳子)

Her song is so poor and begnner, but my camera work is ・・・・・

2013年03月13日 | 日記
Her song is so poor and begnner, but my camera work is ・・・・・




新米の鶯が向かいの家の庭に今年初めて訪れてくれた。その囀りは決して上手とは言えないが春を運んでくれたことに相違はない。
デジカメでの集音につき今回はボリュームを上げて聞いて欲しい。
この初啼きで暖かい一日がスタートしたが夕方には雨と北風に変わっていき三寒四温が一日のうちをめぐる日となった。

 どこで啼いているのか出勤時間を気にしつつ、音の所在をカメラで追ったが彼女を捉えた時はとなり家の庭にあっというまに飛んでいってしまった。「私の歌だけ聴けはよいのよ」というがごとく。ともかく、彼女をカメラに捉えた瞬間を見逃さないで貰いたい。


『やっと来て コートのままの 春告げ鳥』(柳子)

Lake Biwa

2013年03月12日 | 日記
Lake Biwa

 
近畿の水瓶、レイクびわの動画である。京阪 ミシガンの船上から比叡山⇒堅田の浮御堂(遠すぎて私のデジカメのズームで引っ張ったが捉えられていない。)⇒比良山系を撮影した。波はおだやかであったが、風(比叡おろし?)がきつく船内の案内は聴き取りにくいと思う。が、これも臨場感が出ると思い音楽の挿入は差し控えさせて頂いた。





『穏やかに 御堂の松や 比良の湖(うみ)』(柳子)


こちらが枚方八景 山田池

2013年03月09日 | 日記
こちらが枚方八景 山田池


、「湖面にも 春風過ぎて 薄日和」(柳子)

湖面に写る月を愛でて枚方八景に選ばれたのであろう。水面に浮かぶ朧月(おぼろづき)を想像すれば納得がいく景色をもっている。
古木が多い森の中にある広大なため池ではある。
水利権の厳しいルールを何事もなかったように現在の山田池の水面は穏やかで、多くの水鳥が羽根を安めにやってくる池となっている。
水田を潤し、穂谷川や様々な水路を経て、やがて淀川の大河に注ぐ。



安藤忠雄氏設計の大阪狭山市立郷土資料館

2013年03月07日 | 日記
安藤忠雄氏設計の大阪狭山市立郷土資料館


大阪狭山市立郷土資料館に入って正面に狭山池の堤の断面ピースが現地からスライスされた形で搬送展示されている。
この狭山池の土手の断面ピースは安藤忠雄氏の設計の展示館屋根まで届きそうな高さになっていることからしても壮大な大きさの堤であることが判る。
奥の人物の大きさと比較していただけたらその大きさが理解出来よう。
説明板には色相が異なっている箇所の年代が判るようになっていた。土手を利用した須恵器の釜跡もあったらしく須恵器も断面の中に埋まっているのが確認できる。

「堰堤のつぼみ開花を 我慢して 南河内は けふも北風」(柳子)

I allways feel very refleshed when I visit Yamadalke park nere where I live.

2013年03月02日 | 日記
昼下がりの狭山池


平成13年3月にオープンした「狭山池博物館」を設計事務所を営む友人T.H君に案内頂いた。
当館の設計はコンクリート打ち放しと幾何学的なフォルムによる独自の表現を確立し、世界的な評価を得ている かの安藤忠雄である。
自身、建築物の専門家でもないので博物館の建物には一般的に、安藤氏の建物としての評価、評定を行うだけとなったが、その設計構造の道順に従って案内されて入口に。
この博物館は隣接の大阪狭山池の歴史の他、堤を含む構造、果たしてきた役割の全てが判る展示物になっていた。
説明はあえて省略したい。是非、自分の目で確かめて頂きたいと思う。
枚方市にも灌漑用のため池として広大な公園の中にある「山田池」が存在するが、歴史、規模、役割などこの狭山池とダブってしまった。
調査結果は次のとおりである。

狭山池⇒約1400年の歴史(奈良時代) 面積36ha、周囲約2.85km、日本最古のダム式ため池、ため池百選

山田池⇒約1200年の歴史(平安時代) 面積10ha、周囲(改修道路で)約2,5km、枚方八景、府立公園



あかあかと 西日照らして狭山池 重ねし堤を 行基も見守り(柳子)