Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

カン デン・デン  カン デン・デン

2009年11月25日 | 日記

ご招待を受けて狂言(念仏狂言)を初めて鑑賞した。
それはテレビでよく見かけるお寺の舞台ではなく、京都府八幡市の生涯学習センターホールで行われた千本閻魔堂引接寺(いんじょうじ)のゑんま堂狂言保存会の方々による狂言。
お囃子は、鉦(かね)と太鼓で「カン デン・デン」が演技に合わせて繰り返される心地よいリズム、これに笛の範奏がカバー。
この念仏狂言は、面を被って演じられるため、表情、感情が分かりにくい分、それぞれの演者(?)が台詞とともにオーバーアクションで演じられるので初心者の私でも非常に判りやすくものになっており、当日の演目の一つは喜劇風の内容であった(鬼の念仏」であり、もう一つの演目は「土蜘蛛」)
いずれのストーリーからも、中世から庶民への布教に大きな役割を持っていたであろうと感じたが、招待して頂いた方も、他の観客も私と同感ではなかったのではなかろうか。
いろんな、また、それぞれ有名な流派がある能狂言にスポットが当たりがちの昨今ではあるが、念仏狂言がその能狂言に与えてきた影響も大きいものがあったのではないか。



京都のお寺で行われる念仏狂言は今回鑑賞した、ゑんま堂狂言の他、壬生狂言、神泉苑狂言、嵯峨狂言の四つの狂言があるとのことであるが、台詞があるのはこのゑんま堂狂言のみとのことである。
次回はいずれかのお寺で演じられる念仏狂言を拝観したいものである。

卑弥呼の宮殿

2009年11月17日 | 日記
炉端の店先に色づいた柿が積まれている大和三輪。
卑弥呼の宮殿ではとの報道がある纒向遺跡見学会に参加した。多くの考古学フアンが囲む柱穴群に宮殿の広さ、高さを実感する。
現地説明では、東西に同基軸をもつ四つの連続する建造物(一部柵穴もあり)が存在し、これは後に続く飛鳥宮の宮殿と同配列となる建物群跡とのことである。が、「ここが魏志倭人伝の邪馬台国であり、卑弥呼の宮殿とする証拠は何も出ていない、判らない。」と説明者のだめ押しがあった。やはり、確証するモノがない限り断定は避けざるを得ないのであろう。




見学会の後、卑弥呼の墓とされる箸墓古墳(全国で11番、奈良県下では3番目の大きさで近年の調査で従来の説を覆す卑弥呼没後の建造とされて注目された。)まで足を伸ばした。邪馬台国の首都「纒向」に隣接するこの地に卑弥呼は眠っているのだと一人つぶやきながら・・・そして、やっと射してきた西日の中に卑弥呼を見た・・・・

卑弥呼の秘密

2009年11月16日 | 日記
先週、佐賀県吉野ヶ里歴史公園を訪ねた。2回目の訪問となったが、前回がまるで駆け足だった為、この遺跡が卑弥呼が統治した「邪馬台国」だったのかどうかを聞くことさえままならなかった。今回は若干のゆとりもあり、園内の催物会場、要所ではボランティアの説明を聞く等ゆっくりと見学することが出来た。
魏志倭人伝に表記された邪馬台国の景観となる宮室・楼観・城柵・温暖地(入園当日は汗ばむ気温)から、倭人伝にいう邪馬台国はまさにこの地、九州説に納得、納得。されども、この園を囲む広大な田園を櫓から見るにつけ、この遺跡が、後に古墳時代を経て大集権都市国家の機能を持ったと思われる大和政権に繋がるゾーンであったとするには逆に広すぎるのではないかと帰り道はもうとっくに畿内説に立つ身となってしまった。もちろん、かくいう自分は畿内説でも、九州説の支持者でもない。いろんな本読んでゆり動く、裁判員になってしまった。選択するのを諦めている。金印、紫綬の物件がでるまでは・・・・・