Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

Skyscrapers(あべの ハルカス)

2014年06月14日 | 日記
アベノ ハルカス


初代キングコングがラストシーンで昇ったビルの名前はニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン5番街にあるご存知「エンパイア・ステート・ビルディング」で、その最先端部高さは地上443,2メートルの高さだそうである。
そこまでは及ばないものの大阪府下で一番高い建物が今年3月に完成した。
あべのハルカスである。
まさにSkyscrapers(スカイ スクレーパース=空をこすりあげて聳えるもの)を直訳したされる「摩天楼」にふさわしいビルである。
 いままで昇ったことのある大阪府咲州庁舎コスモタワーの高さを大きく超える高さの摩天楼でもある。

途中で乗り換えることになっている二機目のエレベーターで展望台まで40秒足らずで運んでくれた。

60階展望台からの眺望はあえて触れないでおきたい。
動画をみられるか、実際にご覧になれば納得されるであろう。東京の方からお叱りをうけそうであるが、このハルカスには気楽さがあり、並ぶ時間もさほどきにならず周りのビルを見に昇るようなようなタワーではないのである。
眼下には四天王寺五重の塔、天王寺動物園、大阪城、大阪湾、金剛生駒山系などOSAKANなら誰でも知っているポイントがジオラマのごとく展開しているのである。
大阪の高層建築物の象徴であった通天閣もそのジオラマの中にすっかり埋もれてしまい、何度も携帯のカメラを徘徊させてしまった。

 そこにハルカスの高さがあるのである。

『はじめての ナイフとフォークが囲みしは 近鉄デパの 二枚のケーキ』(柳子)

富士山 箱根(GW)

2014年06月01日 | 日記
富士山 箱根


円安、格安航空、世界遺産、日本食ブーム、安全な国 などなどのイメージがあってここに来て外国人観光客が一気に戻っているそうで、東京、富士山、京都の観光ルートがゴールデンルートと呼ばれているそうである。
箱根十国峠から乗ったロープウェイの向かいの席にオーストラリアからきたという二人の青年もまったく同じルートを西下、移動するとのことであった。

さて、富士山が世界遺産となって以来、数十年前の伊豆 箱根スカイラインの修学旅行が蘇った。
ガイドの「500円札の富士が後方に見えて来ましたね。」と
「車中での大歓声」と「最後部窓枠をはみ出すように空高くに浮かぶ圧倒的な富士」の印象である。
そんなわけで今回も、いつもの気まま旅となったわけである。

箱根十国峠からみた今回の富士はその当時の大きさではなかったものの、好天にもめぐまれ、より神々しく、大きく、美しい姿を再び見せてくれた。ありがたい。感謝、感謝。

 動画は500円札の絵と実景をオーバーラップさせて撮影させて頂いた。
気づかれた御仁もおられよう。札の富士はこの位置からのものではなかったのである。自身もこの位置からの絵ではないというのにすぐ気がついた。

札の富士山は富士山北側の山地、「雁ケ腹摺山」(がんがはらすりやま と言う。)から昭和17年に撮影されたものであることがわかった。

なぜ、札の絵は十国峠からの富士という印象が残ってしまったのか。バスガイドが説明してくれた場所が十国峠だったのか、それとも他の場所だったのかは今となってはもうわからない。

がんがはらすりやまへ改めて出向き、その位置からの富士を確認し、近くの温泉に行くという楽しみの課題を残しておくこととした。

最後に太宰治の小説を引用したい。ひょっとしたらこの小説が十国峠、富士、札という構図を作ってしまったのかもしれない。


「・・・十国峠から見た富士だけは、高かつた。あれは、よかつた。はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであらうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れて、見ると、ちがつた。私が、あらかじめ印(しるし)をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すつと見えた。・・・(「富嶽百景」(太宰治)原文のまま、この続きは ネット「青空文庫」「富嶽百景」と書き、検索してお読み頂きたい。)