Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

十五夜(Full Moon)

2013年09月21日 | 日記
旧暦の8月15日、今の暦で、この9月19日(木)は中秋の名月、芋名月といわれる十五夜であった。
満月が東の空にあがり、猛暑のぶり返しのように暑かった昼の暑気を吹き払うような鮮やかさであった。
 延長されていた国産ロケット「イプシロン」の打ち上げが無事に成功したことを伝えるテレビの画像に多くの国民が釘付けになったのは先週14日であり宇宙にまつわる話題が続く。
イプシロンの前のロケットは六年前の9月に打ち上げられた3機編成の月探査機、「かぐや」である。三機それぞれが月のまわりを周回しミッションを終えて月面に落下したことも記憶に新しい。

いつも思うことであるが満月の月は大変大きく感じることである。同じように多くの方も感じられているのではないか、その理由、薀蓄はここでは避けることとするが、5円玉を持って腕を伸ばして月を覗けばその5mmの孔径の中に月がすっぽり入ることをご存知だろうか。
一度試してもらいたい。満月が夜空に明るく輝き、大きく感じているだけなのである。

次の満月は来月10月17日の十三夜であることを付け加えておきたい。









『虫なきて 竹取り姫や 芋名月(いもめいげつ)』(柳子)

二百十五 

2013年09月16日 | 日記


近畿地方を16日未明から台風18号がかすめ、京都府南部、大阪府北部、奈良県、和歌山県が豪雨に襲われた。

16日は立春から数えて215日となる。思えば二百十日前後は台風のよく襲来する時期といわれているが、京都嵐山渡月橋近辺の被害状況をみるにつけ、大型台風であったとはいえ、やはり尋常ではない雨の降り方ではあるまいか。

 台風一過、日も差してきたこともあり所用を作って くずは に行き、ついでにくずはパブリックゴルフ場におりる淀川の土手まで足を伸ばした。
 土手には大勢のカメラマンが増水して泥色となった淀川にレンズを向け、盛んにシャッターを押しておられた。

 国交省のスーパー堤防はこのゴルフ場の近辺には敷設されていなかったように記憶しているがこのゴルフ場が冠水するのは集中豪雨のあった翌日の昭和57年8月2日(月)以来であるから31年ぶりの冠水被害となる。修復には時間と甚大な費用がかかるであろう。


自身で撮影した動画には激流の水面に顔を出している受付フロント(動画の中央の緑色の屋根)の横を流されていく「ごみの浮島」にカラスが悠々と乗っかって下流に流されていった。

すぐ近くではツバメが数十羽流れていく餌さを目当てに水面すれすれを飛び交っていた。
明日は空気も入れ替わる予報も出た。続いていた異常な天気に早くおさらばしたいものだ。

Who am I ? I am japanese mink 私は誰でしょう そう 鼬(いたち)ですよ。

2013年09月11日 | 日記



毎日私のブログに入って頂いている方を気にしながらも毎日続いた多忙と大猛暑に冷たいお茶ばかり頂いて皆さんのブログを読み続け、テンプレートも変えられてしまったことに自身恐縮している。この間、参議院選挙も終わり高校野球も幕を閉じ、全国各地で続いた異常、尋常ではない大雨と映画をみているのではないかと錯覚するかのような竜巻が各地に発生していた。この異常気象を吹き飛ばすががごとく2020東京オリンピック開催を告げるビッグニュースが続いた。

東京誘致が決定される前日に東京国立競技場が大改修されるとNHKの特番組でやっていた。国立競技場の前身は「明治神宮外苑競技場」であり、大正8年12月に工事が着工され大正12年9月の関東大震災や物価高騰等による中断を経て、大正13年10月(西暦では1924年)に完成、昭和33年の改修も含め、完成から今年で89年、来年90年を迎えるとその特番の中でコメントされていた。

 さて、この国立が完成した1924年は 十干(じっかん)十二支の最初の組み合わせに当たる甲子年(きのえねのとし)という60年に1度の縁起の良い年だったそうである。

甲子年(きのえねのとし)といえば、この干支の名称に由来した名前がつけられた大運動場が地元関西にも完成していることを忘れてはならない。言わずもがな阪神甲子園球場である。

どちらも関東大震災の翌年に完成されたことになり、なにやら縁がある競技場同士であり、それぞれがグランドはアスリートの汗や涙を長年沁みこませてきたのである。

 こんなことをふと思いながら偶然みた甲子園の野球中継の中で、グランドを逃げ回る「いたち」が写しだされていた。(「いたち」「甲子園」で検索すればヒットし、必ず動画サイトに入ることが出来る。是非、一見されたし。)

 かの地、枚方でもそこらじゅうで いたち を見かけるようになった。天敵の犬、猫が家で涼んでいるせいなのか、食材が溢れているせいなのか甲子園のグランドを闊歩するのも不思議なことではないのかも知れぬ。

 話を続ける。昭和34年7月の朝日新聞縮小版を中之島大阪府立図書館で読んでいて偶然見つけた面白い記事があった。

 動画でその記事を近接撮影し動画に貼り付けた。へび、スネークが今回の いたち と同じように甲子園のグランドを闊歩、否、這い回っていたのだ。記事に掲載されていた写真はへびの尻尾をつかむグランド整備員とそれをこわごわ見ているような当時の巨人監督の水原茂のようである。記事の全文は動画を静止させて読んで頂きたい。

 この年もきっと猛暑であったに違いない。