上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

9月 診察台

2020-09-29 18:28:40 | エッセイ
久々の健診でレディースクリニックに向かった。
「診察台にどうぞ……」
優しい声の看護師さんに案内され、カーテンで仕切られた診察台のコーナーへ入る。

今の診察台は、それなりにカラフルでリクライニングだし、ゆったりした感じ。
上半身と下半身の間には、やはり涼やかなカーテンがひかれていた。
プライベートゾーンを診察してもらうのだから、患者の不安や羞恥心などに配慮してのことなのだろう。

若い頃、初めて産婦人科を受診して、ど肝を抜かれたことがあった。
大阪市内にある大病院だった。
建て替え前の歴史を感じさせる古い建物で、案内された診察室もたっぷりのレトロな雰囲気。

「診察台に上がってお待ちください」
初体験のため、頭の中では「ウワー、これが例の診察台なんや~!」と思いながら、
看護師さんの細かい指示通りに、おそるおそる診察台に上がった。
言葉では表現しにくい不安定な体勢で、ドキドキしながら周りを見渡すと、
カーテンで仕切られてはいるが、どうも5~6人の患者が並べられている様子だった。

大きな咳払いとともに、お医者さまがお出ましになって、
耳に入る会話から察するしかなかったのだが、
どうも右端から流れ作業のように診察が行われていくようだった。
患者側からは想像するしかテはなかったが、ゾッとするような光景であったことは間違いないだろう。

以来、2度の出産を経験し、何度も産婦人科を訪れた。
時代性もあるだろうが、その度に感じたのが、診察台のお粗末さ。
とにかく進化の遅れを感じた。
医療技術は日進月歩。人間の体の中の中まで見通せるような医療機器が開発され、
信じられないような手術が行われ、何もかもがコンピューターで処理される時代ではあったのに。

なぜ産婦人科の診察台だけは、ひと昔もふた昔も前のままなのか。
きっと使う必要のない男性が設計し、自分で試すことのできない男性が作ったものなのだろうと、思ってきた。

久しぶりの診察で、多少は過ごしやすくなった診察台にほんの少しは安心したのだが、
診察台の形にこだわっていた自分の視野の狭さに気づかされた。

フランスで暮らす女性のエッセイで読んだのだが、
フランスでは、産婦人科はとてもオープンな場所らしい。
ほとんどの人がパートナー同伴で、
1人だと、受付で「あら、きょうは一人なの?」と聞かれるそうだ

診察室にも当たり前のように、パートナーと一緒に入る。
しかも、診察台やベッドもオープンで仕切りもなければ、
下着を置くカゴもない。
さらに、診察台の上半身と下半身を分けるカーテンもないという。
ここまでくると、診察台がどうのこうのと言うのはもう問題外である。

医師もオープンで、患者の顔を見てにこやかに診察をし、モニターを見ながら症状の説明をしてくれるそう。
あまりに開けっぴろげで、かえってリラックスできるのだと思った。
「性」への感覚がまったく違う。
子どもを出産した後、子育ても日本のように女性任せではなく、自然にパートナーと一緒にできていくのだろう。
そういう言えば、
日本在住の外国人女性を集めて意見を聞くテレビ番組で、日本で産婦人科の診察を受けた外国人女性が、
「あのカーテンって何なの?」と、笑いながら言ってるのを聞いたことがある。

恥ずかしいことは隠蔽する体質。
今、小中学校の性教育も「寝た子を起こすな」感覚で、停滞したままだという。
一見、大人っぽく見える中高校生も、性に関しては体の仕組みもきちんと理解しないまま成長しているそうだ。

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