コラム・太平洋の南の島の伝説と浦島太郎伝説(神奈川) 山口敏太郎


コラム・太平洋の南の島の伝説と浦島太郎伝説(神奈川) 山口敏太郎
@昔、あちこちに書いたコラムを蔵出し
我々、日本人にとって最も親しみのある昔話のひとつに「浦島太郎」がある。浜辺でいじめられていた亀を助けた浦島太郎が、そのお礼にと竜宮城に招かれ、楽しく過ごすものの、急に寂しくなって故郷に帰ってみると何百年も経っていたというストーリーである。
♪昔、昔、浦島は助けた亀につれられて竜宮宮に行ってみれば絵にもかけない美しさ♪
この童謡を口づさんだ方も多いはず。最後、老人になってしまう結末が、なんとも不可解で、誰しも心に残っているお話ではないだろうか。この昔話にも秘められたミステリーがあると言われている。一部のUFO研究家は、アインシュタインの相対性理論を使いこう説明している。宇宙人(?)によって、拉致された人間が、宇宙空間を宇宙船に乗り光速状態で過した。それ故に、地球上と宇宙での時間の流れに誤差が生じて、宇宙空間においては、ほんの数年が地球上では何百年も経っていた。そして、地球に帰還した人間が、この奇妙な経験を昔話として伝えたのであるという。まあ、これの説が本当かどうかは別にして、この手の時間の流れによる差異を「ウラシマ効果」と呼んでいるのは事実である。さて、科学的考察はこのあたりにして、何故、人がこういう「海の向こうの楽園」という思想をもったのか。民俗学的に考察してみたいと思う。日本国内には多くのウラシマ伝説が伝わる場所がある。遠く沖縄にも海の向こうの楽園「ニライカナイ」という考えが残されている。(本州在住の人間から見ると沖縄こぞ楽園に見えるのだが、他人の柿を甘く思えるのであろう)元来この(海の向こうに楽園がある)という思想は、アジア全体に分布している。中国では、東海の島に仙人の住む蓬莱山があり、そこには不老不死の仙薬があるという考えがあった。この蓬莱山というのは、多分日本の富士山と推測される(不死山=不二山という構図)のだが、秦の始皇帝は、真剣にこの伝承に取組み、徐福以下数千名を大船団で日本に派遣したと言われている。なおこの徐福の到来伝説は各地になり、富士吉田なのが有名な地域である。また、パプアニューギニアのューブリテン島、インドネシアのケイ諸島にも同様に(海の向こうの楽園)という考えはあったようである。またハワイの古語には「リューク」という奇妙な言葉がある。「リュー」とは「長期滞在」であり、「クー」は「島」の事である。だとすると「浦島伝説」はハワイから日本列島に渡来した人々が持ち込んだ昔話なのか。或いは日本人がハワイまで漂流した遠い昔の記憶なのだろうか。むむっするとタイやヒラメの舞い踊りは「ハワイアン」「フラダンス」なのか。他にもポナペ島にも竜宮じみた伝説がある。「カニムイソ」という「神の町」という話であり、海中にその街はあるというのだ。これも太平洋に広がる「浦島伝説」のひとつなのだろう。(この説はフジテレビ「アンビリーバボーが最初であるという認識する人がいるが、実は日本テレビ「謎学の旅」がTV番組としては初出である)やはり、アジアの特に海に面した地域の人間には、
「海を越えて新天地に行こう」
という遺伝子に刻み込まれた思いがあるのかもしれない。逆にそういう人々だからこそ海を渡って各地に住み着いたのである。ちょっと視点をかえて、心理学的に考察してみると、胎児の頃の記憶なのかもしれない。気がついたら母親のお腹の中にいた上、ぷかぷかと羊水につかっていた胎児の時代、人はあの一番安楽で一番幸せだった羊水時代の、胎児の記憶から、水の向こうの桃源郷を創造したのだろう。一度、この世に生まれてしまえば苦労の連続であるから、本能的にあの頃(海の向こう)に戻りたいと思っているのであろう。だとそうすると、ユングではないが、亀というのは妊娠・性交の象徴としては納得するものがある。(*この説は、2001年に筆者が本名でサイト妖怪王にて発表したもの、その後、他者により無断引用が多数されている)しかし、ひとつだけ気になる事がある。それは何故、乙姫が「たまて箱」を渡したのかという事である。一体これはどういう意味なんだろうか。私が思うにこれは
「いつまでも、夢ばかりみていると老人になってしまうよ。おまえにとっての桃源郷は家族がいたこの浜辺だろう」
という自戒を促す為に、「たまて箱」を持たしたのではないかと思われるのだ。だとすれば、かなりシニカルなエンディングではないだろうか。あなたも今、身の回りにある幸せの良さに気づかないで、遠くの幻のような幸せを夢みてないだろうか。幸せの竜宮はいまそこにあるのだ。
