岐阜に関する想い 2 山口敏太郎
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岐阜に関する想い 2
山口敏太郎
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圧倒的な自然災害によって、人間の文明がなぎ倒されていく。
自分が信じてきた生き方や価値観の崩壊が目の前にあった。
ーーー自分だけ勝てばよいのか、自分だけ売れればよいのか。
そんな疑問が頭に浮かぶようになった。
もっと、自分が生まれた日本に、この大好きな日本に貢献できる方法があるのではないか。
この疑問は常に僕の頭に残ることになった。
そして、関東の電力が計画停電になろうとしたとき、僕は吉村さんを筆頭に岐阜の人たちに救われた。
計画停電が実行された場合、間違いなく落す可能性のあった仕事を岐阜県の仮事務所にて完了できたのだ。
あの日のことはよく覚えている。
深夜、荷物をまとめている僕にかみさんがいった。
「いきなり、東京電力管轄外に仮移転するなんて無理でしょ」
「いや、あてはあるで」
「京都の三木さん、徳島の実家? 今からこの人数で押しかけるのよ」
「岐阜の吉村さんだよ」
「吉村さんってまだ付き合い浅いでしょ」
「でも、なんとなく、なんとなく、吉村さんならなんとかしてくれる、そんな気がするんや」
僕の勝手な思い込みだった。
今もなんであんなふうに思ったのか、よくわからない。
だが、僕には確信があった。
(前もこんなことがあったような気がする)
たったそれだけの想いで、僕は社員たちとボロボロになって到着した。
タートルカンパニー、つまり亀山社中はズダボロの状態で、岐阜に漂着したわけだ。
吉村さんや、(今の東海支部の)大家さん、武藤さんなど岐阜の皆さんのおかげで僕らは二ヶ月近く岐阜の仮事務所で過ごさせてもらった。
これが、現在のタートルカンパニー東海支部となる。
この仮事務所時代に吉村さんが作ってくれたのが、
「口裂け女のブルース」
だった。
吉村さんは、忘れてなかったのだ。
僕が2010年の講演会で言ったあの言葉を
「クリプトツーイズムという概念があります。地元の妖怪や伝説で町おこしをやる考え方であり、岐阜ならば口裂け女で町おこしをやればいいんです。岐阜が発祥の地なんですから」
吉村さんがこの言葉を真正面から受け止めてくれて、曲まで作ってくれたのは、本当に嬉しかった。
放射能の蔓延によっては、関東に帰れないかもしれない。
そんな絶望的な僕の心にこの歌は染みた。
正直、少し泣いていた。
人間だった女が妖怪口裂け女になってしまった。
この侘しさが、関東に帰れない自分の境遇に響いたのだ。
あとで、吉村さんから聞いたのだが、吉村さんも僕の言葉に突き動かされて音楽を再開したのだという。
「俺は音楽のプロになるのが夢やったんや」
「夢に消費期限はありません。今からでも夢をかなえたらいいじゃないですか。吉村さん」
「そうかな」
「今から、少年時代の忘れ物をとりに帰りましょう」
「そうやな、敏さん」
:何故、今年のお化け屋敷のタイトルが「忘れ物」だったのか、真相は僕と吉村さんしか知らなかった。
僕の言葉と吉村さんが再開した音楽という夢が
「口裂け女のブルース」
を生んだのである。
「口裂け女のブルース」
が僕にとって特別な曲である。
それが理由だ。
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