コラム・泣き木の怨霊(北海道) 山口敏太郎
コラム・泣き木の怨霊(北海道) 山口敏太郎
@昔、あちこちに書いたコラムを蔵出し
全国には様々な植物の噂がある。泣いたり、しゃべったり、祟ったりする木の奇妙な噂を紹介しよう。北海道では「泣き木」の伝説が有名である。国道234号を栗山駅から南下すると、不自然なカーブがある。これはこのたたりのあるニレの木をかわすためであるという。この木は、深夜すすり泣くというのだ。この木は地元でも有名であり、「栗山町史」にさえ登場している。明治23年、道路工事中に従事する囚人たちがこの辺りで作業をしていた。大変厳しい労働条件で多くの囚人が死亡し、死体は道端に埋葬された。当初、木の泣き声は、その囚人たちの怨霊の泣き声とも言われた。しかし、よく聞くと女の声で泣いているように聞こえるのでこんな伝説も語られはじめた。かつてこの飯場につれてこられた娘がいた。毎夜、荒くれ男たちから辱めを受け、絶望して木で首を吊り、女の怨念がそこにとどまり、木が泣くよに聞こえるのだと…。とにかくこの木を切ろうとすると、何故か死者が出るので誰も手をつけず道がカーブしてしまったという。昭和45年、ある流れ者の男が、酒の席でこの木の伝説を聞いて「昭和の時代に、そんな馬鹿な事があるわけない」と笑った。そして地元の者が止めるにも関わらず、チェーンソーで「泣き木」を切ってしまったのだ。その後、切った男はその後行方不明とも、死亡したとも言われている。また切られた木を風呂や食事の薪に使った家では体調を崩す者が続出した。他にも泣き木の祟りで馬が二頭即死したとか、この木の付近でコンクリートを打っても何故か固まらずお払いをやったとか、あるいは車のエンジンが泣き木の前で突如停止したとか、ある伝説に研究家が「泣き木の講演」をやる朝に金縛りにあったとか。兎に角、噂の絶えない現役の怪奇スポットなのだ・現在、泣き木の残骸のようなものしかない、かつては切り株のようなものがあったのだが、供養塔の横に二世の木が植えられている。
他にも泣く木は各地にある。高野山・獅子窟寺にもかつて泣くシイの木があったという。獅子窟寺への山道の手前を六体地蔵方面に抜けると、「亀山上皇・皇后の供養塔・王の墓」と呼ばれる史跡がある。この「王の墓」の上に「泣くシイの木」があったのだ。邪魔だからといってその枝を切り落とそうとすると、「キイキイ」とまるで痛がるように泣いたという。またこの木に触れただけで腹痛を起こしたとも言われている。
また東京都・青梅の沢井にも「泣く木」があり、一時期は多くの人が見物に訪れたという。また兵庫県篠山の郷土史家・奥田楽々斎の「多紀郷土史」には1900年頃噂になった「篠山の七不思議」が掲載されている。観音橋の傍らにあった古い榎の古木は「夜泣き榎」と噂された。およそ12尺(約3.6メートル)の大きさで夜になると泣き声をあげて、通行人を脅かしたとされている。残念ながらこの木も切られて今はない。
なお七不思議ものには「泣く植物」が定番であったのだろうか。滝沢馬琴の小説「石言遺響」で有名になった「遠州七不思議」にも似た木の話が確認できる。「蛇身鳥退治」、「菊水の滝」、「夜泣松」、「孕み石」、「子育て飴」、「無間の鐘」、「夜泣石」が七不思議の構成であるが、「夜泣松」は夜間さめざめと泣いたという。また秋田県の古刹・蚶満寺口承によると、「夜泣き椿」というのがある。この寺の山門があった跡地の土手に椿が生えているのだが、この古木も深夜すすり泣くという。ちなみに木の樹齢は700年に及ぶと言われており、椿が泣いた数日後には、必ず蚶満寺に不幸があったと言われている。つまり、泣く事は不吉の前兆なのだ。言い伝えによると、深夜ある人が、この椿の前を歩いていた。するとこの椿が悲しげな声を発したというのだ。何度聞いても確かに泣いている。実は領主が、同寺の住職をとらえようとしていたのだ。だがこの椿のおかげで見事住職は他国に逐電したという。
