嫉妬に狂って多くの人々を殺害、一ヶ月も山に逃げていた「鬼熊事件」
日本を代表する大量殺人事件といえば「津山三十人殺し」だが、この事件が報道された当時は「岡山県下の鬼熊」と呼ばれていた。
その呼び名の元となったのが、大正時代に起き日本中で注目を集めた大量殺人事件「鬼熊事件」だった。
事件は1926(大正15)年8月20日に起きた。
千葉県香取郡久賀村(現多古町)の馬車匹であった岩淵熊次郎はきっぷが良く義理堅い性格であったが、直情的な性質でもあった。そんな彼は村に流れ着いて小料理屋を営業していた吉沢けいという女性と深い仲になる。しかし、けいは浮気症で村の別の男性、菅原寅松とも付き合うようになり、腹を立てた熊次郎は暴れて二人に暴行し、逮捕される。
この時は村の有力者のとりなしもあり、熊次郎には執行猶予がついて釈放となったのだが、彼がけいの店で飲み始めてから風向きが変わった。けいが熊次郎の罪状を警察に通報した男の名前を出し、店に恋敵の寅松が出てきたことで怒りに火が付き、熊次郎は二人に襲いかかった・・・(この続きはこちらから)
その呼び名の元となったのが、大正時代に起き日本中で注目を集めた大量殺人事件「鬼熊事件」だった。
事件は1926(大正15)年8月20日に起きた。
千葉県香取郡久賀村(現多古町)の馬車匹であった岩淵熊次郎はきっぷが良く義理堅い性格であったが、直情的な性質でもあった。そんな彼は村に流れ着いて小料理屋を営業していた吉沢けいという女性と深い仲になる。しかし、けいは浮気症で村の別の男性、菅原寅松とも付き合うようになり、腹を立てた熊次郎は暴れて二人に暴行し、逮捕される。
この時は村の有力者のとりなしもあり、熊次郎には執行猶予がついて釈放となったのだが、彼がけいの店で飲み始めてから風向きが変わった。けいが熊次郎の罪状を警察に通報した男の名前を出し、店に恋敵の寅松が出てきたことで怒りに火が付き、熊次郎は二人に襲いかかった・・・(この続きはこちらから)