南海 浜寺公園駅
秋の全国交通安全運動
(その1)
平成29年9月21日(木曜日)から30日(土曜日)まで秋の全国交通安全運動が展開されている。
今年も秋分の日、23日に、参加・体験型の交通安全イベント「大阪フミリーフェスティバル」が浜寺公園で開催され、会員自動車販売店、職場の皆さん方と一緒に参加した。
動画はこの公園の真ん前にある「浜寺公園駅」である。
このフェスタに参加する度に利用する駅であるが、今回は動画のとおり旧駅舎が工事用の囲み塀で覆われている形になっており残念ながら駅舎の中に立ち入ることは出来なかった。
駅周辺道の交通の円滑化、交通安全確保に向けて堺市、南海電鉄が計画していた連立(れんりつ)立体(りったい)交差、駅を高架化するために、間もなく、この駅舎をレールに乗せて動かす曳家工法で、南西に約30メートル移動、一時退避させることが決まっているようだ。
立体交差事業が終了するまでの間の5~6年程度に限定されて、この駅舎が住民に向けたイベント等に活用される見込みのようである。
この駅舎は以前、このブログでも触れたとおりこの10月1日で丸110年を迎える、明治40年、1907年生まれ、20世紀初頭の駅舎である。
(その2)
春、秋の交通安全運動が展開される度に交通事故発生件数等の状況が報告される。昭和45年頃の交通事故発生件数をピークに、以後、いろんな交通安全啓発活動が展開され、また、道路を取巻く交通環境の整備と自動車そのものにも様々な安全対策が講じられ著しく進化したことにより大幅に減少しているのはご承知のとおりである。
現在はまさに「交通事故0」を目指した交通安全基本計画が立案され、展開されている時代にもなったといえる。
いつも思う。
日本で最初の交通事故(自動車が関わった)はいつ、どこで、どんな内容の事故だったのかと。
諸説ある。それぞれ保管されている資料は無いようだ。が、一般的なのはこの駅舎が建てられた8年前の1899年(明治32年)、つまり19世紀最後の年(日時は勿論不明)に大正天皇(皇太子)のご成婚のお祝いとしてサンフランシスコ在の日本人から謹呈された電気自動車が起こした事故のようである。
試運転中に「馬が引っ張らない馬車」に感動し、直前に飛び出した御婆さんを回避して皇居の堀にクルマ(又は運転手)が転落したこの事故が日本で最初に自動車が関与した交通事故のようである。
最初の輸入自動車であったのかどうかはわからないが、この事故車が内燃機関、蒸気機関の自動車ではなく電気自動車であったのも驚きである。
秋の全国交通安全運動
(その1)
平成29年9月21日(木曜日)から30日(土曜日)まで秋の全国交通安全運動が展開されている。
今年も秋分の日、23日に、参加・体験型の交通安全イベント「大阪フミリーフェスティバル」が浜寺公園で開催され、会員自動車販売店、職場の皆さん方と一緒に参加した。
動画はこの公園の真ん前にある「浜寺公園駅」である。
このフェスタに参加する度に利用する駅であるが、今回は動画のとおり旧駅舎が工事用の囲み塀で覆われている形になっており残念ながら駅舎の中に立ち入ることは出来なかった。
駅周辺道の交通の円滑化、交通安全確保に向けて堺市、南海電鉄が計画していた連立(れんりつ)立体(りったい)交差、駅を高架化するために、間もなく、この駅舎をレールに乗せて動かす曳家工法で、南西に約30メートル移動、一時退避させることが決まっているようだ。
立体交差事業が終了するまでの間の5~6年程度に限定されて、この駅舎が住民に向けたイベント等に活用される見込みのようである。
この駅舎は以前、このブログでも触れたとおりこの10月1日で丸110年を迎える、明治40年、1907年生まれ、20世紀初頭の駅舎である。
(その2)
春、秋の交通安全運動が展開される度に交通事故発生件数等の状況が報告される。昭和45年頃の交通事故発生件数をピークに、以後、いろんな交通安全啓発活動が展開され、また、道路を取巻く交通環境の整備と自動車そのものにも様々な安全対策が講じられ著しく進化したことにより大幅に減少しているのはご承知のとおりである。
現在はまさに「交通事故0」を目指した交通安全基本計画が立案され、展開されている時代にもなったといえる。
いつも思う。
日本で最初の交通事故(自動車が関わった)はいつ、どこで、どんな内容の事故だったのかと。
諸説ある。それぞれ保管されている資料は無いようだ。が、一般的なのはこの駅舎が建てられた8年前の1899年(明治32年)、つまり19世紀最後の年(日時は勿論不明)に大正天皇(皇太子)のご成婚のお祝いとしてサンフランシスコ在の日本人から謹呈された電気自動車が起こした事故のようである。
試運転中に「馬が引っ張らない馬車」に感動し、直前に飛び出した御婆さんを回避して皇居の堀にクルマ(又は運転手)が転落したこの事故が日本で最初に自動車が関与した交通事故のようである。
最初の輸入自動車であったのかどうかはわからないが、この事故車が内燃機関、蒸気機関の自動車ではなく電気自動車であったのも驚きである。