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全国には様々な植物の噂がある。泣いたり、しゃべったり、祟ったりする木の奇妙な噂を紹介しよう。北海道では「泣き木」の伝説が有名である。国道234号を栗山駅から南下すると、不自然なカーブがある。これはこのたたりのあるニレの木をかわすためであるという。この木は、深夜すすり泣くというのだ。この木は地元でも有名であり、「栗山町史」にさえ登場している。明治23年、道路工事中に従事する囚人たちがこの辺りで作業をしていた。大変厳しい労働条件で多くの囚人が死亡し、死体は道端に埋葬された。当初、木の泣き声は、その囚人たちの怨霊の泣き声とも言われた。しかし、よく聞くと女の声で泣いているように聞こえるのでこんな伝説も語られはじめた。かつてこの飯場につれてこられた娘がいた。毎夜、荒くれ男たちから辱めを受け、絶望して木で首を吊り、女の怨念がそこにとどまり、木が泣くよに聞こえるのだと…。とにかくこの木を切ろうとすると、何故か死者が出るので誰も手をつけず道がカーブしてしまったという。昭和45年、ある流れ者の男が、酒の席でこの木の伝説を聞いて「昭和の時代に、そんな馬鹿な事があるわけない」と笑った。そして地元の者が止めるにも関わらず、チェーンソーで「泣き木」を切ってしまったのだ。その後、切った男はその後行方不明とも、死亡したとも言われている。また切られた木を風呂や食事の薪に使った家では体調を崩す者が続出した。他にも泣き木の祟りで馬が二頭即死したとか、この木の付近でコンクリートを打っても何故か固まらずお払いをやったとか、あるいは車のエンジンが泣き木の前で突如停止したとか、ある伝説に研究家が「泣き木の講演」をやる朝に金縛りにあったとか。兎に角、噂の絶えない現役の怪奇スポットなのだ・現在、泣き木の残骸のようなものしかない、かつては切り株のようなものがあったのだが、供養塔の横に二世の木が植えられている。
他にも泣く木は各地にある。高野山・獅子窟寺にもかつて泣くシイの木があったという。獅子窟寺への山道の手前を六体地蔵方面に抜けると、「亀山上皇・皇后の供養塔・王の墓」と呼ばれる史跡がある。この「王の墓」の上に「泣くシイの木」があったのだ。邪魔だからといってその枝を切り落とそうとすると、「キイキイ」とまるで痛がるように泣いたという。またこの木に触れただけで腹痛を起こしたとも言われている。
また東京都・青梅の沢井にも「泣く木」があり、一時期は多くの人が見物に訪れたという。また兵庫県篠山の郷土史家・奥田楽々斎の「多紀郷土史」には1900年頃噂になった「篠山の七不思議」が掲載されている。観音橋の傍らにあった古い榎の古木は「夜泣き榎」と噂された。およそ12尺(約3.6メートル)の大きさで夜になると泣き声をあげて、通行人を脅かしたとされている。残念ながらこの木も切られて今はない。
なお七不思議ものには「泣く植物」が定番であったのだろうか。滝沢馬琴の小説「石言遺響」で有名になった「遠州七不思議」にも似た木の話が確認できる。「蛇身鳥退治」、「菊水の滝」、「夜泣松」、「孕み石」、「子育て飴」、「無間の鐘」、「夜泣石」が七不思議の構成であるが、「夜泣松」は夜間さめざめと泣いたという。また秋田県の古刹・蚶満寺口承によると、「夜泣き椿」というのがある。この寺の山門があった跡地の土手に椿が生えているのだが、この古木も深夜すすり泣くという。ちなみに木の樹齢は700年に及ぶと言われており、椿が泣いた数日後には、必ず蚶満寺に不幸があったと言われている。つまり、泣く事は不吉の前兆なのだ。言い伝えによると、深夜ある人が、この椿の前を歩いていた。するとこの椿が悲しげな声を発したというのだ。何度聞いても確かに泣いている。実は領主が、同寺の住職をとらえようとしていたのだ。だがこの椿のおかげで見事住職は他国に逐電したという。
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