芥川賞が欲しくてたまらなかった「太宰治」の異様な執着と因縁
『走れメロス』『人間失格』『斜陽』などで有名な小説家太宰治は、ダメ人間の筆頭として描かれることが多い。実際、彼は何度も自殺未遂を図り、幾度となく借金を重ね、薬物にも依存していたほどであったため、あながち間違いとも言えないところである。数々の仰天する逸話が残る太宰治であるが、その中でも有名なのが芥川賞にまつわるものである。
太宰治は、芥川龍之介の大ファンであった。ノートに「芥川龍之介」の名前や似顔絵を描くほどに太宰は芥川が大好きであり、芥川が自殺した際にはショックで引きこもったほどであったという。
1935年に、芥川龍之介の業績を称えた形で「芥川賞」が菊池寛によって創設された。これに太宰治が黙っているわけがなく、彼は芥川賞の受賞に執念を燃やすこととなった。しかし、その願いの空しく審査に残った彼の著書『逆光』が第1回芥川賞として選ばれることはなかった…(続く)