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知覧へ~知覧特攻平和会館

2014-01-20 | こんなとこ行って来た♪



鹿児島県出水市から南へ2時間ほど車を走らせたところに
南九州市知覧町があります。

昭和20年に陸軍特攻基地となった場所です。
ここから主に17歳~22歳の少年・青年たちが
必死の特攻隊として飛び立っていきました。
「必死」とは・・成功すれば「必ず死ぬ」ということです。

特攻平和会館に向かう道沿いの両脇には
延々と続く石灯篭がありました。
これは戦死者を弔うために設置され
その数は1036に及びます。
両側の木は桜で、
春に訪れると受ける印象も違うのではないかと思います。





平和会館では撮影が禁止だったため
写真はありません。
特攻隊の方々の写真や遺書、資料や持ち物
軍服、そして特攻機のレプリカに至るまで
かなりの見ごたえのある施設でした。

展示されている遺書には
家族、知人に対する愛情であふれ
涙なしには読めません。
墨で書かれた美しい文字、心が伝わる文章、
これほどのものを当時の青年たちが死を目前に
書いたのだとはとても信じられないような
内容のものでした。

語り部の方のお話によると
その手紙・遺書に書かれている内容は
80%が母親に向けたものらしく
母親に対する感謝と思慕の想いとがあふれているということです。

「母上様、大元気であられますように」・・
これは隊員の一人が残したメッセージですが
「小」でもなく、「中」でもなく
「大」元気でいてください・・と。
母というものは、いつもどんな時も
元気いっぱいであってください。
そういう願いが込められているメッセージに
心迫るものがあります。

私にも息子(24歳)がいるがゆえに
とても他人ごとではなく、
母の気持ちでいっぱいになりました。





会館の外側からの光景です。





会館のまわりの平和公園内には
銅像やモニュメントが設置されています。





「平和の母」の像。
なんと、兵庫県西宮市の方が寄贈されたらしい。。





特攻銅像「とこしえに」

「特攻隊員の出撃時の姿です。
右手は永遠の平和を、左手は固い決意が秘められています。
また、開聞岳を仰ぐ目は、生もなく、死もなく、
すでに我もない隊員の仏心をあらわれています」





当時の三角兵舎が復元されています。
全国から集結された隊員たちが
ここで数日を過ごし、沖縄へと出撃して行かれました。



映画で使用された戦闘機


特攻隊の戦闘機の片側には爆弾
反対側に片道だけの燃料を積んでの突撃だったそうです。

隊員たちがこの世との決別をする瞬間が2度あると聞きました。
1度目は、戦闘機に乗り込む瞬間、大地から足を離した時、
もう2度と大地を踏むことはないという決意、
2度目は、日本の最南端である開聞岳を目前にした時です。
ここを過ぎると、もう後戻りはできないということで、
出撃するすべての隊員たちは、この開聞岳に敬礼をしながら
飛び去っていったということでした。。

自らは死しても
あとに残るものが平和を築いてくれることを
固く信じて・・

あまりにも重く悲しい事実・・
知っておかなければと思いました。
知覧を訪れた知人が、一生に1度は訪れる価値があると
教えてくださったので、今回訪れました。

知っておかなければならないこと
忘れてはいけないこと

知覧で私は知りました。

2014年を迎え
今、平和な時が流れています。
若き隊員たちが自らの命と引き換えに
国を守ろうとしてくださったことを心に深く刻み
哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈り申し上げます。


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