【独占映像あり】UMA肉片回収命令!!ショック、謎の海洋生物の死骸


不老長寿の仙薬を作るには鉱物の金が必要不可欠であると考えられていた時代もあれば、人魚の肉を食べれば不老長寿になると信じられていた時代もあり、人々は太古の昔から死を恐れ、不老長寿となる方法にロマンを求めていたことが伺える。
人魚の肉を食べると不老長寿になるという伝説は、どうして日本各地で派生したのだろうか?
有名な人魚伝説としては八百比丘尼物語が挙げられるだろう。八百比丘尼物語とは、人魚の肉を食べて八百歳まで生きた尼さんの話であるが、鎌倉時代後期頃から日本各国で一斉に広まった物語であると考えられていて、物語の内容は地域により異なっているようだ。
共通しているのは冒頭でも書いたが、「人魚の肉を食べて八百歳まで生きた尼さん」の物語である。鎌倉時代後期頃から日本各地で広まったということは、その時代に八百比丘尼物語は考えられ、物語を各地に広めて歩いた中心人物や団体が存在するのではないだろうか?鎌倉時代後期頃に日本各地を歩いていた人物や団体を調べてみると、時宗という宗派の一代目である一遍上人(1239年~1289年)の遊行一行が当てはまる。
※一遍上人とは、六字の名号すなわち南無阿弥陀仏はすべての仏の教えをおさめた絶対の教えであり、念仏を称えて極楽に往生する人は、人間の中でもっとも優れた人であり、百蓮華のように清らかな人であるという意味である「南無阿弥陀仏六十万人決定往生」と書かれた念仏札を配る賊算と踊り念仏を行いながら日本各地を放浪した(遊行といわれている)、鎌倉時代最後の高僧である。
一遍上人は亡くなる前に、持っていた書物や着物を自分の手で焼いてしまったので、一遍上人の著書は残っておらず、一遍上人の弟で門弟と言われている聖戒によって作成された絵巻物である「一遍聖絵」と一遍上人の後継者になった他阿真教によって作成された「一遍上人絵詞伝」に一遍上人の記録が残されており、一遍上人は睡眠中に見る夢から啓示を受けながら遊行し、各地には一遍上人の啓示によって発見されたと伝わる水脈や温泉などが存在している。【参考・遊行寺縁起より】
そこで筆者の推測であるが、八百比丘尼物語は一遍上人が見た夢の内容から一遍上人が物語を作り、遊行一行が各地で語って歩いた為、日本各地に広まったと考えられないだろうか?しかし、それを断定するような記録は発見されていないので、推測はこの辺にしておこう。良くも悪くも一遍上人が自分の手で書物を焼いてしまった事が惜しまれる。
それではいよいよ本題に入る。
人魚といえばUMAの代表格であるが、千葉県の銚子市君ヶ浜海岸に、謎の海洋生物の死骸が漂着したらしいとの情報がタートルカンパニーに入り、上層部から筆者に指令が出された。その驚愕の指令内容とは、「謎の海洋生物の肉片回収命令」である・・・(この続きはこちらから)

