Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

熱田神宮

2017年06月17日 | 日記
熱田神宮


6月14日、名古屋で仕事があった。一生懸命議論した。手は抜かない。名古屋弁では「がんばらんとかんよ」となる。まっ ほどほども 注入要かも。

さて、折角の機会を頂いたので自宅を早めに出て一度も行ったことがなかった名古屋、熱田神宮をお参りさせて頂いた。名古屋からはそんなに距離はない

今からさかのぼること457年前の6月12日、駿府、今川方による自軍「丸根砦」、「鷲津砦」への攻撃開始を聞いた清州城の織田信長は飛び起きた。明け、午前4時頃に小姓衆5騎のみを連れて 出発、朝8時頃、熱田神宮に到着したとされている。

その後、軍勢2,000〜3,000人を集結させ、この熱田神宮に戦勝祈願を行ったとされる。後は歴史的にも名高い桶狭間の合戦での奇跡の勝利とつながるのである。
このくだりは、山岡荘八「徳川家康」で繰り返し読んだ部分ではあるが、この戦いの起点ともなった熱田神宮、杜は想像以上に厳粛、壮大なる社であった。足を延ばしてよかったと思う。
合戦当日、大雨が降ったとされているが今の暦の6月12日であり、梅雨の大雨だったのかもしれない。お参りした時は、動画のとおり快晴で、名古屋にいることを忘れるようなカラッとした天気であった。馬のいななきが聞こえた。

「いななきは 熱田(あつた)の杜(もり)の 風の音」(柳子)
「疾走の 蹄(ひづめ)の音や 桶狭間(おけはざま)」(柳子) 







御堂筋開通80周年だそうである

2017年06月08日 | 日記
御堂筋80年


 1年間、大阪市役所に勤めていたのは はるか昔の、また昔のことである。辞令を拝領したのは現、中之島中央公会堂をはるかにしのぐ格式のあった大阪市庁、旧庁舎であった。(下の画像)

 辞令を持ってこの庁舎を出た時の大きな道路が「御堂筋」であった。(その時は知らなかったし意識もしなかった、)

先日、現在の大阪市庁の前、御堂筋を歩いた。

二連の旗指物、のぼりが立っている。
「御堂筋完成80周年」「80th」「ANNVERSARY MIDO-SUJI」「御堂筋完成80周年記念事業推進委員会」とあった。
 
 地上と地下、どちらが早く開通したのか調べたら昭和8年に地下鉄御堂筋線が開通しているる。
 
 確か地下鉄御堂筋線は現在のトンネルの掘方のシールド方式ではなく開削方式で鉄道を敷設していたと思う。で、その後、開通した御堂筋は拡幅と直線形に施工しやすかったのではないか。

 そんなことを思いながら、ふと思いだしたことがある。現大阪トヨタ自動車が創立90周年をこの3月に迎えられたことである。私どもの組織でも相当の歴史のある自動車販売店ということになる