岐阜に関する想い 3 山口敏太郎
岐阜に関する想い 3
山口敏太郎
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そして、
自主映画「口裂け女 VS Xマン」が撮影され、
その夏、「口裂け女祭り」がホテルパークで開催された。
この映画の撮影時に生まれたのが
「口裂け女の特殊メイク」
「発声方法」
「演技プラン」
だった。
牛抱は何度も地べたに倒れながら、演技プランを完成させた。
牛抱は何度も喉をからし、発声方法を完成させた。
そして、特殊メイクは、うちのかみさんが都内の専門店を何度も往復し、そのテクニックや方法を刃駆さんやマチコさん皆で完成させた。
これは、僕がタートルカンパニーにとって、秘伝のタレのような大切な財産になった。
この2010年の映画制作の時から、牛抱せん夏が参加する。
彼女は弊社にとって初めての女性タレントであった。
当時、巨椋修や中沢健、南部イチヒコという野郎ばかりが芸能部におり、女性タレントはどう扱っていいのかわからなかった。
「うちは中学の部活、かっこよく言えば、海援隊みたいなもんですから女性はどうかな?」
僕は仲介者にそう言ったのだが、
牛抱はこの時、こんなことを言った。
「(夢を)諦めたくないんです」
「まだ、戦える勇気あるんか」
「あります。幾らでも」
彼女は覚えてないかもしれないが、僕はこの時、確信した。
「この子なら、共に夢を追えるな」
牛抱がタートルカンパニーの黒舟に乗った瞬間である。
2009年の秋の出来事であった。
だから、僕にとって
口裂け女は「牛抱せん夏」であり、
口裂け女のブルースは、彼女が歌う情念の歌だという気持ちが強くある。
そして、2011年暮れ。
吉村さん、平井さん、武藤さん、僕というメンバーで「お化け屋敷の準備会議」に取り掛かる。
河村さんも稲垣さんも参加した。
この「お化け屋敷の準備会議」などで
岐阜への恩返しのため、
僕の演出や脚本も含め さらに
「口裂け女の特殊メイク」
「発声方法」
「演技プラン」
を無料提供することを社内で強引に決めた。
この時、実弟から徹底的に反対された。
「会社の財産は、バイトや外部の人間に教えたら危ないぞ。本来数百万で売れる話やし、技術が流失したら、うちの事務所が苦労して編み出したキャラクター・口裂け女がコピーされてしまう」
弟は慎重でクールな男であり、強行突破する僕をいさめる役割を持っている。
「そんなことはあるはずはない。岐阜の恩義に報いるのが山口敏太郎の義である。そんなせこいこと言うたら山口敏太郎の男がすたるわ」
僕はそう言って社内の反対派を説得し、お化け屋敷に船の舵を切った。
僕が何故、口裂け女=牛抱せん夏のこだわるのか。
僕が何故、口裂け女のブルースという曲にこだわるのか。
その理由がわかってくれたであろうか。
恐怖の細道の口裂け女は、親友・吉村さんとの友情の証なのだから、こだわるのだ。
これからは去年の奇跡につながる。
1万8千人を集客し、奇跡的な成功を納めることが出来た。
さらに今年は2万人を突破するのは間違いない状況である。
これは目出度いことである。
それも、これも、やながもんの仲間たち、友人たちのおかげである。
特に現場でお化けをやってくださる皆さん。
受付や呼び込みで頑張ってくださる皆さん。
ありがとう。
クーラーの効いたテレビ局やラジオ局でふんぞり返ってタレントぶっている自分が申し訳ない気持ちだ。
だが、山口敏太郎の文化・経済維新はこれからなのだ。
四国を起こし(徳島を助けてやってくれへんか)
関西を起こし
東海まで繋いで(犬山も教えてやってくれへんか)
地方を強化し、
日本が文化大国として、中国やアメリカと互角に戦えるようになるまで、この戦いは終らない。
町おこしは、個人のためにやるのではない。
町のため、しいいては県や地方のため
最終的には日本を元気にするため。
皆で生きていたあの頃の、昭和の日本を取り戻すため
僕らはもう一度戦うんだ。
また、本日僕は東京に行く。
タートルカンパニー(亀山社中)の夢は遥か向こうにあるんやで。