今日は、自分だけの秘密の場所探して2時間さまよった。
そこは、木に囲まれていて暗かった。
小さい時って、いくら体育倉庫の裏でも、
秘密基地になり得たよね・・・
秘密もなにも見えてるし、みんな知ってるんだけど、
そこにクローバーがびっしり生えてシロツメクサが咲き乱れてさえいれば、緑のベッドだった。カーディガンを棒状にくるくる丸めて、
赤ちゃんを作った。そして、緑のベッドであやしていた。
天井は青空。刻一刻と変わり行く雲の形・・・
それから友達と蝶々になって飛び回って、廃棄物のタイヤの上をぴょんぴょん飛び移って、タイヤの隙間から昨夜溜まった雨水がこぼれてきては、「ここは密のよう出るばい!」と友達に教え合ったなぁ。
そんな秘密の場所。
木の根っこに座ったら、小学校にあった大きな立派なあこうの木を
思い出した。わたしがよく木の絵を描くときに、根っこが地面から
大きく張り出しているのは、そのせいだと気が付いた。
乗ったり、がんがん踏みしだいてもまったくびくともしないその様は、
ものすごい安心感を与えてくれた。そこは、カタツムリたちの小学校だった。
毎年春になると、おばあちゃんの山にタケノコ堀りに行った。
わたしは、正真正銘の赤ずきんの気持ちで森に入った。
苔だらけの地蔵さんなんだか、無縁仏なんだかわからない行列が
こっちを見てるだけでぞっとした。
タケノコを探すことよりもオオカミはこないかとか、
何かにずっとどこかで見られているような恐怖に襲われた。
海は、「命を奪う場所」だった。おばあちゃんに海はいいところだ、
なんて教えてもらったことは一度もない。
海のうねりは、悪魔の叫びみたいだった。
石牟礼道子さんの「苦海浄土 わが水俣病」を読んだ。
天草産まれ、水俣育ちの作家。
わたし、こんな方がいらっしゃるなんて知らなかった。
今年の春初めくらいだったかな、矢部朱希子さんが
「石牟礼道子さん、知ってる?
天草の作家。本を読んだんだけど
昔の天草のことがたくさん書いてあって、
天草にはこんなバックがあるからこんなにもいろんな人材が
育つんだね・・・。」
って、感動して話してくれたんです。
いったい何が書かれているんだろうって思って、
それですぐ「いしむれみちこ」って、携帯にメモっておいたのだった。
それからしばらく経っていた。
そしたらこの間、飯沢さんの新著「戦後民主主義と少女漫画」
を読んだときに、なんと石牟礼さんのことが出てきたのです・・・。
「社会における震えの伝達装置代表者」として・・・
それまで、ほとんど少女漫画家の名前ばかりが羅列されてる中で、
突然石牟礼道子という名前がぽーんと出てきて・・・鳥肌が立った。
(こういう感じも、飯沢さんは、かなり巫女的だと察するのですが・・・。)
本当に吃驚した。
これは絶対読めって事だと思った。
「苦海浄土 わが水俣病」・・・
石牟礼さんが巫女文学と言われる所以がわかった。
歯がゆい歯がゆい思い。
漁師さんのことが少しわかった。
わたしは、故郷のこと何も知らない。
「天草女」って、差別用語だった時期があったなんて・・・
ショックだった。
「からゆきさん」の存在は知っていたけど、
映画「サンダカン八番娼館」の存在を知り、観たのは、
もう大人になってからです。
封印されている何かがある。
わたしは、ひぃおばあちゃんとあやとりで、きしゃぽっぽして
笑った時のことをずっと覚えている。
「サンダカン八番娼館」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%AB%E3%83%B3%E5%85%AB%E7%95%AA%E5%A8%BC%E9%A4%A8_%E6%9C%9B%E9%83%B7映画では、わたしが小さいとき遊んでいた池や、椎の実を食べていた今は無き森も出てきた。
