Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

天神橋筋商店街 夫婦橋欄干モニュメント

2016年08月20日 | 日記
天神橋筋商店街 夫婦橋欄干モニュメント


識も、情報も、興味も、暇もない私にはポケモンブームについて語れるものは全くない。と断言出来る。

しかし、そこかしこでの人の動きや会話でそれらしきものに辛うじて触れているのだろうと思う。

ホンダカーズ大阪本社ビルへのアクセス、公共交通機関はJR環状線「天満」か大阪市交 堺筋線「扇町」となる。

同社に伺う際はそのいずれかの駅を使い分けて使用している。どちらの駅からも扇町公園(以前は大阪プール、それより昔は大阪監獄があった場所)の中を通ることになる。
ポケモンが解禁?、日本上陸?になった数日後にこの公園を利用。いつもの公園とは一変し大勢の群衆、集団に占領されていたのである。
やむなく日本一長い「天神橋商店街」へ迂回。
この商店街でも聞き慣れぬ、「見た見た」、「何匹GETした。」の会話が飛び込んできたのである。後で聞けばこれぞ「ポケモンゴー」であったのである。

 先般、交通安全の催しがあり大阪府警本部幹部の方の挨拶があり、「このポケモンが現在は扇町公園から天保山に集団を引き連れて移動。このアプリ関連での交通違反で多くの検挙者が出ている」と冒頭で触れられていた。
そういえば、各企業の入口にポケモンに関する注意喚起文書も見かけるようになり、各電鉄会社でも「ながら携帯、歩きスマホ」の禁止をさかんに放送するようになった。さてもさても・・・
 このおかげというか本題に入る。
注釈は今後触れるとして、今回、やむを得ず、迂回して通ることになった天神橋商店街の中間地点にある交差点で撮ったのがこの動画である。
橋の欄干のモニュメントである。すぐ横の扁額に「夫婦橋」と書かれていた。後で調べてみれば、ここは、かの太閤秀吉が開削した川、「天満堀川」が流れていたところであり、この橋、そこに架かっていた橋とのことである。
 こんなところに川がと思ったものの、これぞ大阪八百八橋なのである。ポケモンのお蔭で思わぬ拾い物をした思いである。

大阪万博 100円記念硬貨

2016年08月14日 | 日記
大阪万博 100円記念硬貨


ペイン語のT先生の発音ではリオデジャネイロ ではなく リオ ネ ジャネイロ~となる。
当地、大阪では猛暑というか熱暑が続く。リオ ネ ジャネイロ~では平均気温が29度となっていた。当地より穏やかそうであるがやはり相当な気温の様子。

 さて、今日、郵便局のATMで現金の振込み手続きをやっていた時、500円を入れるつもりで500円硬貨を投入口に。
しかし、投入が拒否される事態に。硬貨を入れ過ぎたかと思いつつ、何度も方向を変えたりしてトライするも無理、今度は力づくで入れようにも全く入らず。これ以上やれば投入口が損傷する可能性もあり、まさかと思いつつも、その硬貨を確認してみたら500円硬貨ではなく100円の記念硬貨とわかった。

持ち帰ってネットで調べたらこの100円の大阪万博記念硬貨、直径は28mm、重さ9g、表面は動画のとおり葛飾北斎の富嶽三十六景の一つ「赤富士」がイメージされているものであった。


すんなりと投入出来た500円玉は直径26.5mm。重さ7.0gとなっている。記念硬貨を手の感触は500円硬貨とまったく同じ、
実際は微妙に違い、直径が1.5mm大きいことでATMへの投入を拒否されたのである。

ゴルフ規則で直径108mmもあるゴルフカップにカップインを拒否されるどこかのプレーヤーと同じと変に納得する次第。

さて、皆さんも気がつかれた方もおられよう。この大阪万博記念100円硬貨は恐らく誰も気がつかずに500円玉として流通していたのではないかと思うのは考え過ぎかであろうか。

スーパーのレジのマシンが支払い、釣銭の時の料金の過不足に警告を発する仕組みになっているのかどうか。ATMのような投入口ではなさそうであるが・・・

カウンターの方がお暇の時に一度尋ねてみたいものである。

と 書いている間にリオ ネ ジャネーロ~では女子マラソンの先頭集団が間もなく30Kmにさしかかろうとしている。

福士加代子頑張れ!

立山開祖の佐伯有頼少年像

2016年08月06日 | 日記
立山開祖の佐伯有頼少年像


この8月11日(木)は初めての「山の日」となる。
猛暑には涼しい山に登ろう、8月は海も山もよく似合うというわけでこの山の日が制定されたわけではなかろう。

たまたま本棚を整理していたら はるか以前に使っていた日焼けした「登山日誌」が出てきた。

先輩と室堂から立山雄山、薬師岳、槍、穂高を縦走した時のものである。
これだけの長期の休暇がよくまあ取れたものとあきれながら当時の職場先輩諸氏の顔を思い出し、恐縮しながら読んでいる。

登山日誌
1日目
富山、室堂着。霧、強風、サムシ。セーター着用。
霧に包まれて、雪渓を登攀。風とアイゼンの音のみ。


「ザラ峠」付近で初めて北アルプス連山が顔を見せてくれた。
夕方、5時、立山の花「コバイケイソウ」の咲く「五色平」に。

2日目
朝から再び霧雨。ポンチョ。待機していた各パーティーも8時頃から順次出発。
当9時に出発。「トンビ岳」。「トンビ山」へ。
霧雨凍ってニッカに。
「越中沢岳」で昼食。
他のパーティーと相乗りす。東京の方。
霧のカーテンが開くと北アルプスの大パノラマが眼前に広がった。
昨夜の暴風は嘘のよう。
「薬師岳」はまだ遠いが、かなたの雲海の上に白山連邦が顔を・・・・・・・・・・。




佐伯有頼像
今年の6月、立山に行く機会があったがこれまた霧と遭遇。
ケーブル中継駅の売店ロッジの階上にオブジェがあり、撮影したのがこの動画。立山開祖の佐伯有頼像である。
佐伯有頼像の横にある掲出文は以下の内容が書き留めてあった。

立山は文武天皇の時代、大宝元年(西暦701年)、16歳の少年「佐伯有頼」によって、熊と白鷹に導かれて開山されたと古くから語り継がれています。
越中(富山)では、古来より有頼の開山伝説にちなんで立山登拝を目標とし、子供たちの身体を鍛える立派な教育の一環をなしてきました。
平成13年、立山開山1300年祭の記念にあたり、今は亡き郷土史家 広瀬 誠先生の発願によって、富山県内外から多くの皆様の協力を得て、富山市呉羽山山頂に「佐伯有頼」少年の銅像が建立されましたこれは、その原型レプリカです。
彫刻 楢原北悠
鋳造 竹中製作所