Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

ピンホールカメラで撮影した金環食

2012年05月21日 | 日記
ピンホールカメラで撮影した金環食


友人から頂いた今回の金環食の観測用に簡便なピンホールカメラの作り方が掲載されている特集記事を大事に保管していた。ピンホールカメラは小学校の5、6年生の時に工作の時間に作った覚えがあり、すぐ出きるものと思っていたがなんのなんの今回はピンホールからスクリーンまでの距離、つまり暗室の長さが60センチと記載してあることが再読して判明、その採寸のダンボールもなく。仕方なくそこいらの箱を引っ張り出し、つぶし、接合して、やっとその寸法が取れる長さとすることが出来た。金環食の前日の午後から作り始めたが完成したのは旭天鵬の優勝が決まった時間となってしまった。
そんなわけで試写なしのぶっつけ本番となってしまったが、苦労の甲斐もあってくっきりと撮影することが出来た。
映像は部分食が始まった時点の映像で約1.5cmくらいの大きさであるが本格的な映像を確認することが出来た。(ピンホールカメラにつき、画像は左右逆のはずである。)



100周年の新世界

2012年05月13日 | 日記
(100周年の新世界と守護神ビリケンさん)


5月、いまだにどの線のどこの駅が最寄り駅なのか判らない街が大阪にあって、めったに行くこともないし、もともと地方出であることなどを勝手な理由にして、その近くに行く度に、違った路線で、違った駅を利用している乗り込む街がある。その名は「しんせかい」。

その新世界が今年の7月で100周年だそうだ。「しんせかい」という言葉の響きは「どこにあるのか知らんが、大人の街」と感じたことを記憶している。後年、気がつくことになるが、この地は100年前に隣接する天王寺動物園のような子供向け、家族向けの遊園地「ルナパーク」とネーミングされスタートしたようである。

結果的に11年後に閉演され、大人の歓楽街だけが残り新世界は演芸を中心とする興業街に一新され今日まで継承されていると伺っている。今は二度付け禁止の串かつ屋が多くある街として大衆の共感を受けているようだ。

そんな「新世界」の近くにたまたまの用事があって、「時間調整、通天閣に昇ってビリケンさんにお逢いしよう。」
塔、否、閣の下は平日にも拘らず観光客、修学旅行生群で黄色い声やらひばりの声で満ち満ちている。エレベーター待ちの途中で展望室が黄金色に塗り替えられていることが情報として既に入っていたが、降り立った展望台も人で溢れており、NHKのリハーサルのスタッフもビリケンさんも大勢の搭乗者に取り囲まれていた。


全国的な塔ブームも追い風となって、流石、新世界、ミナミも頑張っているなと感じるような展望台となっていた。
ファインダーを通して眺める再開発中の天王寺界隈のビル群もこの黄金の展望台とコラボをやっているようでなにやら頼もしく、相当のエネルギーをこの地上100メートル上空で吸収させてもらったのではなかろうか。


王将、坂田三吉も旧通天閣を毎日仰いで奮いたって東京に乗り込んだとされるが、当時のこの地の雰囲気は今以上だったのではあるまいか。
新世界界隈がそんなゾーンとして引継がれてきたことを今頃気がつくようでは、やっぱり私は生粋の「オオサカン(OSAKAN)」ではないということでっか(ですか)。小春さん。