My ordinary days

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ふと思い立ち第2のキャリアを始めてしまった、流されがちなひとの日々を綴るブログです

三浦しおん「船を編む」

2012-05-11 12:30:02 | 読書
2012年度の本屋大賞の受賞作。

辞書を作るお話です。
「玄武書房に勤める馬締光也は営業部では変人として持て余されていたが、新しい辞書『大渡海』編纂メンバーとして辞書編集部に迎えられる。個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく。しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか──。言葉への敬意、不完全な人間たちへの愛おしさを謳いあげる三浦しをんの最新長編小説。

とまあこんな感じ。主人公の馬締(まじめ)が辞書編集部に異動した頃の話と、その十数年後に新たな社員の異動があり辞書の完成が近づいてきた頃の話と
大きく二つに分かれています。間にちょっと、サブキャラクターの話がサイドストーリー的に語られていたりするかな


言葉という大海を渡るにふさわしい船=辞書、それが「大渡海(だいとかい)」なのですね。言葉そして辞書に魅入られた国語学者と編集者たちの、辞書を作っていくお話。
うーん、辞書、作るのは大変な作業でしょうね・・・小説で垣間見えるのはその大変さの一部だけでしょうけれど、ちょこっと想像するだけでもおそろし。な感じです。

まじめさんが辞書編集部に異動になる前にもうすぐ定年退職となる辞書編纂に燃える編集長から「『右』を説明しろ」
といわれ、どんどん言葉の意味を追求し紡ぎだしていくのですが いやこれすごく難しいですよね・・・

子どもから○○ってどういう意味?と聞かれた時にぱぱっと答えられない。語彙が少ないのも理由のひとつだけれども、何が足りないのか、想像力?言葉を説明するのも言葉、説明しきれないことも多々あるなかで辞書は語義に迫り語源に迫り、同じ人間だというのにしどろもどろの説明になってしまうワタクシとは大違いなので、すごく羨ましい。

同じ人間同じ言語を使うものとはいえ、言葉を知りそれを使いこなすということは非常に難しいことですし、辞書の中の一文として定義付けをするということはつまり字数の制限のある中での言葉の一般化であるわけで、知識だけではなく才能も必要なのだろうな。・・・と感心しきりでした。

あと、お話の中でああこれは、と思った箇所:
「たくさんの言葉を、可能なかぎり正確に集めることは、歪みの少ない鏡を手に入れることだ。歪みが少なければ少ないほど、そこに心を映して相手い差しだしたとき、気持ちや考えが深くはっきりと伝わる。

人に気持ちを伝える方法は言葉だけではもちろんありませんが、言葉は音声であれ文字であれ、たいていの場合もっとも簡単に使える伝達手段ですけれど、だからこそややこしいことも起きる。ニュアンスというか微妙な用法が果たして伝えたい相手にも同様な定義で理解しているのかどうか なんてさ・・。

そういえば 話していて楽だったり楽しい相手。というのはわりと言葉の使い方や語彙力が似ているような気もしないではないですね。


お話として辞書編纂という部分は面白かったです。が、

マイナス評価部分はーーーなんでしょうーーーこの方の本は読むの2冊目。「風が強く吹いている」が最初かな、その時も感じたのですが
中途半端なサブキャラクターの使い方。中長編の小説ではこんなものなのかもしれませんが群像劇というには半端すぎるサイドストーリーが、邪魔。
そのスピンオフ的な話、いいから!と思ってしまう。本筋と関係あるのぉ?というか、その話を紡いで紡いで大きな流れとなってい ないと思うので・・。入れるならもっと内容を濃く!薄い話はいらないから、その代わり本文を濃く深く!
・・・・すみません、個人の感想なので・・・・ユルシテ^^
群像劇、たっくさんの登場人物をいれて華麗に動かし最後に物語が一点に集約していく・・好きですが、アーサー・ヘイリー「ホテル」くらいごちゃごちゃしてると本当に面白くて楽しい。



辞書に使われる紙に必要な質感、「ぬめり感」。広辞苑に使われている紙にはそれがあるようで、大渡海用にもそういうぬめり感のある用紙を特注していて完成したのですが、
・・・それ、触ってみたい。 が無理なので家にある広辞苑のを触ってみる・・・・・んー・・。?。

村上春樹さんの「海辺のカフカ」の紙は特注の薄い紙だった気がします。違う本だっけか、や、たしかカフカ。