せっかくの土日なのに雨でしたねー、大阪は。
春先はほんま雨が多くてうっとうしいですねー、洗濯物も乾きにくいし・・・
淀川河川敷で思いっきりトレーニングしたかったけど
阪神高速道路の高架下で小じんまりとトレーニングしてきました。
なのでこんな日はブログをいっぱい書きました。
今回は珍しく画像は少なめで長文です。
下手くそな文章ですが興味のある方はどうか最後まで読んで下さい。
さてさて「キラーズ/パーフェクト・パートナー」のお話の続きです。
[映画「KILLERS」キラーズとは・・・]
(ウィキペディアの文より一部抜粋)
銃器専門誌「月刊Gun」内の連載コラムから生まれた
自主製作映画コンテスト「ガン・アクション・ムービー・コンペティション」主催の映画です。
このコンテストで優秀賞を取った二人の自主映画監督、河田秀二、辻本貴則の両名をプロデビューさせようという話が持ち上がった。
これを実現するために、ガンコンの審査員3人であるきうちかずひろ、大川俊道、そして押井守が協力することが決定。
以上の5人でオムニバス形式の映画を作るという話が出来上がったのである。
オムニバス形式の短編映画とはいえプロの有名監督に混ざって
無名の新人監督、河田監督、辻本監督の作品が世に出る凄いチャンスだったのですねー
もう10年前のことなので所々記憶違いのこともあるかもしれませんが
当時を思い出しながら当時思っていたこと、10年経った今思うことなど
正直な気持ちを書いていきたいと思います。
新人監督であった河田、辻本の両名だったけど、
河田監督は東京でプロのスタッフ、プロの役者を使って撮影をされました。
主演は河田監督本人!
河田監督作品「KILLER IDOL」もスッゲー面白いよ!
唯一無二の河田ワールド全開!こんな発想、表現は河田監督以外できません!
[プロ作品を自主映画のスタッフで制作]
一方、辻本監督は当時まだ大阪で歯科技工士の仕事をしていたので、
東京で撮影するのは困難な状況だったのです。(撮影後、歯科技工士の仕事を辞職され上京されました。)
それに東京で見ず知らずのプロの制作スタッフと組んで撮るより
長年組んで気心の知れた自主映画の仲間と撮る方が
絶対面白い作品が撮れる!自分らしい作品が撮れる!と大阪で自主映画の仲間と撮ることにしたのです。
そこには辻本監督なりのやさしさというか気配りがあったと思います。
プロデビューが決まったのは自分だけだけど
そのプロデビュー作品に自主映画仲間をキャスト、スタッフで参加させてあげたいという
自主制作仲間への恩返しみたいなものもあったと思います。
自主映画の仲間たちも
プロの作品に、商業映画に参加できる!ということでめちゃ喜んだはずです。
プロ作品なのでもちろんちゃんとギャラもでます。安いけどね~(笑)
「キラーズ」全体のプロデューサー(Kプロデューサー)の立場からしてみても
大阪を離れて撮影することができない辻本監督なので
東京からわざわざプロのキャスト、スタッフを大阪に連れていって撮るよりも
大阪の自主映画仲間で撮らせた方が製作費も安く抑えれる(宿泊滞在費、交通費など)とかも考えたのでしょう。。。
しかしKプロデューサーや制作サイドの人たちの中には
数々の自主映画コンテストで賞をとってきた辻本監督の実力を認めながらも
「辻本監督作品は自主制作の仲間で大丈夫なの?! 」
「自主制作って“映画マニア”“素人”の集まりでしょ?」(そこまでは言われてませんが)
「商業映画の撮影は自主制作映画とは違うんだよ!」
「ちゃんとした映画撮れるの?」
などとさぞかし不安に思われていた方もいらっしゃったと思います。
[辻本監督を“男”に!]
Kプロデューサーは事前に大阪に来られて
辻本監督の自主映画仲間と面談(?)のような会合をしました。
その時にKプロデューサーが言ったことは
「みなさんの顔を見てお話をして“大人だな”と安心しました。
どうかみなさんの力で辻本監督を“男”にしてあげて下さい!」(プロにしてあげて下さい)
その言葉で大阪自主映画仲間たちは士気が上がり
プロに負けないような面白い映画を撮ろうぜ!
5作品の中で辻本監督作品が一番面白い!と言われる作品にしたいと思ったはずです。
[自主映画スタッフvsプロスタッフ]
しかし自主制作のスタッフに撮らせるといっても
撮影時には東京から“お目付け役”としてアシスタントプロデューサーのIさんが来られ
常に撮影に同行し、自主映画スタッフが無茶なことをしないか、
ちゃんと予定通りに撮影できているかを
始終厳しいプロ目線で撮影現場を監視することになるのです・・・!
そのIさんと辻本監督&大阪自主映画スタッフは(俺も含めて)
激しいバトル(?)を繰り広げることになるのです(笑)
俺は自主映画制作にも、プロの映画制作にも多数参加した経験があったので(他のメンバーよりは)
両方のいいところ、悪いところがわかるつもりだったけど
やはり自主映画のスタッフに対しては若干の不安があったというのが当時の正直な気持ちです。
しかしながら俺も辻本監督作品を他の作品よりも一番面白い映画にしたい、
特にアクションが凄い!と言われるような作品にしたかった。
[WILD STUNTS vs MAX真吉 ? ]
特にアクションが凄い!と言われたかった大きな理由があるのです・・!
「辻本監督以外の作品のアクションは東京のどこのチームが担当するのですか?」
と関係者に聞いてみたところ、なんとWILD STUNTSだという。
WILD STUNTSといえば俺が24歳~29歳頃まで(1991~1995くらい)所属していたチームです。
独立してフリーになってから(一時期はアクション業界から遠ざかってバイク業界で働いていましたが)
一度も連絡もしないまま絶縁というか疎遠になっていたのです。
俺は内心「ちょっと気まずいな~」でも「WILD STUNTSには負けたくない!」と思い
心の中で“打倒!WILD STUNTS”を掲げ
辻本監督作品を一番凄いアクション映画にしてやる!と燃えてたのです!
WILD STUNTSの方はなんとも思っていなかったと思いますが(笑)
「アクションだけは一番派手にしたい!」という辻本監督の要望に応えるべく
俺は大阪のアクション仲間の最強メンバーを結集して、
辻本監督の要望するアクションを創り上げていくことになるのです!
つづく・・・次回『キラーズ/パーフェクト・パートナー』③ 撮影準備~スープラ、KDX、ダンボール・・・