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@昔、あちこちに書いたコラムを蔵出し
我々、日本人にとって最も親しみのある昔話のひとつに「浦島太郎」がある。浜辺でいじめられていた亀を助けた浦島太郎が、そのお礼にと竜宮城に招かれ、楽しく過ごすものの、急に寂しくなって故郷に帰ってみると何百年も経っていたというストーリーである。
♪昔、昔、浦島は助けた亀につれられて竜宮宮に行ってみれば絵にもかけない美しさ♪
この童謡を口づさんだ方も多いはず。最後、老人になってしまう結末が、なんとも不可解で、誰しも心に残っているお話ではないだろうか。この昔話にも秘められたミステリーがあると言われている。一部のUFO研究家は、アインシュタインの相対性理論を使いこう説明している。宇宙人(?)によって、拉致された人間が、宇宙空間を宇宙船に乗り光速状態で過した。それ故に、地球上と宇宙での時間の流れに誤差が生じて、宇宙空間においては、ほんの数年が地球上では何百年も経っていた。そして、地球に帰還した人間が、この奇妙な経験を昔話として伝えたのであるという。まあ、これの説が本当かどうかは別にして、この手の時間の流れによる差異を「ウラシマ効果」と呼んでいるのは事実である。さて、科学的考察はこのあたりにして、何故、人がこういう「海の向こうの楽園」という思想をもったのか。民俗学的に考察してみたいと思う。日本国内には多くのウラシマ伝説が伝わる場所がある。遠く沖縄にも海の向こうの楽園「ニライカナイ」という考えが残されている。(本州在住の人間から見ると沖縄こぞ楽園に見えるのだが、他人の柿を甘く思えるのであろう)元来この(海の向こうに楽園がある)という思想は、アジア全体に分布している。中国では、東海の島に仙人の住む蓬莱山があり、そこには不老不死の仙薬があるという考えがあった。この蓬莱山というのは、多分日本の富士山と推測される(不死山=不二山という構図)のだが、秦の始皇帝は、真剣にこの伝承に取組み、徐福以下数千名を大船団で日本に派遣したと言われている。なおこの徐福の到来伝説は各地になり、富士吉田なのが有名な地域である。また、パプアニューギニアのューブリテン島、インドネシアのケイ諸島にも同様に(海の向こうの楽園)という考えはあったようである。またハワイの古語には「リューク」という奇妙な言葉がある。「リュー」とは「長期滞在」であり、「クー」は「島」の事である。だとすると「浦島伝説」はハワイから日本列島に渡来した人々が持ち込んだ昔話なのか。或いは日本人がハワイまで漂流した遠い昔の記憶なのだろうか。むむっするとタイやヒラメの舞い踊りは「ハワイアン」「フラダンス」なのか。他にもポナペ島にも竜宮じみた伝説がある。「カニムイソ」という「神の町」という話であり、海中にその街はあるというのだ。これも太平洋に広がる「浦島伝説」のひとつなのだろう。(この説はフジテレビ「アンビリーバボーが最初であるという認識する人がいるが、実は日本テレビ「謎学の旅」がTV番組としては初出である)やはり、アジアの特に海に面した地域の人間には、
「海を越えて新天地に行こう」
という遺伝子に刻み込まれた思いがあるのかもしれない。逆にそういう人々だからこそ海を渡って各地に住み着いたのである。ちょっと視点をかえて、心理学的に考察してみると、胎児の頃の記憶なのかもしれない。気がついたら母親のお腹の中にいた上、ぷかぷかと羊水につかっていた胎児の時代、人はあの一番安楽で一番幸せだった羊水時代の、胎児の記憶から、水の向こうの桃源郷を創造したのだろう。一度、この世に生まれてしまえば苦労の連続であるから、本能的にあの頃(海の向こう)に戻りたいと思っているのであろう。だとそうすると、ユングではないが、亀というのは妊娠・性交の象徴としては納得するものがある。(*この説は、2001年に筆者が本名でサイト妖怪王にて発表したもの、その後、他者により無断引用が多数されている)しかし、ひとつだけ気になる事がある。それは何故、乙姫が「たまて箱」を渡したのかという事である。一体これはどういう意味なんだろうか。私が思うにこれは
「いつまでも、夢ばかりみていると老人になってしまうよ。おまえにとっての桃源郷は家族がいたこの浜辺だろう」
という自戒を促す為に、「たまて箱」を持たしたのではないかと思われるのだ。だとすれば、かなりシニカルなエンディングではないだろうか。あなたも今、身の回りにある幸せの良さに気づかないで、遠くの幻のような幸せを夢みてないだろうか。幸せの竜宮はいまそこにあるのだ。
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