そこは、木に囲まれていて暗かった。
小さい時って、いくら体育倉庫の裏でも、
秘密基地になり得たよね・・・
秘密もなにも見えてるし、みんな知ってるんだけど、
そこにクローバーがびっしり生えてシロツメクサが咲き乱れてさえいれば、緑のベッドだった。カーディガンを棒状にくるくる丸めて、
赤ちゃんを作った。そして、緑のベッドであやしていた。
天井は青空。刻一刻と変わり行く雲の形・・・
それから友達と蝶々になって飛び回って、廃棄物のタイヤの上をぴょんぴょん飛び移って、タイヤの隙間から昨夜溜まった雨水がこぼれてきては、「ここは密のよう出るばい!」と友達に教え合ったなぁ。
そんな秘密の場所。
木の根っこに座ったら、小学校にあった大きな立派なあこうの木を
思い出した。わたしがよく木の絵を描くときに、根っこが地面から
大きく張り出しているのは、そのせいだと気が付いた。
乗ったり、がんがん踏みしだいてもまったくびくともしないその様は、
ものすごい安心感を与えてくれた。そこは、カタツムリたちの小学校だった。
毎年春になると、おばあちゃんの山にタケノコ堀りに行った。
わたしは、正真正銘の赤ずきんの気持ちで森に入った。
苔だらけの地蔵さんなんだか、無縁仏なんだかわからない行列が
こっちを見てるだけでぞっとした。
タケノコを探すことよりもオオカミはこないかとか、
何かにずっとどこかで見られているような恐怖に襲われた。
海は、「命を奪う場所」だった。おばあちゃんに海はいいところだ、
なんて教えてもらったことは一度もない。
海のうねりは、悪魔の叫びみたいだった。
石牟礼道子さんの「苦海浄土 わが水俣病」を読んだ。
天草産まれ、水俣育ちの作家。
わたし、こんな方がいらっしゃるなんて知らなかった。
今年の春初めくらいだったかな、矢部朱希子さんが
「石牟礼道子さん、知ってる?
天草の作家。本を読んだんだけど
昔の天草のことがたくさん書いてあって、
天草にはこんなバックがあるからこんなにもいろんな人材が
育つんだね・・・。」
って、感動して話してくれたんです。
いったい何が書かれているんだろうって思って、
それですぐ「いしむれみちこ」って、携帯にメモっておいたのだった。
それからしばらく経っていた。
そしたらこの間、飯沢さんの新著「戦後民主主義と少女漫画」
を読んだときに、なんと石牟礼さんのことが出てきたのです・・・。
「社会における震えの伝達装置代表者」として・・・
それまで、ほとんど少女漫画家の名前ばかりが羅列されてる中で、
突然石牟礼道子という名前がぽーんと出てきて・・・鳥肌が立った。
(こういう感じも、飯沢さんは、かなり巫女的だと察するのですが・・・。)
本当に吃驚した。
これは絶対読めって事だと思った。
「苦海浄土 わが水俣病」・・・
石牟礼さんが巫女文学と言われる所以がわかった。
歯がゆい歯がゆい思い。
漁師さんのことが少しわかった。
わたしは、故郷のこと何も知らない。
「天草女」って、差別用語だった時期があったなんて・・・
ショックだった。
「からゆきさん」の存在は知っていたけど、
映画「サンダカン八番娼館」の存在を知り、観たのは、
もう大人になってからです。
封印されている何かがある。
わたしは、ひぃおばあちゃんとあやとりで、きしゃぽっぽして
笑った時のことをずっと覚えている。
「サンダカン八番娼館」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%AB%E3%83%B3%E5%85%AB%E7%95%AA%E5%A8%BC%E9%A4%A8_%E6%9C%9B%E9%83%B7映画では、わたしが小さいとき遊んでいた池や、椎の実を食べていた今は無き森も出てきた。