小説の中の大阪
先日、京阪天満橋から天王寺まで歩いてきた。
親友が描いたパステル画が見事入選し、その祝賀会に参加するのと日頃の運動不足解消を目的に歩いたのである。
集合場所はその展覧会会場となった天王寺公園にある大阪市立美術館。
少し早く着きすぎたこともあって、この美術館近辺を散策。
この周辺は市街に拘らず天王寺公園、動物園、真田山、寺、池等のグリーンスポットとなっており、西暦1615年、ちょうど今から400年前に起った大阪夏の陣で真田信繁《幸村》が本拠大阪城の出城、「真田丸」を出て、陣を構えたこの真田山の真裏に位置する。
さて、動画をご覧頂きたい。美術館敷地への入口のすぐ横手に、林芙美子の未完の小説「めし」の一節が刻まれた石碑である。かっての古戦場とは凡そかけはなれたモニュメントである。
この「めし」は先般、亡くなられた昭和の大女優、原節子さん主演で映画化されていたことは知っていたものの、小説の文面を見るのはこの石碑が初めてであった。
現在の新世界とは微妙に異なる名詞が繋がるこの石碑の文章が少々気になり未完も承知で小説「めし」を読むことに。
しかし、古い小説のせいか図書館での借り出しがかなわず、やむを得ず380円の電子書籍を購入することに。
物語は戦後間もない時期(昭和26年頃)の若夫婦の心情をテーマに当時の大阪市街や郊外の南海沿線、住吉、天神ノ森等を中心に物語は展開していく。ばりばりの大阪弁が続いている。
意外にもこの石碑に登場する男女二人は主人公に非ず、その姪と知人の息子の行動を示していたことが判った。興味が削がれてしまわれるかもしれないが敢えて石碑の前後をここに紹介することとする。
小題 「ジャンジャン横丁」
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二人は、霞町で電車を降りた。
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バラック街ではあったが、どの食物店も、満員だ。汗ばむほどの、陽気のせいか、冷たい黒蜜屋の、呼び込みの声が、賑やかだった。
《ここから石碑の文》
昔、通天閣のあったころは、この、七十五メートルの高塔を中心に、北方に、放射状の通路があり、国技館や、映画館、寄席、噴泉浴場、カフェーや、酒場が、軒を並べていたものだそうである。
芳太郎は、いつの間にか、里子の腕をとって、歩いていた。
《ここまで石碑の文》
里子にとっては、芳太郎の親切は、椅子の腕木につかまっているような、気軽でしかない。
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祝賀会の帰りに入選者の親友が描いたパステル画、紫陽花の絵を頂き、早速、事務所の会議室に飾らして頂いている。