日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

今日は東京大空襲の日から80年・・

2025年03月10日 07時04分45秒 | Weblog
今朝の信州は氷点下5度、今朝の空は雲一つない青空
寒い朝ですが清々しい朝です
東京大空襲記念日は、第二次世界大戦(太平洋戦争)
末期の1945年3月10日にアメリカ陸軍航空軍によって
実施された、東京都区部に対するM69焼夷弾などの焼
夷弾を用いた大規模な無差別爆撃でした。日本各地に
対する日本本土空襲、アメリカ軍による広島・長崎に
対する原爆投下、沖縄戦と並んで東京の都市部を標的
とした航空爆撃作戦は、市民に大きな被害を与えまし
た。この空襲と前後の攻撃も合わせた爆撃被災者は約
310万人、確認された死者の遺体数は約10万5400人、
負傷者は15万人以上、損害家屋は約85万戸以上にも上
るとされる。東京都は1944年(昭和19年)11月24日
から1945年(昭和20年)8月15日まで合計106回もの
空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、
4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日から26日
の5回は大規模だった。
「東京大空襲」は一連の「東京空襲」の中でも、死者
数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間
空襲(下町空襲。「ミーティングハウス二号」。)を指す
この3月10日の空襲だけで、罹災者は100万人を超え
死者は9万5千人を超えたといわれる。なお、当時の
新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。
この時のアメリカの対日戦略爆撃計画は、空襲計画の
地図(米軍報告「東京-川崎-横浜都市複合体に対する
空襲攻撃の効果」)1942年にナパームを使ったM69焼
夷弾が開発され、1943年の国防研究委員会 (NDRC)
焼夷弾研究開発部のレポートでは、住宅密集地域に
焼夷弾を投下して火災を起こし、住宅と工場も一緒に
焼き尽くすのが最適の爆撃方法であるとした上で空爆
目標の日本全国20都市を選定、さらに東京、川崎、
横浜など10都市については焼夷弾爆撃の有効度によっ
て地域を選定して重点攻撃をしたようです。
この東京大空襲を東京都はこの日を東京都平和の日
1945年(昭和20年)のこの日、アメリカ空軍が東京都内
を空襲。この日を忘れず、都民ひとりひとりが平和に
ついて考える日として、東京都が「東京都平和の日条
例」により、1990年(平成2年)に制定。
もう一つ農山漁村女性の日農林漁業就業者の60%を
占める女性の地位・役割向上・社会生活参加などを
目指して農林水産省が1988年(昭和63年)に制定。
平成10年度までは「農山漁村婦人の日」との名称で
あったものが今は女性の日と改称されているようです

地域の写真展を見てきた










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