光に導かれるが如く光触寺へ【その弐】「頬焼阿弥陀(ほほやけあみだ)」


昼の休憩時間が過ぎたので御朱印を頂きに行くと、何人か先客がいたので様子を見ていると、寺の住職がその都度、手書きで御朱印を書いて『念仏※①』を唱えてから手渡しをしていた。自分の番になり、同じように受け取ってみると妙に有りがたかった。縁起も販売していたので縁起も受けとると、頬焼阿弥陀縁起という、本尊の阿弥陀如来像についての伝記が書かれていた。
≪頬焼阿弥陀≫
建保3年(1215年頃)、奈良方面から『大仏師の運慶※②』が鎌倉から招かれて、町局(まちのつぼね)という人物から48日の期限内で阿弥陀さまを造るように言いつけられました。運慶は苦慮しながらも48日かけて立派な阿弥陀さまを造りました。町局はとても喜んで大切に阿弥陀さまを祀り、信心して香を焚き、花を供え、念仏も怠りませんでした。
町局の家には、信心深い万才(まんざい)法師というお坊さんが仕えていたのですが、ある日、家の物がいつも無くなるので、人々は万才法師を犯人にしてしまいました・・・(この続きはこちら)

