Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

ミドルトン・アイランド(動画の貼り付け)

2012年04月27日 | 日記




アメリカ合衆国アラスカ州アンカレッジから飛行機でやっと到着出来るとされる島がある。その名はミドルトンアイランド(ミドルトン島)。グーグルでも検索出来ないような島である。

 
 東日本大震災の被災地から漂着したサッカーボールがそのミドルトン島に保管されているとする記事がインターネットに出、新聞各紙に大きく報道された。
 保管していた男性はアンカレジ近郊に住むレーダー技師デービッド・バクスターさん。
そのサッカーボールは3月中旬、アラスカ湾にあるミドルトン島の海岸を一緒に散歩していた同僚が発見し、日本語らしい文字が書かれていたことから、日本人の妻である「ゆみ」さんを持つバクスターさんにボールが託されたとある。
ここにボールがリレーされた糸、人の人の繋がりがあるではないか。


 あとで判明するが、被災地の陸前高田市の高校生が所有していたサッカーボールが漂着し.偶然と言うべきか、奇跡というべきか、人から人に、手から手に、最後は日本人の妻までたどりついたのである。
震災発生から約1年、陸前高田から実に約5,000キロを隔てての漂着とある。

 この記事を読まれた方の中に今も歌いつがれている島崎藤村の『椰子の実』を思い浮かべられた方も多かろう。
南太平洋の何処かの島から漂流を始めた椰子の実がやがて愛知県知多半島恋ケ浜に打ち寄せられた。柳田邦男からこの状況を聞いた藤村が作ったとされる逸話が残る。いずれにせよ望郷を綴る詩であり、北太平洋をさ迷ったこのサッカーボールもこれと同じく元の位置に納まりたかったのではあるまいか。ふるさとへつながる糸を持ったまま。

最近、京阪枚方市駅プラットホームに、ある大学が出しているメッセージボードがある。
個々の持論や宗派は別にして頂いて、書かれている内容は次のとおりである。枚方市で乗換える時は必ず読むことにしている。

『人と人はつながっている
私達がすべきこと
今、あなたにできること』
とある。



《 拾われし 足跡残る君が球 巡らす想いは 幾ばくや(柳子) 》

穂谷川ほとりの桜)

2012年04月09日 | 日記
tTulgxdxtTtS(穂谷川の桜)

 昨日のどこかの新聞の記事に、古来から暦の中で用いられてきた「24節季」の言葉を用いることを廃止する云々の記事が載っていた。見出しだけしか読んでいないので誰が云っているのかわからない。
日本気象協会が「今年中に現在の暮らし、季節感に合う新しい二十四節季の言葉を作る」という記事が昨年の5月にもあったと記憶している。

 旧暦と現在の季節は確かにずれており、二十四節季のそれぞれの漢字表記、言葉と今の日本の季節がマッチングしていないものも確かにないことはない。
 しかし、日本列島は南北に長く、季節感も、めぐりくる時期も南北で随分と違っているものだ。桜前線は北上し、紅葉前線は南下してくる。それぞれの移動期間は1ヶ月はゆうにずれている。先人の決めた二十四節季の言葉こそが日本の風土に合っているといえるのである。古くから使われてきたものは変えないほうがよいのだ。

 四月に入って季節はずれに発生した低気圧によって膨らみかけていた桜のつぼみを冷凍保存するかのように冬に逆もどりしていたこともあって、足止めを食ったように到来の遅れていた桜全線が、このなにわの地にもきたのである。やっときたというふうに。

 香里園駅の桜も、野江の桜も、天満橋の桜も、八幡市の背割堤の桜.もみんな満開となっており通勤の行きかえりに立つことの多い電車も向きによては一等席となる。

 今年の桜前線の到来日を二十四節季の言葉で表記すれば「清明」となる。調べて見ると「万物がすがすがしく明るく美しい頃」とあった。様々な花が咲き乱れ、お花見シーズンになるのである。


『背筋たつ 晴れ着の横の 子供らを 包み迎えし 桜樹の門』(柳子)