上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

12月 つながり

2020-12-07 15:10:24 | エッセイ
年齢とともに時間の流れが速くなっていく。
普通電車に乗っていたのが、急行と特急を通り越して、新幹線に乗り継いでしまったという感じだろうか。
それが今年は新型コロナウイルスの影響で、
季節の行事がなくなり、楽しみにしていたイベントがなくなり、
大切な集まりも中止になり、行きたかった旅もあきらめた。

しかも、
季節感をじっくり味わえなかったせいか、
人とゆっくり話し合ったり、笑いあったりする時間が短かったせいか。
一年が、目に見えないまま風のようにさらに速く流れ去り、もう師走を迎えている。

おまけに暖冬のようで、すぐそこに迫ったクリスマスも、お正月も絵空事のよう。
大切な荷物を一年のあちこちに置き忘れてきたような気がして、
「このまま新しいを迎えていいの?」と誰かに問いただしたくなる。

晩秋からは3度目のコロナ感染の拡大で、
いっときの緊急事態宣言にまではいかないものの、再び、自粛ムードが広がっている。
秋には、気を配りながらも親しい友人と「やっと出会えるようになったね」と喜んでしゃべりまくり、
足が遠のいていたお気に入りの場所にも、「お久しぶり~!」と通い始めていたのに。
大切な「つながり」が、こちらの了解も得ないまま、得体の知れないものの手でプツンと切られたような気がしてしまう。

高齢者に属する私は、
電車に乗っても、隣の席でマスクを外して楽しそうに語り合う青年の飛沫の行方を、
スーパーCP富嶽なら、どうシュミレーションするかと考えてしまうし、
銀行のATMのボタンは、素手でさわって安全かどうか疑ってしまう。
スーパーのレジで、にこやかにカゴからカゴに商品を移す店員さんのゴム手袋は大丈夫なのか凝視してしまう。

仕方がないことと頭では理解できていても、心はそうは行かない。
我々のように、すでにある程度のつながりを持てている人は問題ないだろうけれど、
今年、田舎から都会に出たばかりの人、社会人になったばかりの人、新しい学校に入ったばかりの人など……。
今からつながりを作り始めようとする人には過酷な年である。

私のささやかな人生を振り返っても、もっとも大切なのものは、つながりだと思うから。 
たくさんのつながりの連続で生きてきたから。

地方から出てきて、偶然隣に座った人と言葉をかわして親しくなり、
そのつながりで「書くこと」に出会い、夫とも出会い、仕事に出会った。
また違うつながりで「書くこと」の師を紹介された。
かけがえのない仲間ができた。

自分でつくったつながりもある。
書きたい雑誌の編集室に電話をして、たまたま電話口に出た人と長い付き合いをさせてもらった。
その人たちのつながりで、また他のの仕事をもらった。
「長く続けられる、お仕事でいいですね」
と、人からよく言われるけれど、つながりのお陰でしかない。
人と人とのつながりは、人生の太いパイプになっていくのだと思う。

ならば、
若い人たちにとって、人とのつながりを絶った今の生活がこれからの人生にどう影響するのだろう。
でも、きっともう少しの辛抱。
こういう時期はインターネットが大活躍してくれるけれど、やはり深い感情の行き来は顔を合わせなければ。
飛沫の行方など気にかけないで、顔を見ながら語り合わなければ。
「辛抱する木に金がなる」のことわざを信じてみたい。

これからはお金や土地など目に見えるものではなく、
形のない、目に見えないものが大事にされる時代に変わっていくそうだ。

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